瘋癲読書日記

瘋癲読書日記

読んだのを書き止めて置かないと読んだかどうかも忘れてしまう侘しい瘋癲老人の遅読読書メモ。
スマホで書くのでミスタッチが避けられないのは残念だが便利(週一日記もスマホ)


[2020 年12月日]
12月17日、團野先生より送られて来た、大場昌也編・昭和五十五年発行「駟不及舌」を読む。
きっかけは
「團野先生
大学時代の英語授業を振り返って、 高校時代まるっきり知らなかったサリンジャーに関して、
大場先生の英語の授業で Nine Striesの A Perfect Day for Bananafish が教材だったので 初めてサリンジャーを知ったわけです。
大場先生の口を尖らすような発音は個性的で、 また、ニコ中で煙草を吸いながらの授業でした。
今、考えるとこの先生は何が専門だったのか一寸気になるわけです。 知っておられるようでしたら教えて頂きたいと思っています。」
このメールである。
それでこの本が送られて来たわけだある。
大場清先生の退官記念に御子息が編集し発行された文集である。退官記念の文集であり、業績集ではない。
「駟不及舌」p1/ボンコの生い立ちp5/昔がたりp6/同窓会p14/ゴキブリp15/アリとクモと小雀p16/職人と商人p18/絵p19/早咲きp20/
一英語との出会い/孝行息子だった頃/ワシャ、姉達が出来るもんで、かすんどったんやp21/大正三年六月、金沢市巴町の塗師、大場与市の次男としてうまれる。p22
ーーー以上のエッセイが自分史にあたる部分である。
対談弟を語る、大場秀子大場奈美子p23/弟、高畠カヲリp38/弟の怪我、大場秀子p46/大場清君との出会い、大沢_人p49/思い出、多々たまきp53/四高のアンサン、青戸泰賢p55/大場君の御退官によせて、床並繁p62/清さんと輪島、泉比呂之p65/大場先生と私、飯野健志p68/市河先生と大場さん、神保龍二p72/
ニ英語と共に バイクと皮ジャンパーの頃 みんな、まともすぎる がんない?
昭和ニ十一年、松山高等学校教授、同ニ十六年、金沢大学講師となる。
忘れ得ぬことども、橋本吉郎p77/大場先生の御恩p80/退官を迎えて、天野喜久子p87/思い出、最上雄文p90/大場先生御退官の報に接して、高島信久p96/大場先生の寸描あれこれ、小島俊彦p101/テープ・コーダの恐怖、高畠道子p106/先生万歳、大多和貞雄p110/思い出、三益隆一p113/おやじさん、刑部佐規一p116/私のおじさん、宮本喜美子p119/「あんまりまともすぎて面白うない」、谷内輝雄p122/大場先生との日々、田中宣光p126/大場先生とコッペパン、奥田平八郎p128/
三英語の楽しみ
昭和四十年、胃潰瘍で全摘手術。一年間、死線をさまよった後、奇蹟的に生還。今日に至る。
大場の叔父さん、日吉研三p133/大場先生と私、篠三知雄p135/いっぷく、清原喜美子p139/ラッキー ちゃんす、松浦豊p141/車中の人、川端与志夫p143/思い出の幾星霜、山田昌子p147/思い出の街路樹、長井徳盛p149/皆は怖いというが、大尾 嘉宏巳p151/義兄、清さんのこと、日吉参次p156/大場先生を思う、宮沢外与次p158/大場さんとキリスト、清水忠次郎p161/私も一言、大場奈美子p164/父、湯野真知子p166/縁の下の力持ち、大場早苗p168/ごあいさつ、大場昌也p176/
上がり框の畳席p29、今では、小上りの畳席というのだが
・・・煙草も忘れての熱の入った講義ぶりでした。p117、私の記憶では何時も煙草を喫いながらの授業であった、単位を取るための理系の学生相手では、熱が入るわけがない。
自分史の部分では、貧乏人の小倅が・・p11、と書いているが、漆器店の御曹司、また、一中では・・・一学年一学期・・半分以下の順位・・p11、中学四年生で第四高等学校ヘ入れたのは、全くの幸運p12、と書いているが、後半の寄稿エッセイでは極めて優秀と書かれている。
士族の端くれp44、そういえば理学部の学生課(係?)に一寸変わった職員の方がおられ、士族の出といわれていた。
[2020 年12月6日]
吉見俊哉/森本祥子編「東大という思想 群像としての近代知」ニ〇ニ〇年ハ月東京大学出版会刊
東大卒というわけではない。白虎隊での山川健次郎についての記載があるので、その関心から本書を読もうと思ったわけである。
序章 東大という思想・・・ニ一世紀の「学問のすゝめ」へ・・・吉見俊哉p1
1ブランドとしての東大/2レガシーとしての東大/3東京大学から帝国大学へ/4帝国大学、専門学校、私立学校/5「帝国」の大学と「学問のすゝめ」/6反響・交差する「私学」と「帝大」/7屈折する東大という思想/8「ブランド」と「レガシー」の間で・・・東大という自己/9本書のなりたち
1近代知を導入する
第1章 東京大学における近代ドイツ医学の受容と日本における展開 永井良三
はじめに/1近代医学の導入における蘭学のやくわり/2幕末・維新期の動乱と種痘所の発展/3新政府によるドイツ医学の採用と軍医育成/4ミュルレル教師の医学教育改革/5医学校の騒動と改革/6明治初期の医学教育制度/明治期の卒業生の活躍 /8学生・卒業生・教員の死/9ベルツ教師の講演/10東京大学の生理学者により主導された戦前の「日本のの科学」/おわりに
第2章 山川健次郎のアメリカ留学・・日本の物理学の黎明・・岡本拓司p67
1山川健次郎、田中館愛橘、長岡半郎/2渡米前の教育/3シェフィールド科学校を選ぶて/4捨松の渡米/5シェフィールドでの勉学/6教壇での山川/7山川の研究/8シェフィールドとの交流/9日本の物理学の特異な出発点
第3章 ヘンリー・ダイアーと日本の工学・・・加藤詔士・橋本毅彦・篠原毅夫p93
明治期を中心に(加藤)1近代日本の工業化とスコットランドの指導性
日本語最初の試験委員はロンドンに留学中の夏目金之助(漱石)が任命された。
/2ヘンリー・ダイアーと工学教育の組織化/3ダイアー教育経営の成果/4英国における評価と影響/5日本教育の
還元/昭和初期まで(橋本)6『百年史』で俯瞰する工学部の発展/7航空工学を例にして/8第二工学部から生産技術研究所へ/工学教育おける工学寮・工部大学校の伝統(篠原)/9工部大学校数学科から/10お雇い外国人教師ジョン・ペリーと数学教育/11東京帝国大学における数学教育/12第二次世界大戦後、日本の復興と東京大学工学部
第四章 白鳥庫吉と東洋史学の始源・・・p133
はじめに/1明治の東洋史学/2白鳥の学者人生/3白鳥庫吉の学問ー歴史地理と民族の考察/4白鳥と日本古代/小結
U 東京帝大の戦前と戦後p155
第五章 高野岩三郎と日本の経済学・・・武田晴人
はじめに/1帝国大学(東京帝国大学)における経済学教育/2高野岩太郎と高野岩三郎/3統計学者高野岩三郎の誕生/4経済学部の独立/5波乱含みの経済学部運営/6高野岩三郎の辞職と大原社会問題研究所/おわりに
第六章 戸田貞三という人・・日本の近代と建築・・・佐野健二
1社会学という思想/2日本における社会学/3戸田貞三の家族社会学/4戸田貞三の社会調査論/5戸田社会学が遺したもの
RDD法
第七章 平賀譲における造船学と粛学のあいだ・・・大和裕幸
1平賀譲という人物/2海軍と産業技術の発展/3平賀粛学/4戦時下における大学の整備/5平賀譲デジタルアーカイブとデジタル史料研究支援システム/6平賀譲の生涯を追って
第八章 内田祥三という人・・日本の近代と建築・・・苅部直p249
1辰野金吾/2佐野利器/3内田祥三/区画整理/同潤会アパートメント
「団地」(住宅営団内の用後 住団集宅地の略)
/耐震構造/木造防火/建築デザイン
第九章 南原繁と戦後の東大・・・苅部直p249
V 紛争の前と跡でp269
第10章 鼎談・東大という思想・・その不在と苦悶・・吉見俊哉・苅部直・岡本拓司
1大学紛争から遡る「東大という思想」/大学構内に入った警察・機動隊/
一九五〇年代末に設置された矢内原忠雄の学生問題研究所も、これを支援したアジア財団の背後にいたのはCIAでp276、大江健三郎の「後退青年研究所」はこれをヒントにした小説であったか。
3東大紛争と戦後教育改革/4科学への懐疑と大学の近代/5大学に別の未来はあったのか

(東大紛争、全共闘は、私が就職してからのことで、学園闘争であり国家に対峙するのではなく大学に対峙する。革命党派(過激派)が力を入れるのには疑問を感じていた。)

補章 アーカイブズ・・自ら過去と未来を考えるよりどころ・・森本祥子p315
1はじめに/2アーカイブズとは何か/3東京大学文書館/4アーカイブズ史料を使いこなす/5おわりに

[2020 年11月6日]
TVで映画『ショーシャンクの空に』(1994年公開、アメリカ映画)を見て、面白かったので原作を読んでみた。
スティーブン・キング著浅倉久志訳「ゴールデンボーイ」新潮文庫昭和六三年刊に「刑務所のリタ・ヘイワース」の題で掲載されている。
当然、原作と映画の違いはあるが、映画の面白さを彷彿とさせるところがある。
一九四八年から一九七五年の脱獄までの物語である。リタ・ヘイワースは獄中に貼られていたポスター。
ジャック・ダニエルズの黒p18
ジャック・ダニエルズをストレートで二杯・・p169

[2020 年10月19日]
斎藤幸平著「人新世の「資本論」」二〇二〇年集英社新書
はじめにーSDGsは「大衆のアヘン」である!p3 SDGs(持続可能な目標) パウル・クルッツェン・・「人新世」(Anthropocene)p4
第一章 気候変動と帝国的生活様式p15
・ノーベル経済学賞の罪p16
・ポイント・オブ・ノーリターンp19
以前の状態に戻れなくなる地点
・日本の被害予測p20
・大加速時代p22
・グローバル・サウスで繰り返される人災p24
・犠牲に基づく帝国的生活様式p27
・犠牲を不可視化する外部化社会p30
・労働者も地球環境も搾取の対象p30
・外部化される環境負荷p32
・加害者意識の否認と先延ばしの報いp34
・「オランダの誤謬」ー先進国は地球に優しい?p35
・外部を使いつくした「人新世」p36
・冷戦終結以降の時間の無駄遣いp38
「指数関数的な成長が、有限な世界において永遠に続くと信じているのは、正気を失っている人か、経済学者か、どちらかだ」p38
・マルクスによる環境危機の予言p42
・技術的転嫁ー生態系の撹乱p43
むしろ技術の乱用によって、矛盾は深まっていくばかりなのである。p46
・空間的転嫁ー外部化と生態学的帝国主義p47
ecologcal imperialismp47
・時間的転嫁ー「大洪水よ!我が亡き後に来たれ!」p48
向坂訳資本論では「あとは野となれ山となれ」か
将来世代は自らが排出していないニ酸化炭素の影響に苦しむことになる。p48
・周辺部の二重の負担p50
・資本主義よりも前に地球がなくなるp51
・可視化される危機p52
・大分岐の時代p54
「社会主義か野蛮か」ローザ・ルクセンブルクp56
第二章 気候ケインズ主義の限界p57
・グリーン・ニュディールという希望?p58
・「緑の経済成長」というビジネスチャンスp60
・SDGsー無限の成長は可能か!p61
・プラネタリー・バウンダリーp62
・成長しながら二酸化炭素排出量を削減できるのかp63
・デカップリングとはなにかp65
・絶対量で二酸化炭素を減らす必要性p66
・経済成長の罠p68
・生産性の罠p69
・デカップリングは幻想p79
・起きているのはリカップリングp73
・ジェヴォンズのバラドッグスー効率化が環境負荷を増やすp75
・市場の力では気候変動はとめられないp78
・富裕層が排出する大量の二酸化炭素p80
・電気自動車の「本当のコスト」p82
・「人新世」の生態学的帝国主義p86
・技術楽観論では解決しないp88
・大気中から二酸化炭素を除去する新技術?p91
ネガティブ・エミッション・テクノロジー(NET)
・IPC Cの「知的お遊び」p93
・脱物資化社会という神話p96
・気候変動は止められないかp97
・脱成長という選択肢p99
第三章 資本主義システムでの脱成長を撃つp101
・経済成長から脱成長へp102
・ドーナツ経済ー社会的土台と環境的な土台p103
・不公平の是正に必要なものp104
・経済成長と幸福度に相関関係は存在するのかp107
・公正な資源配分をp109
国内だけの問題問題ではない グローバル・サウスp110
・グローバルな公正さを実現できない資本主義p111
・四つの未来の選択肢p112
未来
@気候ファシズムA野蛮状態B気候毛沢東主義CXエックスp113
・なぜ、資本主義のもとでは脱成長できないのかp115
惨事便乗資本主義p117
・なぜ貧しさは続くのかp119
・日本の特殊事情p120
・資本主義を批判するZ世代p122
ニ〇〇〇年世代、サンダース、コービンp124
・取り残される日本の政治p124
・旧世代の脱成長論の限界p126
・日本の楽観的脱成長論p127
・新しい脱成長論の出発点p129
・「脱成長資本主義」は存在しないp131
・「失われた三〇年」は脱成長なのかp135
・「脱成長」の意味を問い直すp134
・自由、平等で公正な脱成長論を!p135
・「人新世」に甦るマルクスp137
第四章 「人新世」のマルクスp138
◎マルクスの復権
◎〈コモン〉という第三の道p141
◎地球をコモンとして管理するp142
マルクスは、人々が生産手段だけでなく地球をも〈コモン〉として管理する社会、コミュニズムとして構想していたp143
◎コミュニズムは〈コモン〉を再建するp144
◎社会保障を生み出したアソシエーションp145
◎新たな全集プロジェクトMEGA p147
新しい『マルクス・エンげレス全集』(Marx-Engeles-Gesamtausgabe)、刊行準備中、一〇〇巻を越える 、斎藤幸平も参加。p147、大月書店版は全五三冊
◎生産力至上主義者としての若きマルクスp149
◎未完の『資本論』と晩期マルクスの大転換p151
マルクス本人1818-1883は晩期と思ってなかったろう。
◎唯物史観の特徴―生産力至上主義とヨーロッパ中心主義p152
◎生産力至上主義の問題点p154
◎物質代謝論の誕生―『資本論』でのエコロジカルな理論的転換p156
◎資本主義が起こす物質代謝の攪乱p156
◎修復不可能な亀裂p159
無制限な資本の利潤追求を実現するための生産力や技術の発展が、「略奪する技術における進歩」にすぎないp165
◎『資本論』以降のエコロジー研究の深化p160
◎生産力至上主義からの完全な決別p162
◎『資本論におけるヨーロッパ中心主義p166
◎サイードによる批判ー若きマルクスのオリエンタリズムp168
エドワード・サイード1935―2003、大江健三郎と親交のあったサイードだ。 マルクスの悪名高い「インド評論」p169
◎非西欧・前資本主義社会へのまなざしp171
◎『共産党宣言』ロシア語版という証拠p175
◎なぜ『資本論』の執筆は遅れたのかp179
◎崩壊した文明と生き残った共同体p180
フラース、「マルク共同体」p181
◎共同体のなかの平等主義に出会うp182
◎新しいコミュニズムの基礎ー「持続可能性」と「社会的平等」p183
◎「ザスーリチ宛の手紙」再考ーエコロジカルな視点でp184
マルクスの歴史観の大きな転換p185 最晩年のマルクス、資本主義のもとでの生産力の上昇は人類の解放をもたらすとは限らない。 それどころか、生命の根源的な条件である自然との物質代謝を攪乱し、亀裂を生む。p186
◎資本主義とエコロジストの闘争p187
「ザスリーチ宛の手紙」
『ゴータ綱領批判』
◎「新しい合理性」ー大地の持続可能な管理のためにp189
◎新の理論的大転換ーコミュニズムの変化p191
◎脱成長に向かうマルクスp193
共同体社会の定常性こそが、植民地支配に対しての抵抗力となり、さらには、資本の打ち破って、コミュニズムを打ち立てることさえも可能にするp194
◎「脱成長コミュニズム」という到達点p195
マルクス 1840~1850生産力至上主義 経済成長○持続可能性×、1860エコ社会主義 経済成長○持続可能性○、1870~1880脱成長コミュニズム 経済成長×持続可能性○p197
◎脱成長コミュニズムという新たな武器p198
ボリティカル・コレクトネス(PC)
◎『ゴータ綱領批判』の新しい読み方p200
「共同的富」
◎マルクスの遺言を引き受けるp203
第五章 加速主義という現実逃避p205
・「人新世」の資本論に向けてp206
加速主義を反面教師とする
・加速主義とはなにかp207
アーロン・バスターニ、技術革新、商品は空気のようになり→「各人はその必要に応じて受け取る」
・開き直りのエコ社会主義p210
「エコ近代主義」、原発やNETを使って地球を「管理運用」しようという思想
・「素朴政治」はどちらなのだ?p212
選挙を通じて共産主義革命を起こすというビジョンは、加速主義たちが批判する「素朴政治」とは、別の意味であまりに素朴すぎる。
・政治主義の代償ー選挙に行けば社会は変わる?p213
・市民議会による民主主義の刷新p215 「気候市民議会」「絶滅への危機」「黄色いベスト運動」
「気候毛沢東主義」に陥ることなしにp218
・資本の包摂によって無力になる私たちp218
食品売り場に並ぶ、綺麗に梱包された食品p220
「ロハス」LOHASとは、英語の "lifestyles of health and sustainability" (健康で持続可能な、またこれを重視する生活様式)
・資本による包摂から専制へp221
「構想」「実行」の統一の解体
労働者は機械の付属品
・技術と権力
ジオエンジニアリング(気象工学)
・アンドレ・ゴルツの技術論p225
「解放的技術」と「閉鎖的技術」
・グラーバルな危機に「閉鎖的技術」は不適切p227
気候危機
・技術が奪う想像力p228
技術というイデオロギーこそが、現代社会に蔓延する想像力の貧困の 一因
・別の潤沢さをかんがえるp230
第六章 欠乏の資本主義、潤沢なコミュニズムp233
・欠乏を生んでいるのは資本主義p234
不動産投資
・「本源的蓄積」が人工的希少性を増大させるp237
資本が〈コモン〉の潤沢さを解体し、人工的希少品を増大させていく過程 希少性、解りにくいが、誰でも使えるようなものを、例えば水、水道を民営化して独占状態にすることであり、量の多少ではない。
・コモンズの解体が資本主義を離陸させたp237
土地は共有財産だった、住民が自前で生活用品を調達していたら、商品は売れない。
・水力という〈コモン〉から独占的な化石資本へp239
・コモンズは潤沢であったp242
・私財が公富を減らしていくp243
・「価値」と「使用価値」の対立p246
・「コモンズの悲劇」ではなく「商品の悲劇」p247
・新自由主義だけの問題ではないp249
・希少性と惨事便乗型資本主義p230
・現代の労働者は奴隷と同じp252
・負債という権力p254
住宅ローン
もやしの炒めと具なしのトマトソース・スパゲッティ
ブランドカと広告が生む相対的希少性p255
商品が約束する理想が失敗することを織り込むことによってのみ、人々を耐えざる消費に駆り立て
資本主義の人工的希少性に抗する、 潤沢な社会を想像する必要がある。それがマルクスの脱成長コミュニズムなのだ。p257
・〈コモン〉を取り戻すのがコミュニズムp258
「〈市民〉営化」
・〈コモン〉の「〈市民〉営化」
太陽光や風力は排他的所有と馴染まない
小規模の民主的な管理に電力ネットワークを構築するチャンスp260
・ワーカーズ・コープー生産手段を〈コモン〉にp261
欠帽を生み出す現在の資本主義を、「自由で平等な生産者の連合社会」によって置き換えることが可能 マルエン全集17巻p194
・ワーカーズ・コープによる経済の民主化p262
・GDPとは異なる「ラディカルな潤沢さ」
水平的共同管理
「ラディカルな潤沢さ」が回復されるほど、商品化された領域が減っていく、そのため、GDPは減少していくだろう。脱成長だ。p266
・脱成長?が作る豊潤な経済p268
・良い自由と悪い自由p260
「ラディカルな潤沢さ」は、「自由」の概念を再提起することを求める。
自由・・・資本論3巻p1435 p271
・自然科学が教えてくれないことp273
自然的「限界」は単にそこに存在しているわけではない。限界はあくまでも私たちがどのような社会を望むかにやよって、設定される「社会慣行的」なものである。p274
抑制なき消費に駆り立てる「資本の専制」のもとでは、そうした自己抑制としての自由を選ぶのは困難になっている。p275
しかし、逆に考えてみよう。自己抑制を自発的に選択すれば、それは資本主義に抗う「革命的」な行為になるのだp276
第七章 脱成長コミュニズムが世界を救うp277
○コロナ禍も「人新世」の産物p278
○国家が犠牲にする民主主義p280
危機が深まれば深まるほど、国家による強い介入・規制が専門家から要請され、人々も個人の制約を受け入れるのである。
四つの未来の選択肢、C→脱成長コミュニズムp281
○商品化によって進む国家への依存p282
新自由主義は、社会のあらゆる関係を商品化し、相互扶助の関係性を貨幣・商品関係に置き換えてきた
○国家が機能不全に陥るときp283
A野蛮状態、アメリカ、「ブーガルー」p284
資本主義に決別して「使用価値」を重視する社会に移行しなけらばならない。p285
○「コミュニズムか野蛮か」p280
○トマ・ピケティが社会主義に「転向」したp287
「資本主義の超克」→「参加型社会主義」
社会民主主義政党、「バラモン左翼」p288
→「自治管理」、「共同管理」
○物質代謝の亀裂を修復するためにp290
労働のあり方を抜本的に変えようとしないなら、資本主義に立ち向かえない。p293
○労働・生産の場から変革は始まるp292
○デトロイトに蒔かれた小さな種p293
マルクス!批評家フレデリック・シェイムソン「資本主義の終わりを想像するより世界の終わりを想像する方が簡単だ」p296
○社会運動による「帝国的生産様式」の超克p296
ただ待っているだけでは、「人新世」はやってこない。p297
○人新世の「資本論」p297
はじめて、浮かび上がる ってくる『資本論』に秘められた真の構想があるのだ。p299
ポイントは経済成長が減速する分だけ、脱成長コミュニズムは、持続可能な経済への移行を促進するということだ。p299
○脱成長コミュニズムの柱@ー使用価値経済への転換
「使用価値」に重きを置いた経済に転換して、大量生産・大量消費から脱却するp300
海外に工場を移転して、・・・マスクさえ十分に作ることができなかった・・資本の価値増殖を優先して、「使用価値」を犠牲にした結果である。p301
生産の目的を商品としての 「価値」の増大ではなく、「使用価値」にしてp302
○脱成長コミュニズムの柱Aー労働時間の短縮p302
新技術・・労働者という賃金奴隷の代わりに、化石燃料という「エネルギー奴隷」 が働いているのだ。
エネルギー収支比、原油10、太陽光2.5-4.3、トウモロコシエネルギー1、「排出の罠」p305
「使用価値」を生まない意味のない仕事を削減、
生産力の向上で「労働の廃棄」や「労働からの解放」を実現するのは、脱炭素社会においては無理なのだp306
○脱成長コミュニズムの柱Bー画一的な分業の廃止p307
マルクスは・・魅力的労働・・労働が・・創造性や自己実現の契機になることを目指していた・・p308
○脱成長コミュニズムの柱Cー生産過程の民主化
生産のプロセスを進めて、経済を減速させるp310
○脱成長コミュニズムの柱Dーエッセンシャル・ワークの重視p312
イレギュラーな要素は・・ロボットやAIでは対応しきれない p313
○ブルシット・ジョブVS.エッセンシャル・ワークp314
資本主義社会でのエッセンシャル・ワーク対する圧迫には、「価値」と「使用価値」の極端な乖離という問題が潜んでいる。p315
○ケア階級の反逆p316
○自治管理の実践p318
○脱成長コミュニズムが物質代謝の亀裂を修復する。p319
減速した経済社会をもたらす脱成長コミュニズムの方が、人間の欲求を満たしながら、環境問題に配慮する余地を拡大することができる。p320
○ブエン・ビビール(よく生きる)p321
ナオミ・クライン、・・・先住民の教えから学ぼうとする謙虚な姿勢を伴っていなくてはならない・・p322
第ハ章 気候正義という「梃子」p326
◎マルクスの「レンズ」読み解く実践p326
◎恐れ知らずの都市,バルセロナの気候非常事態宣言p328
「フィアレス・シティ」
◎め社会運動が生んだ地域政党p331
オーバー・ツーリズムが一般市民の生活を圧迫
バルサローナ・アン・クムー、市民プラットフォーム政党
◎気候変動対策が生む横の連帯p333
水道の公営化要求等
資本主義の生み出した人工希少性を、〈コモン〉の「ラディカルな潤沢さ」で置き換えていく
◎共同組合による参加型社会p354
◎気候正義にかなう経済モデルヘp335
「ケア階級の反逆」
◎ミュニシバリズムー国境を越える自治体主義p337
(municipalism)
国境を越えて連帯する、革新自治体のネットワークの精神・・p338
◎グラーバル・サウスから学ぶp338
◎新しい啓蒙主義の無力さp340
「世界市民」というコスモポリタンなリネンを持ち出し、「啓蒙主義」の必要性を擁護するだけでは、明らかに不十分である。
◎食料主権をとりもどすp341
グローバル・サウス、農業が盛んで、農産物のみ輸出国であるにもかかわらず、国内では、飢餓に苦しむ貧困層が大勢いる。
商品としての「価値」のための生産が行われ、「使用価値」が蔑ろにされる ・・p342
「南アフリカ食料主権運動」p343
◎グローバル・サウスから世界ヘp344
◎帝国的生産様式に挑むp345
We Can't Breathe! p347
革命の「梃子」はアイルランドにあるp348
◎気候正義という「梃子」p348
◎脱却成長を狙うバルセロナp350
◎従来の左派の問題点p351
ソ連、「国家資本主義」
◎「ラディカルな潤沢さ」のためにp353
◎時間稼ぎの政治からの決別p353
◎経済、政治、環境の三位一体の刷新をp355
◎持続可能で公正な社会への跳躍p357
おわりにー歴史を終わらせないためにp359
ただ、そうはいっても、私たちは資本主義の生活にどっぷりつかって、それになれきってしまっている。
システムの転換というあまりにも大きな課題を前になにをしていいかわからず、途方に暮れてしまう人が多いだろう。p361
「3.5%」が本気でたちあがると、社会が大きく変わるp362

読了。
しかし、「私は資本主義の生活にどっぷりつかって、それになれきってしまっている、ぐうたらだし、なにをしていいかわからず、途方に暮れてしまっている。」
私は低成長経済、経済成長率ゼロを考えているので、共鳴する部分は多い、それをコミュニズムまで結びつけることは考えていなかった。
コモン、生活共同体については、大江健三郎による谷間のミクロコスモスを描く小説を連想するが、そこには民主性はない。

[2020 年10月日]
村上龍著「MISSING 失われているもの」二〇二〇年新潮社刊
第一章「浮雲」p7、真理子はどういう女性なのか推理小説風に読める。
第二章「東京物語」
第三章「しとやかな獣」エスカレーターp75、シュールな絵を文第文章にした感じである。
四章「乱れる」p83、この映画は見ていない、妖艶な看板だった記憶があるのだか。
そういう質問をしたことよりも、そういう質問をしたことを覚えていることのほうが大切なんです。p93
釜山近くの農場p94
第五章「娘・妻・母」p99、「暴徒化した朝鮮人が、・・朝鮮語で叫びながら、日本の警官を襲うところをめて見ていたのだ。」、北は危険で、38度線を超えれば危険は少ないと考えていたが。
第六章「女の中にいる他人」p116、この映画、まるっきり知らない。
第七章「放浪記」
第八章「浮雲」U
第九章「ブルー」p183、「ブルー」に相当する映画は思いつかない、「あなたが・・もっとも好きな映画があって、それは、戦争中に旧日本軍の占領地だった仏印で知り合った男女の物語です。」p184、ネットで調べても、ブルーに結びつかない。「あなたは、薬物による幻覚や、・・・」p188、「ブルー」は小説「限りなく透明に近いブルー」であることがわかる。
「あのとき以来、ずっとあなたも、そして死に向かって歩んでいます。」p194
終章「復活」
現実には意味がないのだ

古い映画の題名が小見出し使われている、著者は過去を浮遊している。
年老いたということか。
Hがこの小説を読むようなことをHPに書いていたのだが、村上龍を村上春樹と勘違いしていたのだろう。

[2020 年9月21日]
伊藤靖著『不自然な宇宙 −宇宙はひとつだけなのか?』二〇一九年一月講談社発行
第1章 この「宇宙」の外に別の「宇宙」はあるのか?
第2章 宇宙に果てはあるのか?宇宙に始まりはあるのか?
2-2 世界の階層と安定性p66
レベル1マルチバースは、レベル1ユニバースの1つ上の階層に位置する・・・ 銀河団、銀河、星団、恒星、惑星、衛星/会長、社長、専務・・・平社員といった階層家あるはずです・・・ 私は、世界があ安定するためには、ある種の階層構造の存在が不可欠なのではないかと考えています。p67-69
階級社会、格差社会を肯定する危うさがある、危険である。
第3章 我々の宇宙の外の世界
第4章 不自然な我々の宇宙と微調整
第5章 人間原理とマルチバース
終章 マルチバースを考える意味

早川様
『不自然な宇宙 −宇宙はひとつだけなのか?』
また、難しい本!
コメントするのも難しい。
このホームページの文章だけではなんとも理解しがたいので 図書館から『不自然な宇宙 −宇宙ひとつだけなのか?』を借りて目を通してみた。
斜め読みどころか、目を通すだけ。 ホームページに書かれたのはこの本の後半のまとめで、よくぞまとめられた、やはり理系の早川だ。
四つの数式、
重力は次元(?)が異なるような気がする。
数式、所詮は人間は自然を解釈するのに都合がよいように考え出したもの。 更に新しい物理式を提案しようと研究者は励んでいるのだろう。
宇宙の超マクロの世界を素粒子の超ミクロの世界から論ずる、不思議を感じるが、この世界の研究の魅力なのだろう。
ガモフも一部紹介されている、学生の頃ガモフ全集が書店の棚に並んでいた。
宇宙が膨張しているのはそのころ知ったような気がする。
プランクの定数、なじみはあるはずだが、定数がどのような実験で決定したのか、それを知っていれば更になじみの定数といえただろうに。
シュレディンガーの波動方程式も絶対的なものではない、とどこかで読んだ記憶がある。
また、改めて朝永振一郎の光子の裁判を読んでみた。(学生の頃購入し捨てずに残っている、奇跡?)。
やはり、光が粒子であり波であることが納得し難いところがある。
貴兄は新しいもの新しいものと読んで行くが私は古いもの古いものへと行ってる気がする。
コンピュータの世界で開発が進められている量子コンピューター、その解りやすい解説書があれば、電子も光子も波であり粒子であることが納得できそうな気がしている。
大学時代、授業はシュレディンガーの波動方程式から始めるので、先生方は波動方程式が解けるのかと思い、自分はこの世界は無理だと考えたものだ。 「シュレディンガー波動方程式の解き方」の題の本が出版された時、一寸読んでみたいと思ったが、当時は工業化学の仕事中で思っただけだった。

今、仕事を辞めてTVを観ることが多い。時たま三百名山を登り続ける番組を観る。スタッフ、カメラマンに、登山道を守っている地元山岳会の苦労に思いが及ぶ。

全く遅ればせのコメント。失礼!

[2020 年8月19日]
文藝春秋九月特別号で、芥川賞受賞作、高山羽根子「首里の馬」、遠野遥「破局を読む。
前者は、題名通り沖縄の小説、沖縄戦、基地に関わる作品ではない。
『沖縄市及島嶼資料館』順さん、途さん、未名子
カンベ主任、(神保町にベコ主任という名の牛タンの店があった。)
ヴァンダ、ポーラ、ギバノ
『宮古馬(ナークー)』、wikipedia 体高一二〇cm
未名子はヒコーキと名付けた宮古馬に乗り歩き回る。

後者、
慶応大学学生
私(陽介)
(佐々木)
膝、落研
灯、女子学生
麻衣子
岩永
灯は笑っているように見えたが、よく見るとまったく笑ってなどいなかった。

登場人物名を挙げるだけで二つの小説の違いは明らかにわかる。
所詮は選者がまあいいだろうという作品、該当作なしでもいいだろうという作品

[2020 年8月17日]
鈴木隆は「けんかえれじぃ」の中で、童話会に属する今井の「ハコちゃん」は優れた作品だと誉めている。
では、早速図書館から借りて読んでみる。
図書センター、一九九五年発行の「「戦争平和」子ども文学館』1に収載されている。作者は今井ではなく、今西祐行(すけゆき)、十九頁の短編である。

ホントは春子っていうんだよ
ひとりで遊ぶハコちゃん
ソーちゃんを子守するハコちゃん
かわいそうなハコちゃん

[2020 年8月10日]
前から読んでみたいと思っていた、鈴木隆著「けんかえれじぃ」(上)を図書館から借りて読む。岩波現代文庫2005年刊である。
あとがきに「父のこと」を、ご子息の鈴木涼太氏が書いておられ、隆の父、蔀(しとみ)は福島県塩川町の出身で塩川町に墓があるとのことである。私の育った町である。但し、蔀は塩川町駒形の松崎となっている。これには!
映画は隆、麒六の旧制中学時代、喜多方中に転校し会津を出て行くまでの期間を描いているが、(上)では、岡山の少年時代から学生の頃、留置所を出るまでのことが書かれている。
痛快小説
初出:一九六六年、理論社、映画は一九六六年、日活
アウグスチノ・麒六の修行時代
会津弁がこんなに出てくる小説は珍しいだろう。岡山弁はわかりにくい。留置所での隠語も多い。
知識の浅い私にはわかりにくい漢字も多い。
金甌無欠p14、径庭p28、曩p74、山金筋p95、
山鹿素行は会津出身であったかp123
彙報p149
べろせんべいp153 確認したい地名、店名が多い。
嚮導p217、釁端きんたんp246、伐折羅ばさらp252、一掬p264、
名作「ハコちゃん」今井某?
幤帛P364
留置場p390、戦前のことだが、大変なところだ。
(下)も読んでみよう。

[2020 年8月15日]
鈴木隆著「けんかえれじぃ」(下)二〇〇五年岩波現代文庫を図書館から借りて読む。
第二部 軍隊編
特に軍隊小説を読んでなかったが、
野間宏「真空地帯」、大西巨人「神聖喜劇」は読んだことがある。他に記憶がない。<> けんかえれじぃの主人公は早稲田大学童話会
父の火葬<> ヨハネ福音書?「人若し我に止まらずば、枝の如く捨てられて枯れ、さて 拾われ、火に投げ入れられて焚けん」p10
昭和十八年十一月一日、新潟県、高田独立山砲兵第一聯隊に入営p42
班内、四十名近い学徒初年兵、二等兵p49
高畑少尉、薄皮饅頭p82<> 十一月二十三日高田→名古屋、会津歩兵八五聯隊と合流→博多港→鮮満国境安東通過→山海関通過→ 十二月二日南京兵站宿舎着→杭州→金華→保定p145
支那派遣軍総司令部・直轄→部隊本部ー砲兵隊、 砲兵隊本部ー第二中隊ー第一区隊ー麒六(幹部候補生)p147
積慶里p241、カトリック協会p269
中支漢口から仏印までp296
大陸打通作戦p299<> 麒六は、第二中隊第二小隊第一分隊分隊長p305 大(代)八車は, 人間八人分のちからp360
四高、南下軍の歌p378
光兵団p295
珍妙部隊移動転進の記録p313
陽朔の街、破傷風の麒六、蒸発す。 p454

斜め読みで、中国の地名を地図で参照したり、打通作戦を、笠原十九司の日中戦争全史と比べて 読めばよいだろうが、図書館への返却日時もありと言い訳して 手抜きの読書である。

[2020 年7月27日]
吉本隆明の「共同幻想論』が、NHK100分de名著に取り上げられいる。放映7月、月曜日pm10:25、解説は先崎彰容。
「共同幻想論」については、鹿島茂もちくまに「吉本隆明2019」の題で連載中で関心がある。
吉本隆明を僅かながら読んだのは学生の頃で、擬制の終焉、異端と正系、そして言語にとって美とは何か、で政治から文学に回帰したと想い、共同幻想論の頃は就職しておりまるっきり関心がなかった。
一九六八年は、フランスの五月革命(?)の時代、但し、全共闘運動は学園闘争の域を出ず、ヘルメットを被りゲバ棒を振るい激しそうに見えるが、それほどのものとは感じていなかった。
先崎は「『共同幻想論』は、一九六八年の政治の季節に、学生たちによって貪るように読まれました。」p122、と書いているが、?である。
「母権制」についての裏付けに疑問を持っていたが、注に「・・財産相続や出自について女性を通してたどる〈母系制〉を持つだけであり、そこでも財産管理や支配権は男性の手中にあることが普通である。・・」p49 とある。
『党生活者』への吉本の評価p119 は興味深い。

原著を読んでないので、何ともいい難いが、国家の成立には、古代集落の研究、未開部族の比較研究等の実証性が欲しい。
では、共同幻想論を読むかというと、読まないだろう。

[2020 年7月20日]
18日の新聞書評欄に、大城立裕著「焼跡の高校教師」がとり上げられていた。まず、失礼ながら大城立裕、まだ生きていたのかの思いであった。沖縄での初めての芥川受賞で、反米軍的小説ではなかった記憶があるだけである。
「カクテルパーティ」、一九六七年の作で五三年前である。
図書館から、借りて読む、二〇一一年刊岩波現代文庫である。
全然記憶がない、読んでなかったのかもしれない。
前章、私、小川、孫がミスター・ミラーのパーティ(チー・ウエイ・チュー・ホエ、鶏尾酒会)に参加し、友好関係が淡々と綴られる。
後章、米軍要員ロバートに私の娘が暴行(?)を受ける事件が起こる。戦時中、将校だった私、上海で学生だった小川、日本軍に妻が暴行された孫、私は自分自身を問う。緊張させられる、五〇年前の作品とはいえ、現在性のあるで、近年の芥川賞受賞作ではこれほど緊張させられる作品はない。
考えてみると、沖縄がアメリカだった時代の小説である。

次いで「焼跡の高校教師」二〇二〇年刊集英社文庫を読む。
序章
大城立裕の二年間の高校教師時代を「私の生涯で最も輝いていた二年間のだったと思います。」p9、と回想している。
荒野の青春
野嵩(のだけ)高校p12、パート先の副社長(前社長)は嵩西(たけにし)さんで、 嵩の字は馴染み深い。
「米琉親善」p39
米須興文君・・一九九四年には小学館の『ランダムハウス英和大辞典』の編集委p52、私の持っている『ランダムハウス英和大辞典』は昭和六三年(一九八八年)発行で米須興文氏の名前は載っていない。
「幸福感」とは何なのか、も感がえさせられる。

[2020 年7月15 日]
シャンタル・ムフ著山本圭、塩田潤訳「左派ポピュリズムのために」明石書店二〇一九年一月発行を図書館から借りて読む。
序論
「ポピュリスト・モーメント」
新自由主義的なヘゲモニー編成の危機と、この危機からいっそう民主的な秩序が構築される可能性p12
エルネスト・ラクラウ共著『民主主義の革命ーヘゲモニー閉じるポスト・マルクス主義』
一九六八年の反乱(パリ五月)を皮切りに左派政治が台頭、第二派フェミニズム、ゲイ・ムーヴメント、反レイシズム、環境p13、ポスト構造主義、グラムシ、「反ー本質主義的」アプローチ、「民主主義の根源化(radicalozation democracy)」p13
新自由主義のヘゲモニー編成はいまや、右であれ左であれ、既得権益層に反対する多様な運動よって疑問に付されている。この局面こそ、 私が「ポピュリスト・モーメント」と呼ぶものであり、p17
1 ポピュリスト・モーメントp23
反ー本質主義的アプローチp23
ラククラウ:ポピュリズムを、社会を二つの陣営に分断する政治的フロンティアを構築するとともに、「権力者」に対抗する「敗者」を動員する言語戦略と定義p24
2 サッチャーリズムの教訓p41
サッチャー:新自由主義プロジェクトの文化的かつイデオロギー的勝利p46
サッチャーの功績?「トニー・ブレアとニューレイバーです。・・」、フォーディズム、ポストフォーディズム p51
3 民主主義を根源化することp59
自由民主主義体制の倫理ー政治的な諸原理の「根源化」であり、「すべての人々の自由と平等」p6
政治的アイデンティティが社会的秩序における客観的位置の直接的表現ではない・・p62
ヘゲモニー秩序p67、ヘゲモニー編成
4 人民の構築p81
反ー本質主義的アプローチ、接合のプロセス、等価性の連鎖p86
差異がなおも活動的であるような関係p87
シティズンシップp89、国民国家p97、
5 結論p105
私たちはいま「ポピュリスト・モーメント」の渦中にいる。このポピュリスト・モーメントは、ここ三〇年のあいだに新自由主義的ヘゲモニーがもたらした、ポスト・デモクラシー状況への抵抗の表出ほかならない。p106
米国のバーニー・サンダーズ、彼の戦略は左派ポピュリズム
ポスト・デモクラシー期において、民主主義の回復と根源化が検討課題として提されるとき、ポピュリズムこそがこの情勢に適した政治論理となる。p109
フロンティアの構築が必要。
民主主義の闘技的性格を回復することのみが、感情を動員し、民主主義の理想を深化させる集合的意志の創出を可能にするだろう。p113
百数10頁の薄い本だが、なじみのない用語が多く頭にき入り難い。一市民がどう刷ればよいのか、具体的な手法が示されていない。

[2020 年6月23日]
佐藤優著「いま生きる『資本論」」新潮二〇一四年七月発行を読む。
まえがきp5
安倍政権は究極のポピュリスト政権
1恋とフェチズム
岩波文庫版向坂逸郎訳『資本論』p9、私の持ってるのも岩波文庫版であり、有り難い。
柄谷行人が佐藤優を「恐ろしく古い知識だけをもと物事を考えている人だ。完全にポストモダンをスルーしている。」p12
仲正昌樹『ポスト・モダンの左旋回』、ユルゲン・ハーバマス『近代の哲学哲学的ディスクルス』p55
2どうせ他人が食べるもの 搾取は収奪ではありません。搾取は、資本家と 労働者の合意の上に成り立っていて、階給がシステムの中に埋め込まれている。p61
3カネはいくらで欲しいp95
カネは人間と人間の関係を捻じ曲げる力を持っています。p119
4われわれは億万長者になれないp134 青木書店社長の娘、青木富貴子は『731』の著者p138
近代経済学の中でリベラルと見られている人は、意外とスターリン主義的な、正当はマルクス主義経済学者が行ってたような理屈をけっこう使っているんですp143
『資本論辞典』の「窮乏化」p140、 「・・・資本主義的生産過程そのものの機構によって『訓練され、結集され、組織される労働者階級の反抗も増大する』。したがって、このような反抗によって蓄積の法則は修正され、窮乏化の作用も緩和ないしは制限されることになるが、資本主義的蓄積が、したがってまた資本主義的生産様式が存続するかぎりでは、窮乏化の必然的作用を排除することも、止揚することもできない」これでおしまいですが、やっぱり論理が破綻しているでしょう?p147
資本主義はあたかも永続するがごとく続く。・・・宇野の理屈p148
資本にとって国家は不要です。p149
マルクスのテキスト自体の中に、若干の宗教性はあるのです。その宗教性のところを発展させると、・・・最終的にはスターリン主義経済学になってしまう。p168
5いまの価値観を脱ぎ捨てろp171
野矢『論理トレーニング101題』、出口汪『論理エンジン』『現代文講義の実況中継』p176
岩波文庫版第二分冊、第四篇「相対的剰余価値の生産」第十一章「協業」 「多数の力が融合して・・・」p186
地代論と同じ第三巻で展開される利子論は錯綜しています。p188
商人資本、産業資本p189
実は株式資本というのは実体の資本ではなくて、資本そのものが商品になって売買されている形、擬制資本なんです。p196
貨幣形態というのは、・・・社会的にどんな意味のある商品を作っているのか、それらを全部消し去ってしまう魔法の力があるわけです。p197
人間をものとして値段をつける・・・生命保険p200
宇野弘蔵『経済原論』二一九ページから、二二一ページ、鎌倉孝夫『資本主義の経済理論ー法則と発展の原理論』三二四ページからの「擬制資本の形成、資本の商品化」p201
宇野の方法論で書き始めたら、最後まで宇野で行く。p206
エンゲルス、レーニン、スターリンの流れでのマルクスのの読み方は、最終的には宗教的になってしまった。そして『資本論』宗教教典として扱うようになった。だから、『資本論』に関しては一字一句変えてはいけない、理解ができないのはお前の問題だ、となりました。p208
『資本論』第三巻第二七章途中から 「株式制度ーそれは、・・・・」「もう一つの、節欲にかんする文句を、・・・」
ここはマルクスもけっこう議論が錯綜しています。p212
・・株式の市場ができてくる。しかし、そこで出てくる利潤は、物を作ったり、サービスを行ったりしている資本から出てきた上前ハネているんだよ、というのがここでの議論なんです。p214
収奪は、背後に露骨な暴力があるわけです。p215
マルクスがここで言っているのは「資本主義のスタートにおいて激しい収奪過程があるんだよ」p220
レーニンの『帝国主義論』は、『資本論』の延長線上にあるように見えながら、パッと体を躱して、国家の問題を扱っているのです。p238
官僚は国家権力を使って、資本家からも労働者からも地主からも遠慮なく収奪しているわけです。p238

[2020 年6月16日]
橋爪大三郎が新聞の書評欄の執筆者になっているので、どんなふうな方なのだろうかとな次の本を読む。
橋本大三郎のマリクス講義ー現代を読み解く『資本論』 聞き手:佐藤幹夫
はじめに
マルクスは、ニュートンのようなもの
第1章 マルクスは現代の貧困を救えるか
バカでかい山・・同じマルクスでも、いく通りもの見え方がある。p14
資本家は、誰にも正体のつかめないシステムに置き換わってしまった。p28
派遣、非正規雇用・・構造化されてしまい、大変に困っている。マルクスのリバイバル人気p38
いちばん基本的な原理原則について、マルクスが明きらかにしている。p48
第二章 『資本論』以前のマルクスをどう読むかp63
『ユダヤ人問題によせて」
スピノザp71
絶対王政の勃興期には、ユダヤ人は、便利な存在だった。絶対王政の財務官僚p72
『スラムダンクミリオネア』p75
たとえば共産主義やイデオロギーなども、宗教とよく似たものだと考えたほうがいいp87
第三章 『資本論』を手がかりに日本を読み解くp108
「・・資本主義とは、資本、労働、土地を、競争市場を通じて、もっとも効率的に配列する分権システム・・・資本主義wouldn't前進させていく道があると思います」p112
聞き手、佐藤幹夫「一年くらいかけて『資本論』第一巻を読んできたのですが、」p112
マルクスと「マルクス主義」は、なぜ"同じ”ではないのかp118
労働価値説、剰余価値、
先進国の空洞化・・先進国でこれまでの生活水準を維持できない人びとの増加・・必然」p134
「資本論」のモデルには格差はない。p135
マルクスは資本主義を議論する前提に、資本主義でない社会を考えて、p144
マルクスは資本主義が自然であることを断固拒否する。p145
資本主義社会・・国際化が進む・・行きついたところで熱平衡のように停止するだろう。p161
増税・・・戦争と比べればすごく安くつく。p177

[2020 年6月6日]
毎日新聞/今週の本棚/なつかしい一冊/小川洋子選、トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す トーマス・マン著高橋義孝訳 新潮文庫572円、小川洋子が書いている。
新型コロナウイルス・・・『ヴェニスに死す』
ひたひたと迫ってくる疫病の前で、無力に立ちすくむアッシェンバハの姿を、誰も哀れと言って切り捨てることはできない。優れた文学は必ず、作者の意図を超えて未来とつながっている。そのことを今、証明している小説だ。

確かにそうだ、優れた文学は現在につながり未来にもつながる。
『ヴェニスに死す』は一昨年にも読んでいるのに、新型コロナウイルス騒ぎの中で思い起こすことはなかった。意識が浅い。
私が持っているのは新潮文庫90円

[2020年6月5 日]
須賀しのぶ著「荒城に白百合ありて」KADOKAWA二〇一九年十一月二十一日発行を読む。
須賀しのぶ、少女青春小説(私の偏見)コバルト小説を書いていた作家だ、コバルト作家群のその後、戊辰戦争を背景している小説であるということにもに関心があった。
歴史小説の分野に属する作品なのだろう。
現代的視野で描かれ、登場人物 鏡子、幸子の名前も現代的だ。
「わかりません。私は、人生の意味など一度も考えたことはございませんから」p279、書き過ぎだろう。
小説は明治維新を背景にした、会津藩中士の娘、鏡子と、薩摩藩士、岡本伊織の ロミオとジュリエット物語といってよいのだろう。
司馬遼太郎に対するアンチテーゼのような小説である。
維新小説は京都が中心なのが多いのに江戸中心であることも興味深い。
会津藩から見た明治維新、埋もれがちな清河八郎について書かれているのもよい。

[2020 年5月27日]
covid19絡みで、第一次世界大戦においてインフルエンザ、スペイン風邪が流行し、ドイツ軍将校が「スペイン風邪に敗北した」と語っていたとのこと。
四年前に読んだ「ローザ・ルクセンブルクの暗殺」で、第一次世界大戦で敗北した軍隊がそのまま残ったのが、暗殺の背景にあったと書いていた。
軍人はスペイン風邪に負けたので、フランスに負けたのではないと考える要素があり、軍隊がそのまま残ったと考えることもできる。

[2020 年5月20日]
漱石の「こころ」(岩波文庫一九二七年発行一九九五年第九七刷)を読む。
漱石は高校生の頃少しは親しんでいた。発表順に読むという読み方があり、「三四郎」くらいまで読んだような記憶がある。ネットでチェックすると必ずしもそうではなく、「こころ」は後半の小説である。
甚く感動(?)した記憶がある。
更に、大江健三郎が講演集「核時代の想像力」(新潮社)の中の「文学とは何か?(1)」で触れていることもある。

上、中、下と三つに別れており、
上 先生と私
「私」が先生と知り合うまでの過程が書かれている。
「あすこには私の友達の墓があるんです」p18
先生「私は淋しい人間です」p22

先生は何時も静かであった。p19、奥さんの名は静p26、初めて名前が出てくる。
「あなたは学問をする方だけあって、なかなか御上手ね。空っぽな理屈を使い小ナスことがp45
「いくつ? 一つ? 二ッつ?』角砂糖を撮みあげた奥さんは・・p46
(寅さんが、喫茶店で池内淳子のコーヒーに角砂糖のつもりで、幾つですかときき、池内淳子は年齢と誤解するシーンがあった(陳腐?)。後に、葛飾でその喫茶店があるのを見もした、今はないだろう。)
中 両親と私p97
父の病気と死
毎日新聞p106、大坂毎日新聞だろう。 「昔の親は子に食わせてもらったのに、今の親は子に食われるだけだ」p115、意味合いは異なっても親の年金で暮らす子、今の時代にもありだ。 父が危篤なのに、「私」は先生の手紙を持って東京へ行く。
下 先生と遺書p143
この下が最も長く、手紙=遺書そのものとなっている。 「先生=私」の実家は叔父に乗っ取られ、故郷に帰ることができないp152p157
軍人の遺族の家に下宿p165
こせつきp172?、こせこせする もう一人男が入り込まなければならない事になりました。p185
「K」p186
「K」は故郷に帰ることができないp187、「私」、「先生=私」も故郷に帰れない。
「先生=私」と「K」は幼なじみで、本願寺派の強いところp186、西の方か、北陸もありそう。
自分だけが世の中の不幸を一人で背負って立っているp194、このような言い方の始まりはいつだったんたろうか。
比較的自由な空気を呼吸している今の貴方がたp210、今の時代はというのが度々出てくる。先生と私は二十歳くらいの違い、明治にはかなり大きな時代の違いがあると考えていいのだろう。
「先生=私」は、先ず「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」p238
「止めてくれって、僕が言い出した事じゃない・・・」p241
「K」の自殺p257
記憶して下さい。私はこんな風にして生きて来たのです。p272
大江健三郎は核時代の想像力の中の文学とはなにか?(1)において「われわれ小説家は、同時代の人びとに対して「記憶してください、私はこんなふうにして生きているのです」という、ときにはみじめなメッセージを送りつづけているのではないか。また読者が一冊の書物を読むことによってそのメッセージを受けとり、逆に自分はどのようにしていま生きているのかと、なにものかにたいして記憶をもとめる、そういうことがあるのではないか。・・・」と語っている。
その大部分は貴方にこの長い自叙伝の一節を書き残すために使用されたものと思って下さい。p275
「先生=私」の自殺は乃木大将殉死p273の十日後か

新聞小説であり、当時は小説の発表は新聞がメインであったのだろう。なお、発行日毎に一、二、三・・と番号つけられているが、意外に細切れの感じはない。
六十年経って、再読し、青年の懊悩、煩悶、葛藤に同じような感動を受ける。漱石の代表作であり近代文学の代表作であろう。

この岩波文庫版には大野淳一による注がついていて有り難い。田舎の書店では岩波文庫はなく、新潮文庫か角川文庫で読んだはずである。注などなかったと思う、それでよく読めたと思う、そもそも、私は注、解説は読まないタイプなのだ。何せ六十年前だ。
解説は、この二月に亡くなった古井由吉が書いている。
発行者は安江良介となっている。

[2020 年5月13日]
笠原十九司著「日中戦争全史」上(高文研二〇一七年発行)を読む。
佐藤優を読んだ後に「日中戦争全史」を読むのはアンバランスであろうが、大東亜戦争と総まとめにすると、太平洋戦争に力点が置かれ、十五年戦争が曖昧になる。曖昧な知識をちょっとは明らかにしようと思い本書を読む。
はじめにー本書の組み立てと全体の流れp13
序章 戦争には「前史」と「前夜」があるp43
T 日本はいつから満州事変・日中戦争への道を歩みはじめたのかp59
一九一四年T3 第一次世界大戦p60
一九一五年 二十一ヵ条要求p61
一九一八年 シベリア出兵p72
一九二〇年T9 三月一一日 第一次尼港事件p77
五月二四日 第二次尼港事件p78
一九二二年T11 ワシントン会議「中国に関する九ヵ国条約」p83
一九二八年S3 二月 男子普通選挙実施p100
一九二八年S3 六月四日 張作霖爆殺事件p91
一九三一年 「柳条湖事件」p115
U 日本軍は「満州」で何をおこなったのかp111
一九三一年九月一八日 「柳条湖事件」p115、柳条溝と思っていた、当時の新聞にも「溝」と書かれ感違いではない。
一九三二年一月二八日 第一次上海事件p123
五月一五日 五・一五事件p128
V 日中戦争はどのように準備されたかp155
一九三五年一一月二五日 冀東防共自治委員会(後に冀東防共自治政府)p166
一九三六年 二・二六事件p173
一九三五年 「抗日救国のために自由を求める宣言」 p193
一九三四年一〇月 「長征」p192
一二月一二日 張学良「西安事件」p200
W 日中戦争はどのように始まったかp205
一九三七年七月七日 盧溝橋事件p207、私は盧溝橋を挟んでの対岸どうしの争いと思っていたが、同じ岸側の盧溝橋のすぐ近くでの争いである。p207の地図では、北が左になっているのでわかりにくい。
七月一二日 「北支事変」、九月二日には「支那事変」と命名p222
八月九日 大山事件p232、この事件についての知識はなかったが、中国との全面戦争になる重要な事件である。
八月一五日 近衛内閣の「帝国政府声明」(=暴支膺懲声明)p247
八月一六日 南京渡洋爆撃、『東京朝日新聞』「我が飛行機は全部帰還せり」p253
八月一五日 上海派遣軍、軍司令官松井石根大将、松井は・・中風を患って、p255、軽度と考えられるが確かなようだ。
九月二日 閣議において、「北支事変」を「支那事変」と改めるのを正式決定p261
九月一九日の南京爆撃の記録「南京空襲部隊戦闘詳報」p271
下関p307、シアカンと呼ぶのか。p307
一二月一三日南京陥落p314
12月12日 パナイ号事件p315、著者はこの事件を“真珠湾攻撃への序曲“とみる。

「日中戦争全史」下を読む。
X日中戦争はどのような戦争だったのか〔1〕
国民政府「壊滅」をめざした大作戦の展開ー一九三八年
一月一八日、近衛首相、「・・国民政府の壊滅を期するにあり・・」p24 小沢開作(小沢征爾の 父、一〇三二年満州協和会設立)p24
三月二八日、中華民国維新政府(粱鴻志、典型的傀儡)p27
五月一九日、中国軍退却後の徐州を占領p33
一九三八年、蒋介石武漢撤退「全国民に告げる書」p50
トラウトマン和平工作、「中国一撃論」
一九三八年、陸軍ペン部隊、林芙美子、深田久弥、川口松太郎、尾崎士郎、丹羽文雄、岸田國士、久米正夫、滝井考作、片岡鉄平、浅野晃、佐藤惣之助、中谷孝雄ら、海軍ペン部隊、菊池寛、吉屋信子、佐藤春夫、吉川英治、小島政三郎、北村小松、浜本浩ら
詩曲部隊、西条八十、古関裕而p44
Y日中戦争はどのような戦争だったか〔2〕
海南島の慰安所p63
「南機関』アウンサンを軍事訓練p66
「総合国策十年計画」日本の協同経済圏、東部シベリア、内外蒙古、満州、支那、東南アジア諸邦、印度及び太平洋p72
スターリンの大粛清p73
一九三八年七月三〇日、張鼓峰事件p77
粛清、二万四七四人が銃殺p82
第一次ノモンハン戦争第二次ノモンハン戦争p86
一九三九年、ドイツの勝利で南進論沸騰
「大東亜共栄圏の樹立」「大東亜新秩序正しくの建設」「八紘一宇」p110
一九四〇年九月二六日北部仏印武力進駐の対抗措置として対日クズてつ輸出全面禁止p113
一九四〇年一〇月一二日大政翼賛会結成p115、一一月「大日本産業報告会」「農業報告連盟」九月「部落会・町内会・隣保班・市町村常会整備要綱」一二月「情報局」p116
一九四〇年一九四一年、「無季俳句」新興俳句弾圧事件p117
一九三七年国共合作以降、敵後抗日民主根拠地(略称、抗日根拠地)、辺区政府p112
「治安掃討作戦」「三光作戦、三光政策」、中国語の「光」は何もなくなるの意p121
八路軍、百団大戦p121、太行根拠地、晋察冀根拠地p122
徹底的に敵根拠地をはい滅掃討しp123
汪精衞、日本では汪兆銘p131
一九四〇年八月一五日「統一戦線工作の展開についての指示」p134
(2)中国の2の戦場における勝利なき戦いp136
6重慶爆撃ー世界史上空前の長期かつ大規模な都市無差別爆撃p144
海軍の最大の関心と目標は、日中戦争を利用して仮想的アメリカ海軍に対抗できる海軍の軍備拡張と戦闘力強化を実現p140
日本海軍航空隊は、村落・民家焼却のため、焼夷弾を使用・・・p145、日本が先に使っていたのか。
一九四〇年五月一七日五月一七日・・ 百一号作戦p146
零先の登場p156
一九四一年六月二二日、ドイツ軍ソ連に侵攻p170
2「開特演」ー対ソ戦発動準備p171
朝鮮人慰安婦一万人p174
3南部仏印進駐から対米海戦準備ヘp178
七月二五日在日本資産の凍結令、米国砲艦ツツイラ号事件・・八月一日対日石油全面禁輸p181
堀場一雄、「大東亜戦争は十六年(1941年)七月二十五日開始せられたり・・」p182
フライングタイガーp185
一九四一年七月・八月、北進派(対ソ海戦論者)、南進派(対米英開戦論者)、北進南進反対論者(日中戦争解決論者)の対立p192
6アジア太平洋戦争開戦の決定p194
一九四一年九月ー日「昭和十六年度帝国海軍戦時編制」の実施p194
アメリカの対日石油全面禁輸の措置が日米戦争開戦決定の引き金p194
山本五十六連合艦隊司令長官「・・初め半年間か一年間は随分暴れて御覧入れる。然しながら二ネン三年ともなれば全く確信は持てぬ。・・日米戦争を回避するよう極力御努力願いたい」p195
一一月二六日、「ハル・ノート』p203
海軍統帥部から「海軍は戦えない」などといえる情勢ではなかったのである。p206
海軍のセクショナリズムからくる「身内の論理」が、日本国家と日本国民の命運よりも優先されたのである。p209
陸軍に対抗して海軍の軍費・軍備拡張するために・・・p211
(1)陸軍の「あ」号作戦の発動p212
阿南軍司令官、後陸軍大臣、国民に一億総玉砕の決意を説いた軍人p221
[日中戦争はどのような戦争だったのか・3・p227
一九四一年一二月八日午前一一時頃、宣戦布告書を駐日アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリア各大使館に手交、同日アメリカ、イギリス対日宣戦布告、九日中国国民政府、日本・ドイツ・イタリアに宣戦、一一日、ドイツ・イタリアがアメリカに宣戦布告p228
一二月二二日、アルカディア会議、「ヨーロッパ第一」p230
一九四二年一月一日「連合国共同宣言」(大西洋憲章四一年八月一二日)p232、中国の抗日戦争が世界反ファシズム戦争の一翼p233
中国戦場は日本が総力戦としてアジア太平洋戦争を戦うための食料・資源・労働力などを収奪して供出させる総兵站基地p287
治安地区・準治安地区・未治安地区/淪陥区・蚕食区・解放区p239
「治安粛清」「治安粛正」p242 「独混」p243
一九四二年一一月「大東亜省」p252
(一)北支の戦略物質を徹底的に集めて、できる限り多く日本に送り、戦争遂行に資する。p253
(3)治安戦(三光作戦)の諸相〈2〉  食料・物資・資源の略奪p254
汪精衞政権、最高国防会議において、全国商業統制会、四二年一一ください大東亜省p261
劉少奇、反清郷闘争p263
ガダルカナル作戦を立案した参謀本部の主役は、田中新一作戦部長・服部卓四郎作戦課長・辻政信作戦班長p269
一九四二年四月一八日 、ドゥーリトル隊の日本本土空襲、日米開戦のわずか四ヶ月後、p272
一九四二年四月三〇日、浙江省の飛行場を破壊するための浙・作戦p273p275
中国大陸の航空基地から米軍機が日本本土を空襲するのを防禦するための戦争ヘp276
一号作戦(大陸打通作戦)p286
一九四四年四月中旬から四五年二月上旬まで総兵力五一万人、一五〇〇キロp289
第二三軍は一二月二四日、南寧を攻略し、北進してきた第二一師団と合流p291
マリアナ沖海戦敗北、サイパン島陥落、東條内閣総辞職p291
(3)大陸打通作戦の実態、藤原彰『中国戦線従軍記』より、p297、堀啓『中国行軍 徒歩6500キロ』より、p301、阪本楠彦『湘桂公路ー一九四五年』からエピソード、p307
終章 日中戦争に敗れた日本p317
一九四四年九月一八日、参謀総長から関東軍総司令官に作戦任務が命令、「蘇国に対しては極力戦争の発生を防止す」P321
(今更だが、ソビエトを漢字で書くと、蘇緯埃か、知らなかった。)
「関東軍総司令官は・・・北鮮における対蘇戦準備を実施すべし・・・」「咸鏡南道・咸鏡北道、平安北道・平安南道』、ほぼ38℃戦以北P322
「満洲国」の大半の防衛を放棄P323
連合国による「中国戦区」、タイ、ベトナム、ビルマも加えられP326
ビルマ北部、雲南省西部、日本軍戦死傷者三万余人、中国軍戦死二万六六九七人戦傷者三万五五一一人、P330
満洲では、関東軍主力は満州南部と北朝鮮ヘ行ったので、急遽入隊させられた現地日本人成年男子や満蒙開拓青少年義勇軍出身者が防衛P337
中国での軍事裁判、一四五人が死刑、対日協力者は三六九人が死刑P345
あとがきP364
本書がアジア太平洋戦争開始以降の日中戦争の戦場について、実態に即して叙述した歴史書の先駆け有ることが理解していただけよう。p368
著者は先駆けとしており、謙虚である。

日中戦争はどのような戦争だったか、ノモンハン、南京事件などは新書などで読んだが、本書で以って広く全体を見渡せることができた。ひとつの事件、ひとつの事変、それだけで大部の本になるもので端折られた部分はあるが、私にとって初めて日中戦争を俯瞰できた。
太平洋戦争開戦に海軍が大きな役割を果たしていることも知った。

[2020 年4月27日]
佐藤優著「獄中記」岩波文庫二〇〇九年刊を読む。
(獄中記といえば、オスカーワイルドなのだが)
序章
和田洋一『灰色のユーモア 私の昭和史ノォト』
ヨセフ・ルクル・フロマート
第一章 塀の中に落ちて
六月一三日
語学の勉強は記憶力の強化に繋がるので、所与の条件下でよい「玩具」
六月一八日
ドイツ語に取り組む。「漆塗り方式」
外交政策・・日本としては「西側の一員」として行動することが国益にかなっており、それ以外の選択肢はありえませんでした。
六月二七日
ハーバーマス『公共性の構造転換』国策捜査を考える上で参考になる論点
「能動的知性」、ハーバーマス『認識と関心』
第二章 公判開始
七月三〇日
UCCザ・ブレンド117
八月七日
私はプロテスタント(新教徒)
プロテスタントの世界で「善」とされていたことが、カトリックの見方では「悪」
八月二二日
拘置所内には野良猫もたくさん住んでいる
八月三〇日
役人生活の中で明らかに思考力が弱っているので、今後、一年になるか一年半になるかわかりませんが、拘置所独房内の勉強でこの遅れを取り戻そうと思っています。
九月一日
「何事にも時がある。時が満ちて初めて、次に進むことができる」コヘレトの言葉3・1
九月三日
国策捜査・・被告が「ウソツキ」であるという印象を公判を通じて世間に植えつけ
人間の幸福は国会という器次第でいかようにもなる・・国家とは、学術的に見るならば想像の政治的共同体、すなわち、人為的産物
九月一四日
シモーヌ・ベイユ
第三章 獄舎から見た国家
九月三〇日
「反知性主義」
一〇月一三日
永山則夫、カロリーブック
一〇月一四日
検察が事実の断片を繋ぎあわせ、それでも足りないときは事実を作り
知識人というのは、自己の利害関係がどのようなものでを認識した上で(つまり、自分には偏見があるということを認めた上で)、自己の置かれた状況をできるだけ突き放してみることのできる人間
一〇月一六日
廣松渉
一〇月一七日
モルトマン『創造における神 生態論的創造論』
一〇月二七日
チェチェンとロシアの歴史的関係
一一月一八日
ドストエフスキー・・革命思想からキリスト教に転向した知識人、 一二月三一日
特に好きな作家はミラン・クンデラと高橋和巳
紅白歌合戦
第四章 塀の中の日常
二月五日
『近代の超克論』『マルクス主義の地平』
ナチズムがドイツ人の病理現象・・バルト・・ビスマルク等のプロイセンの伝統にそもそも問題がある
三月四日
アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』・・・カント的アプローチ
三月三一日
「タマちゃん」
四月九日
楠正成、佐々木道誉、高師直・・ユングのいうところのトリックスター
宇野弘蔵
五月一五日
白装束集団
少数派に対する弾圧というのは、国家が国民の意向に反して行うのではなく、国家が国民の声(実際はメディアによって煽られ、「作られた世論」) に応えて行う・・・
五月二六日
フス
五月三〇日
真言立川流
六月一五日
中野重治、転向
第五章 神と人間をめぐる思索
六月二九日
廣松渉、『ドイツイデオロギー』、エンゲルスが主導、モーゼ・ヘス
ヘーゲル体系はもとより、フロイトの精神分析学もマルクス主義も全てキリスト教の普遍性に包み込むことができる。
七月五日
資本主義システムの強さは、その強靭な生き残り能力にある。
ソ連型社会主義が内側から腐って逝った最大の要因は「性善説」を基本に
社会主義化の危惧がないので・・・福祉や所得のの再分配についてそれほど神経質になる必要はない。
七月一二日
小泉改革、「機関車」論、持続的経済成長を前提
国策捜査・・政治ゲームの一局面・・「思考する世論」
八月六日
「刷り込み」
八月一五日
愛(コリントの信徒への手紙1 十三・4・13)
「究極的なもの」、信仰(信念)、希望、愛
八月二〇日
ワーグナーは反ユダヤ主義
八月二二日
ギリシャ語「テロス』(終わり、完成)、歴史が終わるときは、メシアが到来し、人類が救済される、・・キリスト教では、イエス・キリストの出現により担保
ナチズムはルター派の伝統なくして生まれてこなかった。
ユルゲン・モルトマン・・「敵を愛することは・・
ビリニュス血の日曜日事件
八月二六日
柄谷行人「ヒューモアとしての唯物論」
第六章 出獄まで
九月六日
プーチン政権にブレジネフ事大のにおいを感じる。
「まず第一に家庭の安全を気にかける父親が多くなりすぎた。、官僚ではないが私も
勾留期間一年を経た頃から、将来の夢がどんどん小さく成っている。
九月七日
中東地域におけるイスラエルの発展・強化は、・・日本にとっても死活的に重要視です。??
九月一四日
フーコー『監獄の誕生』
小泉政権の誕生以降、・・日本人(政治エリート、学術エリートの大多数を含め)は、いつの間にか物事の論理や構造や意味をよく理解できない人たちになってしまった。
ヘーゲル『歴史哲学講義』
政治家自身は自分は自分がどのような理念を体現しているか自覚していない。・・・このような政治家の人生は必ずしも幸せではない。そしてやきもちやきの人たちはそのようなの不幸を見て、「いい気味だ」と喜ぶのである。
時代は「ポスト冷戦後」に入った。・・・古典的な帝国主義の時代との連続性を強くもつようになると僕は見ている・・・レーニン〈 『帝国主義論』
九月二〇日
廣松渉『資本論の哲学』
幸い、僕には接禁措置が付されており、これは他の囚人とも接触させないということなので、独房生活を安心して送ることができた。
九月二三日
ナショナリズムの力というのは究極的に自民族(国家)のために自分の命を提供することができるということにあります。
僕自身、ある限定をつけた上で「ナショナリスト(愛国者)」であることは間違いないし、
僕の基本メンタリティーが・・・宗教人なのだからと思う。
カレル・チャペック『山椒魚戦争』
九月二七日
廣松渉は「役割」と「役柄」を別概念と規定する。
一〇月五日
ボーンヘッファーは・・「もはや神という作業仮説はいらないのではないか」とも考える。
終章
付録
ハンスト声明、鈴木宗男衆議院議員の第一回公判に関する獄中声明、現下の所感、東京拘置所にて、冷戦後の北方領土交渉は,日本外交にどのような意味をもったか、「塀の中で考えたこと」
岩波現代文庫版あとがきー青年将校化する特捜検察ー

佐藤優のナショナリズム等に共鳴できない部分があるが、知識量知識力には驚嘆すべきものがある。
多種の書籍を掲げ自慢たらしさを感じる一方、文献を明記しているのはありがたい、思想形成がわかるような気がする。

何頁だか忘れたが、本の斜め読みはその本に関連する知識等がなければできるものではないというようなことが書いてあり、確かにそう思う。逆に斜め読みができるような本は読む必要もないということか。

ゴーンもこの本を読んでいれば。

[2020 年3月3日]
・(すが) 秀実著「革命的な、余りに革命的」ニ〇〇三年作品社刊の第四章を読む。
第四章 大江健三郎における保守的革命主義の帰趨(早稲田文学二〇〇一年五月号)
1ブント創設の時代
『青年の汚名』「セヴンティーン」『遅れてきた青年』『叫び声』『性的人間』『日常生活の冒険』等々の、性的イメージを固執するの作品・・ネガティヴな側面が色濃いとすれば、『われらの時代」は例外的にポジティブ
文学全集「われらの文学」・・・吉本のみが入ることは、この時代のヘゲモニーが、われらニューレフトのものになりつつあった・・
注1に、「われらの文学シリーズ」は・・・埴谷雄高『死霊』を復刊したことで名高い学藝書林版「現代文学の発見」シリーズよりも、はるかに潜在的かつ大衆的な影響力があったと言える。と書いているが、私にとっては『死霊』だった。
2全学連とわれらの時代
ブント路線を確立
にもかかわらず、『われらの時代』のその後の歴史に対する積極性も、まずは、この無知とリアリティーの欠如にかかわっている。
日本の六八年革命においては全学連運動がポツダム自治会として批判され、任意の個人・集団の連合体としての全共闘が組織された。
3先験的な故郷喪失の感情
黒田寛一 「不幸な若者たち」として故郷を回復することの不可能を神経症的に濫費すること、そして、それ自体を故郷として生きることしかありえないといえる。
ルカーチ/ハイデッカーの「保守的革命主義」は、大江や長崎によって、このようにして六〇年/六八年に導入され、位置づけられた。
第三世界論・・・大江健三郎の慧眼は、早くも、五〇年代末の時点でそのことを洞察していたといえる。
長崎浩「叛乱論」
「われらの時代」の予見性は、そこに描かれた「アルジェリア」=第三世界が、主人公のファンタジーにほかならない・・・
4 パラノイア的磁場からの逃走
・・・「不幸な若者たち」のパラノイア的行為は失敗に帰することを宿命づけられているのである。・・・
大江的「故郷喪失」の最終的な審級とは、「本当のこと」を言おうとしながら、決してそれを言えないーからそんなものは存在しないー状態のことである。
きたるべき六八年革命とのかかわりにおいても重要な小説である理由は、「言説の責任者」たることを決定的に放棄した、このいいかげんさのうちにしかない。
大江に変わって、学生アクティヴィストたちが愛読したのは、より生真面目に神経症的/パラノイア的な、高橋和巳の『散華』『邪宗門』 といった小説であったということになっている。
大江的その無責任こそが真に六八年的革命性にほかならない。大江の戦後民主主義者としての言説に配慮する必要性は全くないだろう。・・・簡明されるのは、『万延元年』における「数」のテマテェィックの無責任な増殖を論じた、 蓮見重彦の『大江健三郎論』を待たねばならないのである。

[2020 年3月1日]
今まで全く知らなかった小説家大田洋子の代表作作品『屍の街』(日本の原爆文学Aホルプ出版)を読む。
とにかく戦争はこの間すんだんだね。そのくせ俺たちは戦争のために死んで行くんだぜ。p26
市民たちまた云いはじめた。なぜ京都と広島を大切にのこしておくのだろうかと。京都は花の都、それから広島は水の都だから、アメリカの別荘地にするためだと。p29
広島・・・軽く舌の先でものを云っているような地方弁のひびきは、東北弁の重厚さに比べて対蹠的である。p39
私が同じ戦災者の仲間でなく傍観者だったら、やはり同情よりも嫌悪が先に立ったかも知れなかった。p83
事務員たちは煙草を吹かしたり、そっぽを向いたり、いろんなことを聞き合わせる戦災者たちを、てんで相手にしなかった。p85
「そんなに泣くと兵隊になれんけエ、泣きなさんな。」p94
戦争が終わったのちに、なお、空襲の傷で死なねばならぬということの撞着。p100
今度の敗北こそは、日本をほんとうの平和にするためものであってほしい。私がさまざまな苦痛のうちにこの一冊の書を書く意味はそれなのだ。p101
私どもは原子爆弾を怨むことさえ忘れていた。p101
これまでの生活も簡易なものと思っていたのは、間ちがいであったことに気がついた持ちすぎてその圧力に押しつけられて、精神まで俗悪化されていたのだった、p114。
ずーっと気にしていた佐伯綾子はやはり原爆で亡くなったんだろうか。

これを読んで、すぐに浮かんだのは原民喜である。爆心地から原民喜より若干遠いところに住んでいたが、被爆し怪我し、凄惨な状況を体験しているといってよいだろう。

[2020 年2月8日]
第六十二回芥川賞受賞作古川真人作「背高泡立草」(文藝春秋三月特別号)を読む。
奈美が母美穂といっしょに島の納屋の雑草刈りに行く。
私には、母と娘の名前がどっちかどっちかわからなくなってしまう。
「そりゃ、うちの生まれた頃から吉川はあそこよ。ほら、今は新しい家の建ってるところが、戦争の前は吉川があそこで酒屋ばしよって、それから引っ越したとが、古い方の家よ」、新しい家と古い家、わかりにくい。
途中で、上海への雄飛、鯨の漁の話が挟まれる。はっきりいって今までの受賞作のなかで一番面白くない小説だ。
今までは選評はほとんど読まないのだが、選評を読んでみる。
「同じ場所に確実に異なった時の流れを交錯させるのは、この作者の真骨頂だろう。・・・正直、毎回この一族の物語を読むたびに、また付き合うのか、と感じていたが・・・」(山田詠美)、選者は古川の過去の作品を読んでおり、その関連のなかで評価したわけか。初めて読むと作品の重層性などわかるわけがない。本来、芥川賞は新人の作品を対象にしたもので、今回の授与は禁じ手じゃないのか。

[2020 年2月2日]
「大江健三郎とその時代」を読んでいて、「偽証の時」が意味ある作品のようなので、図書館から大江健三郎全小説第一巻(新潮社)を借りて読む。「偽証の時」は初出文學界一九五七年十月号であり、文藝春秋社の「死者の奢り」には掲載されているが、新潮社のには掲載されていない。短編で全小説ではp75-101である。
あらすじ
歴史研究会に属したばかりの女子学生「私」は木田と二人で縛られ監禁されている偽学生を見張っている。
偽学生は逃走し、 木田は逮捕され、「私」は逮捕されなかった。
警察の捜査では監禁の現場を改造し、偽学生は監禁の現場を指摘できず、裁判で教官は監禁はなかったと証言した。
監禁はなかったとの、学生、偽学生親子の集会で、監禁を事実と訴えるが、笑い飛ばされてしまう。

女性の独白体の小説はこの頃にもあったわけか。
学生運動に最も近い小説ではないないだろうか。澱、陳腐な表現と今は思われているが当時はそうではなかのか。「私」以外は被害者を含めて全員が偽証というのは無理な感じがする。

次いで「石膏マスク」を読む、大江健三郎全小説ではp63-72の短編。 「近代文学」(一九五七年十月一日)に掲載されたのことで関心があったのだ。
同じ号にどんな作品が載ったかネットでチェックすると、
レオナルドの問題/中田耕治、 / 1〜7 、 小特集・戦後文学批判/ / 8〜17 、 主体的思考の欠如--戦後文学の流行性について/佐古純一郎 / 8〜10 、 「記念碑」・「奇妙な青春」批判--「特攻くずれ」と「党員くずれ」の問題/吉本隆明 / 10〜13 、 危機意識の喪失--「荒地」をめぐつて/唐川富夫 / 13〜17 、 手帖/ / 34〜41、 小説「草木染」とその作者/山室静 / 34〜34 、 地曳網/飯島衛 / 34〜36 、 日本に来た「漢学家」たち/小野忍 / 36〜37 、 死の舞踏/氷上英広 / 37〜38 、 官僚主義/杉浦民平 / 38〜41 、 ストゥルトゥス、ポリティク/植谷雄高 / 41〜41、 状況・組織・人間(座談会)-3-/埴谷雄高 他 / 18〜28 、 文芸時評/進藤純孝 ; 唐川富夫 ; 佐伯彰一 / 29〜33 、 あるサルタンの話 他二篇 アフリカ民話/山室静 訳 / 42〜46 、 狂つた時間-3-/窪田精 / 47〜59 、 花のある回帰-2-/与田準一 / 69〜80 、 石膏マスク/大江健三郎 / 60〜68、表紙/井上長三郎 、 カット/原誠 ; 柳田麗子
となっている。

あらすじ
整形外科で兎口(現在では口唇裂)の手術をした「僕」は手術した病院で、協議会の連絡誌の編集をしている。その病院の女事務員との物語である。
美容整形外科の手術の前後の石膏マスクを整理する。
そこからこの題名が産まれた。
事務員の女性も整形手術をしたことを知る。
「君は羞ずかしがることなんかないんだ。それは一つの弱みにすぎないよ」(最終行)

「石膏マスク」はドキッとする題名だが、より「近代文学」に載せるほどの小説とは思えない。
この全集第一巻で読んでない小説がもう一つあった。
「部屋」(新潮一九五九年六月一日)、十頁程度の短編である。
憂鬱な青年、彼はインポテンツである。ハーフの子供マギー。黒人女性により、不能ですあることが再確認させられる。不能を語る十頁。
《地獄は隣の部屋までやってきているのだ、そしておれの部屋だ》
他の本に再録されなかった理由もわかる気がする小説だ。

どうでもいいことだが、「大江健三郎全小説第一巻」(新潮社)に掲載された小説は全部、目を通したことになる。

[2020 年2月22日]
山本昭宏著「大江健三郎とその時代」人文書院二〇一九年九月一日発行を読む。
題は「漱石とその時代」をまねたものだろう。
副題は「戦後」に選ばれた小説家
はじめにp9
注、本書は、基本的に、大江の発言や評論を重視している。つまり、大江の小説を解釈する際には、まずは作者自身の言葉から小説を説明しようとする。・・p13、私は小説は小説として読みたい。
序章 四国の森から東京へ ーーー一九三五〜一九五七年p17
小説「火山」はあちこちにでてくるが、「奇妙な仕事」より前の作品で出版されておらず、内容は不明だった「火山」が本著でその概略がわかる。p34〜
「疲れ」p34
p37注に(「三・一四事件」をモデルにした小説として「偽証の時」がある・・)としている。
私には三・一四事件が不分明。
これを機会に「偽証の時」を読む。
《宏大な共生感》p46
第一章 「政治の季節」のフロントランナー ーーー一九五七〜一九六三年p49
「持続した怒り」を持つことができず、「疲れすぎて」おり、p50
大江が感じたら学生運動への違和感p52
「エリート」だという認識p54
柏原兵三p54
当時の読者たちに斬新な印象・・第一に、「屈辱的な立場」から逃れようとする取り組みが、失敗に終わっていく姿や、・・二点目は、「一貫してセックスのにおいのするイメージ・・」p68
読んで行くと、私がなんとなく理解していたことが、曖昧は曖昧ということではっきりとしてくる。
「刑」p75
サルトル「人間は自由の刑に処せられている」(存在と無)ネットからの借り知恵
「政治少年死す」p97、山口二矢は十七歳、当時私は十六歳、衝撃だった。初めは低劣な右翼少年と思っていたが、何ゆえにそのようになったのか、自分にもその可能性があるのか。高い関心があった。
大江健三郎の一ファンではあったが、文學界で読んだ「政治少年死す」には共鳴するものはなかった。山口乙矢を追及したのではなく、山口二矢をモデルではなくヒントにした小説であればさもありなんか。
第二章 〈周縁〉の共同体、共同体の〈周縁〉 ーーー一九六三年〜一九六七年p113
「この部分的核実験禁止条約の評価をめぐって第九回原水爆禁止大会は紛糾し、最終的に分裂してしまう。」p118とあるが、 原水禁大会の分裂は「全ての核に反対」するか、「社会主義国の核」を容認するかにあったと当時認識していた。
大江が賞賛するノーマン・メイラーの長編小説『鹿の園』p135、あったはずだ、大江がらみで購入だったか。内容はまるっきり忘れた。
注、「火見子」のモデルは「キーコ」・・モデル探しの欲求をかき立てるのは、一九八〇年代以降の大江の小説の特徴である。p137
「疑ってみることに意味はなく」あくまで自分が選びとったことに意味があると述べる大江・・p140
一九六一年・・・ソ連の核実験を養護するサルトルに大江は賛同していたが・・広島県取材を経て大江が「すべての核兵器にたいする反対」へと態度を変更p148
万延元年のフットボール「青い金網の向うの夏の葉かげのような青っぽい薄明のなかに、・・・・・」p154、講談社文芸文庫ではp78
・(すが) 秀実「革命的な、余りに革命的な」p159、・という漢字が大字典にも載っていない。
「鷹四」は隠しつづけてきた「ほんとうのこと」を告白する。それは、白痴の妹との近親相姦とそれによる妹のみ妊娠・自殺・・ p163、そんなシンプルに考えていいのだろうか
「羽田闘争」p163、確かにあったなあ。
北川は、大江の大衆像がそもそも空洞であるがゆえに、・・p165、納得できる。記憶は定かではないが、小林多喜二が「党生活者」で個人は描かれているが、大衆は描かれていない、「蟹工船」では大衆は描かれているが、個人は描かれていないというような批評があったということが記憶の片隅にある。
大江・江藤の対談、大塚英志「概念をもってキャラクター化しようとする大江と、現実の人間を「文学」化することでそこに何とか「他者」を描きだそうとする方法上の違いが鮮明になっている」p167
「走れ、走りつづけよ」p168、読んでない?
第三章 抵抗するものたちの実存と構造ー一九六八〜一九七九年p183
「核時代の隠遁者」
一九七〇年代後半、見田「自分たち自身がとくべつに何かの行動しなくても、この現実の世界というものは、かれらに満足しえる環境を用意してくれるだろうし、現にそのようにしてくれているというイメージ」p217、シラケ世代
第四章 「祈り」の共同体へー一九八〇〜一九九九年p239
ポスト・モダンの実践としての小説p243
「雨の木」関連が相当する小説である。
「僕」は「大江健三郎」という作者に近づいたり離れたりしながら、自由に物語を語る。p244、井口時男「・・「生きること」と「書くこと」を統一・・」p241、私には「雨の木」関連は読んでいて面白くなかった。
ロス『さようならコロンバス』p247、読んだような記憶があるのだが。
ネットでチェックしたら、
集英社一九六五年刊「世界文学全集 二十世紀の文学」第十九巻、J.ボールドウィン[篇] もう一つの国(野崎孝訳) フィリップ・ロス[篇] さようならコロンバス(佐伯彰一訳) J.ボールドウィンと『もう一つの国』(野間宏)
がある。ボールドウィンの名前にも記憶がある。但し、内容はまるっきり覚えていない。
ブレイクと『新しい人よ眼ざめよ』p250
客観的には日本社会の内側にいるにもかかわらず、当人の意識としては、息子とともに社会の外側にいるように感じられるー。p250
前後を切り取った引用部分だけを読めば、それが小説の文章なのか、社会評論のそれなのか、見分けがつかないはずだ。言い換えれば、そうした自由な語り口を身につけた・・・p256
連合赤軍事件の傷痕p256
「内ゲバ」p258
内ゲバが書かれた小説はピンチランナー調書だと思うが。
大江は、野間宏、大岡昇平、原民喜、大田洋子、武田泰淳、堀田善衛、そして、中野重治や佐田稲子、さらには太宰治までを挙げて、これらの戦後文学者に共通する態度を指摘している。それは「能動的な姿勢」である。p260、同意するかどうかは別として、大田洋子については全然知らなかった。読んでみよう。
サルトルの「溶融集団」・・革命的暴力によってではなく、隣にいる他者たちや、過去と未来の他者たちと溶け合うことによって、自分がその共同体に在ることの意味を感受する可能性を描こうとした。それこそが「懐かしい」の意味ではないか。p265
「人生の親戚」
「イエスの方舟」p267
『治療塔』『治療塔惑星』は『ピンチランナー調書』における「転換」や八十年代の「祈り」といった主題を、こんどは「再生」として語り直している。p273
戦後民主主義的な態度・・・「流れ解散」p286
「サッチャン」・・・「戦後民主主義的」な個人が性の深奥で壊れてしまうこと。それへの恐れと熱望もまた、大江文学の特質であり、p290
スピノザ・・・神・・・「ヤハリ、神ノ声ガ聞コエナクテハ、イケナイノカネ?・・オレハ神ノナシデモrejoiceトイウヨ」p299
『晩年様式集』では独立性した小説作品としての完結性ではなく、小説なのかエッセイなのか見分けが付かない自由なスタイルが模索された。p313
「親密な死者たちとの共同体」という危険な閉鎖性を、生者たちとの対話のなかで「古義人」が自ら突き崩して過程も描かれている。p314
おわりにp315
あとがきp323

副題「「戦後」に選ばれた小説家」とあるので、核に関わるものだけでなく大江の政治性、思想性を明確に示されるのを期待したが、九条の会に触れることもない。
この一冊でそこまで著すことは難しいのだろう。
著者山本昭宏は一九八四年生まれ、若い!将来を期待できる。「大江健三郎とその時代」はその二、その三と書き続けられるだろう。このような本を読むと、自分が曖昧に感じていたことがその様なことだったかのかと理解の進むことがある。

大江文学の全体を見渡すのに「大江健三郎ー自分自身を語る」がよさそうと思っていたが、こっちの方がよさそうである。
[2020 年1月25日]
『カラマーゾフの兄弟』は三回読んでおり、もう二回くらい読みたいと思っている。記憶力が弱い私には何回読んでも面白いのである。しない亀山郁夫著NHK100分de名著「ドストエフスキー カラマーゾフの兄弟」が本屋にあるのをカミさんに教えられ購入した。この番組はほとんど見ていなく、TVで見るよりテキストを読む方が私には合っている。TV放映は昨年12月だった。

『カラマーゾフの兄弟」の亀山郁夫訳がでたときには、誤訳があるとの批判があったが、「最後まで一気に読み通せる訳にすることに腐心しました。」p9とあり、そのような批判も覚悟のうえだったのだろう。
小説には作者の意図がどうあれ読者それぞれの読み方があり、翻訳小説に至ってはそれぞれの翻訳が、更にそれぞれの読み方があっていいだろう。
浅い読み方は浅い読み方でいい。
かって、解説書は読まず直接作品に接した方が良いと考えていたが、今は解説書で知識を広げてから読んでいく方がいいと考えるようになった。

亀山は「父殺し」をテーマと考える。p10、私はテーマを考えることはなかった。
推理小説的要素、宗教的要素、魅力的登場人物を考えていたが、亀山は自伝層、物語層、歴史層、象徴層と層として考える。ドストエフスキーの体験、推理小説的ストリー、歴史背景を考えていたことだ、その一部だろうが。「象徴層」は私には不明である。亀山はドラマを支配する複数の原理の対立とその解決について考える層・・神は存在するか、しないか、罪とは何か、悪とは何か・・・p19
「ドストエフスキーは、社会主義的な思想との決別、キリスト教への回帰を公にすることで作家としての社会復帰し・・」p14と書いているが、私は完璧な偽装と考えている。無神論者への執っこい批判・・・どうだろうか。
分裂した男イワンp74
第二の小説について「コーリャは、同士たちと・・・皇帝暗殺のための次の手段を画策しますが・・逮捕されます。・・・死刑判決がくだされます。しかし処刑直前、アレンドル二世による恩赦が伝えられ、・・・」と書いているが、ドストエフスキー死去一八八一年二月九日、アレクサンドル二世の暗殺が一八八一年三月三十一日で、書くとすればかなり 異なったものになるだろう。

私がいつも気になっているのが一ルーブルは何円に相当するのか、三千ルーブルはどのような価値なのかである。
一ルーブル、千円か一万円とどこかで書かれていたようだったが。
ネットでチェックしたら、一ルーブル、一千円、当時の大学教員の年俸三千ルーブルと書いてある。詳しくは「カラマーゾフの兄弟第二巻」(亀山訳、光文社古典新釈文庫)とある。
他に、幕末・明治初年のロシアと日本の貨幣換算、幕末・明治初年と現在の貨幣価値の変動率から、当時の一ルーブルは約二千二百円〜二千七百円ということになるが・・・極めて難しい問題である。 (《雑記》ドストエフスキーの世界)とある。こっちの方が妥当のような気がする。

本棚を見ていたら、NHK100分de名著「ドストエフスキー 罪と罰」亀山郁夫、二〇一三年があった。

[2020 年1月16日]
「斜陽」を読む。
今更「斜陽」でもあるまいと思うが、高校時代、太宰治に私流のレベルで傾倒していた。
ところが「斜陽」は面白くなかったのである。
「人間失格」は三回くらい読んだ。人間の弱さを描くの太宰文学の特徴で、共鳴できる作家であった。
「斜陽」は戦後没落していく華族、家の家族を描いて行く。私(かず子二十九歳)、父(十年前に逝去)、母(お母さま)、弟(直治、復員、麻薬中毒)。
華やかな華族生活が描かれていないので、没落の落差を訴えるものは少ない。
お母さまは華族の雰囲気、マナーを持ち続ける婦人、即ち世間に疎い。
復員した弟は作家上原(太宰?)を師匠とし、出版業を目指すが、実は乱脈な生活を送っているだけ。
「私」は殆ど相手にされなかった作家の上原と性行為におよび、妊娠して小説は終わる。 「これは、直治が、或る女ひとに内緒に生ませた子ですの」

蛇が象徴。

チエホフ、キリスト、 ローザ・ルクセンブルク、カウツキー

復員の正確な意味を大字典で調べると、「動員令にて召集せし在郷軍人を解散帰郷せしめ、戦時編制を止めて平時編制に復すること。」とある。

この作品では女性が主人公であり、共鳴できる要素が少ないと感じていたのだろう。

床屋のカミさんが、「太宰治を読んで自殺した人がいたんだよ」と話してくれたことが記憶にある。どんな経過でこの話しになったのか、不明である。

大江健三郎は太宰について
「・・その最後の方の作品の『人間失格』。あのなかでかれは本当に太宰治的人物を、フィクションとして完成させている。ところがそれでいて、どこか律儀に現実の自分という人物と辻褄あわせているという感じがある。短編『桜桃』なども、自分と主人公の間に直接のつながりを書きつけてやろう、それを書いておかねばならんしという、まさに私小説的な律儀さがある。そうやって小説を書き続けていくと、現実の自分と書かれた太宰に、最終的に辻褄を合わせるには、結局、作家は自殺するほかないですよ!・・・」(大江健三郎 作家自身を語るp312)と語っている。
『桜桃』では、父が、父がと語れるのが、私になって、「太宰という作家も、このごろは軽薄である、面白さだけで読者を釣る、すこぶる安易、と私をさげすむ。」
大江の見解は的を得ているように思えるが。
むしろ私生活における女性関係へのアモラルさが心中となったと考える。辻褄合わせようとしたのは自決した三島由紀夫ではなかろうか。
大江は強い、自信家である。

『斜陽』では、かず子が語り、上原は太宰治だろう。
『燃えあがる緑の木』では、サッチャンが語り、Kちゃんが大江であり
類似性を感じる。
太宰にも障害のある子息がいた。

贋作太宰治作品はないのだろうか。

  [2020 年1月9日]
阿部公房著「箱男」新潮社一九七三年発行を読む。
以前に読んで、面白くなく途中で止めてしまった。
あらためて読んでみた。
 段ボール、電気冷蔵庫が入るような大きい段ボールを腰まで届くようにして被って生きていく(?)男の物語である。
ぼく
一人の箱男p12
男Ap12
ぼくが五万円で箱を売る。p20
ぼくの贋者p59贋箱男p65
男Bp77
男Cp120
・・・箱を脱いで、ぼくの素顔を見せ、このノートの真の筆者が誰であったのか、真の目的はなんであったのかを、君にだけ性格に知らせておきたいと思う。p147、そんなことは書かれていない。
少年D
「白状するよ、ぼくは贋者だったんだ。」p170
「箱から出るかわりに、世界を箱の中に閉じこめてやる。・・・」p188

わけがわからない小説、だからシュールというのか、まさか?
ダンボールを被って歩いても買い物しても異様に思われない。見えていないような存在だ。
閉じこもりたい、欲望として確かにある。 地球は丸い、矩形ではない。地球上で矩形なのは特殊な岩だけだろう。家は箱だ。

かって読んだとき、 段ボール箱に入った男の小説で、仕事では段ボールも関連もあり、荒唐無稽を強く感じだのかもしれない。

[2020 年1月5日]
毎日新聞書評欄「今週の本棚」の中で阿部和重著「オーガ(二)ズム」、鴻巣友季子評があり、「まず特筆すべきは、語り手/主人公が「阿部和重」である点だろう。ジョイス、ナボコフ、大江健三郎と羅列するまでもなく、「オーサー・サロゲート(作者代理)を登場させる現代小説の技法は昔からある・・・

[2020 年1月1日]
貴田庄著「小津安二郎と「東京物語」」ちくま文庫二〇一三年十二月発行を読む。
0 本書は映画論ではなく、「東京物語」の作成の過程を淡々と書いていく。
シナリオの共同執筆の過程は無理だが入り口を知ることできる。
ローアングルへ意味合いを知ることができなかったが、世界を眺めるのに鳥瞰、俯瞰が知られているが、ローアングルでも世界を観る事ができる、別な世界を観ることができということのメッセージではないのだろうか。匍匐前進の軍隊経験がもたらしたものであろうが。
フィードアウト、フィードインのかわりに映像を入れる、本書でこの秘密を知ることはないが、選ばれた映像であることは確かだ。
[2020 年×月×日]
「燃え上がる緑の木」第一部新潮文庫
一応女性のサッチャンが語り手となっている。阪田寛夫作詞の童謡「サッちゃん」、太宰治の「スタコラさっちゃん」。太宰に「すたこらさっちゃん」の題名の作品はなく私の記憶違いであることが判明した。ならば、「すたこらさっちゃん」の記憶はどこから来たのかネットで調べてみた。
「ヴィヨンの妻」に確かに「さっちゃん」が登場する。
「スタコラさっちゃん」は山崎富栄を太宰がスタコラさっちゃんと呼んでいただけのようである。
田河水泡ののらくろにスタコラサッチャンが出てくるようだ。
スタコラさっちゃんが何故記憶に残っているのだろうか。当時(高校時代、大凡五十年前)、太宰治について書かれたもので記憶にあるのは、佐古純一郎「『太宰治におけるデカダンスの倫理』現代文藝社、1958」?、奥野健男「『太宰治論』(1956年、近代生活社)」角川文庫で読んだような気がするのだが、山岸外史「『人間太宰治』(筑摩書房 1962)」の三冊で、そのいずれかに書かれていたのではないのだろうか。
太宰の「生まれてどうもすみません」が山岸の一行詩だったことも当時知った。
『ヴィヨンの妻』を読み、フランソワ・ヴィヨンを知り、後年「ヴィヨン詩集成』(天沢退二郎訳2000年白水社発行)を購入した。( 『ヴィヨン詩集』 鈴木信太郎訳、岩波書店 1965年)の頃は買う余裕はなかった。)

両性具有のサッチャンが語り手。LGBTがメディアに取り上げられている昨今、先取りしていると言えようか、サッチャンは両性具有なので、LGBTsかLGBTQIANIになろうか。
もちろん大江は少数者差別の問題としているのではなく、「両義性」に絡めているのだろう。
第一部「救い主」が殴られるまで
第一章蘇りとしての呼び名p7
夕まずめp8、釣り用語で日の入りの前後、前にも調べて大江健三郎はそんな言葉にまでと、造詣が深いなと思った。ネットで調べたのは身につかず、今回調べて、そうだったと思い返した。
アメノウオ(アマゴ)の解禁日は三月なので小説の季節は今のところ不明である。
夕立、落雷p29
森の外縁をかすめるようにして、台風が通過していたのだ。・・翌日からは、この土地の秋口によくある、高地の夏のような陽気だった。p41
夏の勢いがぶりかえした暑さに、p53、九月の初めということか

第二章「童子の蛍」p64
童子、わらべ、五歳以下の子供を思い浮かべるが、酒呑童子の伝説もある。
K伯父さん来る。p66
ーヒカリさん、p89、ヒカリさんも来ていたのか。
シーガルp99、ジョージ・シーガル、アメリカの彫刻家
鞠躬如(きっきゅうじょ)としたp101
曽我十郎の首塚p107、ネットでチェックしたら内子町に実際にあるのだ。

第三章最初の説教p121
全国紙の記者p122
亀のアキレスp124、私にもちょっとそんなところが
「・・元気をだして死んでください!」p126、このことはあちこちに書かれ、本作品にも取り上げられており、「燃えあがる緑の木」は集大成の作品といえるのかもしれない。
タカラ椅子に腰掛けた心臓病の子供p135、登君かp256
ジンp151
中野重治p156
カジp159
小児癌の少年カジp165
「ただ僕が怖いのは、自分が死ん後でも。この時間が続いていくということです。」p168
「・・もう一度、赤から青になるまで待とう、その一瞬よりはいくらか長く続く間、このシュガー・メイプルの茂りを見ていることが大切だと。・・・」p171 「この世界に生まれてきて、ある期間生きる。つまりひとりの人間の現実の人生があるわけね。その前と後とで、両方とも永遠に近い自分の居ない間の、寂しさ、恐ろしさがどうして違うんだろう?」p174
「限られや生命の私らが対抗しようとすれば、自分が深く経験した、一瞬よりはいくらか長く続く間の光景を頼りにするほかないじゃないか?」p174
第四章「転換」p179
さっちゃんが正念場から女性になった章であり、 ここから舞台は東京となる。
ザッカリーの訪れた能登の妙成寺p186、金沢市内の忍者寺は妙立寺だ。金沢市は大江の親友安江良介の出身地なのである。
「竿」p186

第五章 森の力は恢復しているか?
aa・・自分の命よりも、あなたのいのちが大切だと私は思う。p238
例の花田という全国紙の記者p241,243q、暗に本多勝一を指しているような。
私は幾重にもかさなる山なみの、暗さに濃淡のある大きい紺色の環を時どき見上げていた。p251、?
ミツp260.261,272
ーーーこれだけの数の読んだ本にしか、自分が生きた証拠はないのに!p267

第六章 kajiという記号p278
花田記者p284,293
ミツはイッセイのジャケットが衿足を隠してしまうまで背中を丸めて座っている。p295、???
湖のなかの柳は芽ぶいているし、p302
、 kaji、受けとめる感じ方の単位p298
亀井さんp321
ギー兄さんの窮地

第七章 「燃え上がる緑の木」p325
ギー兄さん、糾弾される、暴力を受ける。
花田p333
死体遺棄やないか!p340、オーバーを木の根方に埋めたことは、死体遺棄罪、埋葬法違反となるが、それを掘り出し、湖に投じた亀井さんらは死体損壊罪になるだろう。
春蝉がしきりに鳴いていた。p345
ギー兄さんの役割も、あなたは棄てていいのじゃないかと。p350
オーバーの法螺話に乗せられてしまっただけかなあと、p352
サッチャン
ーーー・・・私はギー兄さんを、「救い主」として発見し、理解し、受容することにしました。p367
「燃え上がる緑の木」という暗喩(メタファー)についてp367
花田記者、本多勝一を擬しているのか。ネットをチェックすると私の勘違いでもなさそう。

「燃え上がる緑の木」第二部新潮文庫
新潮文庫の「燃え上がる緑の木」は書店にはない状態で第一部と第三部は古本屋で求めたが、第二部は見つからなかった。NHK100分で名著で「燃え上がる緑の木」が紹介され、新潮文庫が書店で並ぶようになり、文庫本で「燃え上がる緑の木」第二部を求めた。単行本は電車の中では読みにくい。
「燃え上がる緑の木」第二部 揺れ動く
第一章 イェーツに導かれてp7
「エヴィリマンズ・ライブラリー」のイェーツ全詩集p12 Gペンp13、懐かしい
第二章 「中心の空洞」p62
アンジのフランチェスコの修道院p57
七年前、ザッカリーは「屋敷」を出発した後、九州を経て東京に戻り、あらためて成城学園前を訪ねていた。p77
"Dear LoadGod,I earmestly・・p91
総領事には、怒り狂う老人mad,old,manを自己演出p92
第三章 正直いって神はあるんですか?p109
《ゾシマ長老・・・幼な子を辱しめる者は嘆かわしい。》《青年よ、祈りを忘れてはいけない・・・》p134
人間存在の破壊されえないことの顕現が、・・・本当にわれわれの教会が成立すると私は思う。p156
第四章 気象のフィードバックp160
第五章 「死に至る手続きの数学的記述」p207
地盤調査が終わった日、・・建設会社員・・古泉君・・東工大の先生の慰労会を、p209
われわれはその早い顕在化に向けて祈ろう!p216
総領事のギー兄さんとの最後の旅p229
六月十日、水曜、チューリッヒーザルツブルク、p222
ヒカリさんの、CD!、p226、大江健三郎の親バカぶり、実に嬉しい
ワーグナーの「指環」・・・ソシテカレラハ自分ラ丿人生丿、アル到達点ヲ感ジトッタノジャナイダロウカ?p231
老泰斗p234、新発意p235、
Kちゃんも憐れだなあ!p235 死後・・魂があるとすれば、私は憐れじゃない。魂がなくなるとすれば、その時、私は存在しないから、こちらの場合も憐れでありようがない!p236
マイステル・エックハルトp236、神聖ローマ帝国時代の神学者、異端 『トリスタンとイゾルデ』の最終部分アリアp241
『新曲』《さてわが高き想像はこゝにいたりて力を缺きたり、・・・》p241
・・寛大ながら決して譲らないまなざし。私が眼を伏せる前に、総領事の方が窓の外の青葉へと輝く眼をそらされた。p243、いいな
この総領事にどういうわけか6俳優の「平泉成」を連想してしまう。
伊能三兄弟p243
自家用車の耕運機p243、農民車だろう
オユーサンのお兄さんの秋田君が、p248、伊丹十三のことなのだろうが、秋田君とは大江にしては恐ろしいくらい平凡な名字。
ボルヘス・・可換性・・Kは、かれの三部作を通じて、次のように描出した。可換性は谷間の属性であるものの、それはただちに主人公の「死」を意味するものだと。p251
この三部作とは、「揺れ動く 燃え上がる緑の木」が「新潮」に発表されたのが平成六年一九九四年六月号、「おかしな二人組」三部作の『さようなら、私の本よ!』の「取り替え子」は二〇〇〇年発行、ということは「燃え上がる緑の木」三部作が既に上梓済みということにしているのか。
Kは、流出=生、帰還=死という〈生と死の場〉の仮想された地形を構築しています。それが、Kが描出したひとつの「世界モデル」なのです。p253
第六章 薔薇の奇蹟p258
詩『揺れ動く』p259、が両性の間にいるサッチャンだろうが、ザッカリーによる詩の解説がわかりやすい
蓋を外して脇に立てかけられているお棺のなかの、・・p261、蓋がじゃないのか
orme pleureurp263
The man and the Echo p266
他出しているギー兄さん・・p266、他出、外出ではまずいのか、大字典で調べると、他出、他行と同じ、他行はよそへいくこと。外出は載ってなかった。漢和大辞典を調べれば更にわかるか。
魘されるp270、うなされる
《・・自分の命よりも、あなたのいのちが大切だと、私は思う、・・》p277、親が子を思う気持ちを考えれば、
ー・・・肝臓を四分の一・・・p278、妥当な数値、大江の厳密性
”There is a balm in Gilead"p278、ネットでこの曲名を検索すると、この黒人霊歌をyou tube聴くことができる。
ーイェーツにそうした夢の詩があって・・・・《それはおれの夢の片割れだった・・・p287、どんな題名の詩か?
シェークスピア夫人への手紙・・p288、シェークスピア夫人(イェーツの友人オリビア・シェークスピアでヘンリー・ホープ・シェクスピアの妻)、イェーツが52歳で結婚したジョージ・ハイド・リース25歳はオリビアの姪であり、オリビアの娘ドロシーの友人。
炎のような舌に・・p289?p281にあるのだ。
荒先生の「集落の教え一〇〇」p297、原広司著「集落の教え100」彰国社一九九八年刊
第七章 アレクサンダー大王のてんかんp306 真木雄がさきのギー兄さんの子供ではない・・・・p318、韓国人の女がな、自分の子供は、・・・p323、さきのギー兄さんが、・・改名する前の名前・・p324
シンクレティズムp335
恩寵p338
第四楽章・・次の楽章に、p340、交響曲は第四楽章までかと思ったら、マーラーの「第三番」は六楽章まであるのだ。
《世界は深い、昼が考えたより深い。・・・》・・《おまえはどうしてここに居るのか?・・》p341
スッポンp343、この地域で、スッポン は馴染み深いものなのだろう。それで他の小説でスッポンと格闘して料理することも不自然でないわけだ。
「話柄」p345、擦り切れた「話題」ではなく、敢えてこのような熟語を使う大江の意図はわからいわけではないが、これも大漢和辞典でチェックしておきたい。
アサさんが・・・お祖母ちゃんと直接の血縁の濃さ・・・p346、エッそうなのか?それではK伯父さんもか?、私の読み違い?
「救い主」p347
今まで章の見出しに関心はなかったが、この七章の見出しが気になっていて、p353でわかった。映画『アレクサンダー大王』において、隊長がてんかんの発作を起こし、苦しんでいる、哀れな体調を見ないように、部下たちが背を向ける。黙するギー兄さんを擬しているわけだ。

第三部 大いなる日に
第一章 『アウグスチヌス「告白」講義』p7
地形学(ルビ、トポロジー)p7としているが、トポロジーは幾何学の一分野であると考えていたが。
まず行為があって、次に受苦があって、そして認識があるという・・これがギリシャ悲劇の基本だ、p12
プルオーヴァーp14
『自己と魂の対話』p25、岩波文庫版に訳あり。
ヒカリさんの音楽に・・・K伯父さんはブレイクに結びつけて・・・p41、『新しい人よ目ざめよ』であろう。
イーヨーp41、『静かな生活』
第二章 神は不幸の苦しみを慰めないp51
中野重治・・《・・おれやこのあいだ伝通院の横を夜通ったら、・・》p52、?
うしろに蹴とばすようにバスケット・シューズを脱いでいた。p57、バスケのシューズってそんな風に脱げるものなのか?
岡さん、真由美さんp58
パンセ、ab・tir p61「〜を愚かにする」
古いアメリカ映画に出て来た時計屋そっくりのハンサム、p72?
神があることのあかしがその苦しみで、p71
今もひとつの章だって通して読むことができない。注意力の訓練は必要だとつくづく感じるわ。p75
注意そのものの効果力・・p76
岡さんとマユミさんは、自分たちがひとつのたくらみで結ばれていた・・・p78
建設会社の専務p89
第三章 絞首台の諧謔(ギャロウズ・ヒューマー)p95
絞首台の諧謔の意味がわかりにくいのでネットで調べてみた。
「花田清輝は、敗戦直後の1949年に『ユーモレスク』と題した一文を記し、そのなかにこう書いた。「ガルゲンフモールとは、事態のすべての推移を、悲喜劇的なのとして、一切の価値関係を顛倒させることによってうまれるのだ」。ガルゲンとは絞首台、フモールは諧謔。」 (ブログ:高橋龍太郎の一匹狼宣言)より。との記載があった。
高橋龍太郎についてはまるっきり知らないが、妥当であろう。
外務省事務官遊佐君p98
鼈甲縁の眼鏡の老人が、p101、誰?大江の創作?谷崎あたりを思い浮かべたいのだが。
評論家のE教授がね・・・
ー・・・知恵遅れの子供をメシの種にしているといえば、さらに下品になるけれど、事実は事実だもの!・・p106、大江は小説の中で自分の作品なりを批判させている、これは批判でなくて非難だろうが、厳しいものだ。
移し植えp118
居職p123
ギー兄さんが襲撃された・・p124
二十本を超えるテープ・・すべて鳥の声・・幾年にもわたってそれを聞き続けていた家庭。・・・無残さ・・・グロテスクに閉鎖した家庭生活だったのではあるまいか?p130
あなたはどのようにどのように苦しんでいるのですかp135
南アの女流作家・・・p136、ナディン・ゴディマーさんだろう。
第四章 担い・背負・救い出すp137
面河川(おもごがわ)p139、真木川や甕川は創作だが、面河川は実在。
タンデム・トレーラー、中津渓谷、p141 オダ深山p144、
予表論?『みずから我が涙をぬぐいたまう日』p152
汝(死)p155
殺害に失敗した革命党派の別働隊が、面会時間も短くね、p160
撓めるp161、たわめるは工学的な意味でしか使ってなかった。
『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老の一節、p162、カラマーゾフは三回読んでいる、読む力がないのでゾシマ長老に関する部分がわまりにくい、解説本の力を借りるながらもう二回くらい読みたいものだ。
伊豆で岡さんが読んでいた本がシモーヌ・ヴェイユの“Attente de Dieu”p164であることがわかる。
シモーヌ・ヴェイユ《ひとりの子供が足し算をして、間違いをすると、その間違いには、子供の人格の特徴があらわれる。・・・》p167
原書の言葉が読めないときは、日本語の翻訳に別の外国語によるそれを並べて読むのが、次善の策。p168、大江健三郎レベルの話だろう、隠されているエリート臭プンプン
光がどのようにして地上に現れたか・・p170、ヴェイユだったのか。《極度の不幸は・・・釘なのだ。・・・》
ヒュポモネー、パティエンシア p177
古泉君は・・・と、スーパーのレジに立っている新妻の母親から聞いていた。p174、(スーパー経営者の奥さんの妹と恋愛して結婚p142)、大江の小説に固有名詞を出さず、新妻とは珍しい。
/ ザッカリーは・・シーヴァス・リーガルを水で割って、わずかな量をゆっくり飲んだ。p215
第五章 五百人浜以上の兄弟に同時にp182
犬寄峠p183、この小説に何度か出てくる地名なので、スマホで検索したら実名なのだ、寺山修司の詩か戯曲に出てくるような名称で、大江の創作かと思っていた。
頌(じゅ)、じゅと読むのか。
夜ぐるみ、道元《夜深けて月白うして滄溟にくだる》p187、それは道元の夜とも十字架の聖ヨハネの夜とも違うのやないか、p188
Noche Oscura、p191=The Dark Night
フラナリー・オコーナー、p192
碍p194、礙p195
さきのギー兄さんの夢の光景は、p210
タカチャン・・・心の熱さはそのおぎないとならない。p219
「浅間山荘」・・・殺されてしまった人たちのことは、どのように救援するんですか、タカチャン、p221
本当に原理的な、マルクス・レーニン主義者p222?
「コリント前書」《・・・次に五百人以上の兄弟に同時にあらわれ給えり。》p233
第六章 七十歳の両性具有者p238
業を煮やしたスエ子が(註。さきに蒼い顔をして脇に立って、とふれられていたメンバーは彼女を指すわけだ)、・・・p251、「蒼い顔で 」は七行前、註は何故必要なのか。
ナニカ・ナニモノカ、「救い主」p258
南方熊楠・・・「萃点」p268
カート・ヴォネガットp279
ホレイショに呼びかける気の毒なプリンスが、p268、ハムレットからか?どのあたりなんだろう。
ポスターは、・・・往年鳴らした男娼の現在、というキッチュ肖像写真p281
第七章 魂の暗夜p285
ジョージ・ケナン・・・《われわれがそれについて話している文明は、われわれの世代のみの所有ではない。われわれその所有者ではなくて、単に保管者なのである。・・・》p293
しかしそのような侮蔑を働きたくない相手をひとしく神と呼ぶなら、私たちはひとつの神の前にある。p294
おいたと・・・p296?、『暗い夜』、おいたと話p298
una noche oscura, ome dark night' 暗い夜。p300
栄養士の資格を持った家庭料理担任だった荻野さんp301
イノセンス、傷つけるという意味のラテン語noceoにinという否定を冠したものだ、p305
警察はかれらの戦闘部隊を泳がせているのではないでしょうか?p316
『日曜日には鼠を殺せ』p326
第八章 分裂p331
自分が死んだ後は、次の「救い主」候補を押し立てて、さらに繋いで行ってもらいたい。それが続いてゆきさえすれば、自分は確実に「救い主」に繋がることができるのだから。p338
ブルガリアのモナステリ式の教会・・p345、?
一方には・・・組織化して、つまり教会全体を広げて、戦闘的なかたい集団に・・・もう一方は、・・「救い主」の巡礼団・・暮らしの頼りになるものはすべて棄てる、p347
イグナチウス・デ・ロヨラp348
ブレイクの新時代p377
終章 大いなる日、義(ただ)しい者らの行進p379
サルオガセp285
大檜下辺の太い枝の奥からこまかな炎が群がって噴き出していた。p386
亥の子突きp391
*** しめくくりに「救い主」を殲滅することで、自分らの余生を国家権力にゆだねようとしたわけ。p400??
考えてみると、誰が投げた石が致命傷をあたえたのかは特定できないわけで, ・・・p401、なぜ人は人を殺すのか探求して欲しい。
ギー兄さんの死は、教会と農場と巡礼団すべての統一を回復した。p401
伊藤静雄の『鶯』・・・《(私の魂)といふことは言えない/しかも(私の魂)は記憶する》p408
あの世では会うことはできません。p409
Rejoice!

「燃え上がる緑の木」を読むのは三度目になる。一度目は単行本刊行の時で、後に単行本を購入したのだが、第三部は掲載された新潮で読んでいる。 そこまで期待して読んでいたのか、その点に関してまるっきり記憶がない。大江健三郎だから読むだけ読んでおこう、その程度だった。
二度目はこのHPの作成後、大江健三郎を読み直してみようとなった二〇一六年十一月で、HPを振り返ると、記憶が薄くなっているのが、悲しいかな明らかだ。

読み終えて、大江健三郎の知識の広さ深さは、文学領域の知の巨人である。
小説家、詩人の引用、宗教、四国のミクロコスモス等の集大成といえるだろう、てんこ盛りの盛り沢山でもある。その意味合いでは、後期大江健三郎の代表作とするのに意義はない。
しかし、この小説がノーベル賞相当の作品とは頷けない。
ノーベル文学賞にノンフィクションも該当するようになっているので、石牟礼道子はノミネートされるべきだった。

「魂」と「祈り」、「燃え上がる緑の木」の結論なのだろう。
政治的党派によるゲバルトも大きな要素としてあるのだが、小説としてのリアル性に欠ける。
終章の「世界伝道の行進」が結論なのか。

NHKの100分間で名著で採り上げられたのをきっかけとし、三回目の読書になったわけである。

この小説の結論は「魂」と「祈り」。
covid19によるpandemicに対し、ローマ法王の祈り、教会での祈りが報道されている。
祈りは政治に人類個人に訴える、しかし、どこまで力となり得るのか。
ギー兄さんは惨殺される。その後希望は見えない。宙返りも同様。
大江は「魂」と「祈り」に疑問を持ちつつ、そこに託すしかないと考えているのだろう。(2020.04.13)