瘋癲読書日記

瘋癲読書日記 読んだのを書き止めて置かないと読んだかどうかも忘れてしまう侘しい瘋癲老人の遅読読書メモ。
スマホで書くのでミスタッチが避けられないのは残念だが便利(週一日記もスマホ)

[2021 年12月11日]

毎日新聞2021この3冊上、私の購入したのは鴻巣友季子が挙げた「謎ときサリンジャー「自殺」したのは誰なのか」だけである。

[2021 年12月8日]

内田愛子、吉田裕、中田善秋、

[2021 年11月26日]

岩波ブックレット、駒込武編「「私物化」される国公立大学 」岩波ブックレットNo.1052、2021年10月15日第二刷発行、を読む。
はじめに  駒込武 p2
第一章 大学が「私物化」されるとはどういうことか
ー下関市立大学
下関市立大学の私物化を許さない教員有志・・・p8
第二章 自由の風が止むとき・・京都大学  駒込武・・・p19
第三章 政治に従属大学へ・・筑波大学  佐藤嘉幸・・・p32
筑波大学より先端を走る近年の大学改革モデル校、金沢大学・・・p35
第四章 歯止めなき介入、変貌する大学・・大分大学
大分大学のガバナンスを考える市民の会・・p45
第五章放逐される総長・・北海道大学  山形定・・・p56
第六章 教育界に逆行する教員養成「改革」
ー福岡教育大学  江頭理江・喜多加実代・・・p66
第七章 権威主義化する大学「経営」イデオロギー
東京大学  田中純・・・p77
おわりに  光本滋・・・p90

[2021 年11月6日]

ソン・ウォンピョン著「三十の反撃 」矢場暁子訳祥伝社二〇二一年八月発行
1 一九八八年生まれ p7
ソウルオリンピック
2 その叫び p16
3 ジョンジンさん、私の親友 p31
半地下 p42
4 最小限の労働 p44
イ・ギュオク
5 椅子 p52
魔法の椅子
6 転覆、亀裂あるいは遊び p70
7 光が見えたね p87
8 灰の山で踊りを p106
9 あるお母さん、あるお父さん p116
「本当に美味しいから食べているんですか?」「いや、言ったろだろ。寂しいからだって」 p129
10 最初の反撃 p136
11 正反対の命題 p146
12 老いた市民 p161
13 自己啓発の時代 p172
14 ビー p186
15 逃亡 p198
16 存在の確認 p207
人は本を作り、本は人を作る。p212、今でも私は信じている。
17 消えてしまったロマンス p221
18 皆さん! p249
19 遠くの他人 p231
20 空白のチャプター p268
21 本当の、ホントの、私たち P274
決まった椅子のない場所 p277

三十代女性が、社会に係わり、どのように生きてきて、どのように生きていくか。 登場人物も存在感がある。軽そうで軽くない小説である。

注がある、韓国文学を邦訳するのは難しいのであろう。日本語と韓国語とは似ている、即ち、微妙な違いがある。
ジャズ、ロック、音楽が取り上げられ、その知識があれば楽しい小説なのだろう。私はとんでもない音痴なのが残念。
中国からの日本語(言語学?松本清張?)を勉強している留学生が韓国語は日本語に似ているから韓国語も勉強するんだと、言っていた。方美子サン?兪Eさん?

[2021 年10月31日]

「大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア-序章-」 は学生の頃購入し、RSに貸すか与えるかした。今回読んだのは野崎孝/井上謙治訳新潮文庫昭和五十五年発行、平成十七年三五刷。
大工よ、屋根の梁を高く上げよ 野崎孝訳
兄シーモア 伍長 自殺、わたし 陸軍病院に入院、双子 ウォルト 野戦部隊 軍隊で事故死  ウェーカー 参戦拒否者の強制労働場、ブーブー シーモアとわたしの間 婦人予備部隊の海軍少尉、ゾーイ 十三とフラニー 八つ p13
車 p25、補助椅子 p27、シルズバーン夫人、花嫁の介添役 p29、小柄な老人 p39、介添夫人の夫 中尉、右隣の客人 p47、細君 p48、
ミュリエルはシルズバーン夫人の義妹の娘 p51
シーモアっていう人には同性愛の気 p53
リア p54
本物の精神分裂症の傾向 p54
フェーダー夫人 介添夫人 p55
五人目の乗客を・・・例の小柄な老人を p61
介添夫妻、老人、シルズバーン夫人、バディ、これで五人か?  
前の補助椅子の左側にバディ、その右にシルズバーン夫人 
後ろ席の左側に中尉、その隣が介添夫人、その右側に、小柄な老人 
これでいいわけだろうが、補助椅子というのが、わかりにくい。
ビリー・ブラック p61、ジョージ・ブラック p62、バディ・ブラック p63
ミュリエルのお父様のおじさん p68
ティッシュ・ペーパー p77
ボブ・・・中尉 p82
トム・コリンズ p84

「大工よ、屋根の梁を高く上げよ。アレスさながらに、丈高き男の子にまさりて高き花婿きたる。先のパラダイス放送株式会社専属作家アーヴィング・サッフォより、愛をこめて。汝の麗しきミュリエルと何卒、何卒、何卒おしあわせに。これ命令である。予はこのブロックに住むなんびとよりも上位にある者なり」 P89
(サイギョウ曰くーーー) p92
ミュリエル・・・M・・・ p95、なぜ使い分けるのか 
『識別なき態度』・・・老子 p100、?
シムズ博士、シャーロット p101
一オンスのウィスキー p106
ストゥープ・ボール p110
パーウィック夫人・・中尉の「家内」 p114
ベーダンダ哲学 p122

倒序式小説 ? 

シーモア-序章- 井上謙治訳
俳優たちと同席すると、・・・・p126、カフカからの引用・・・p132 
それは(比喩的に言えば)あたかも・・・・p126、キェルケゴールからの引用・・・p132
わが読者つまり、あなた p127
早咲きの括弧(((())))の花束 p129
傍白 p131、傍白小説
フロイト p138 
長兄シーモア・グラースは・・三十一歳のとき・・自殺・・p139
「シーモア第一部」 p140
饒舌家 p144 独白、長広舌 p145
シーモアについて・・二つの短編小説・・一九五五年に出版・・・一九四〇年代末・・・p147
二人の弟の一人は・・元海外伝道牧師兼通信員だったが現在蟄居中 36歳、もう一人・・無宗派の俳優ゾーイ 29歳、妹 うら若き新進女優のフラニー 25歳 財力ある中年の主婦ブーブー 38歳 p151
兄の詩を手放し出版 p152
日本の詩にも深く心を惹かれ p153
一茶・・蕪村・・子規・・芭蕉  p158
シーモア・・・日本語やドイツ語やイタリア語で書いていた p163
一九七〇年 p164
一八四編の詩はどれをとってもシーモア自身に実によく似ている。 p164
シーモアは半分ユダヤの血をひているし p168
シーモアは自殺した日の午後、ホテルの彼の部屋の備えつけの吸取り紙に、きちんと古典様式のの俳句を書いている p172

今更気がついたが、p127から全然改行がないのである。この作品を詩と考えるべきなのだろうか。饒舌には改行がない それだけのことか。

この一連の肖像画を描きあげなければならぬとすれば p187
死んだ弟のウォルトにしても、戦後日本で死んだが p187
おまえとZとぼくが・・p203、シーモアのメモから、Zはだれ?
ルイ・ヴイエ、マクス・デュ・カン、 p206

つまり、わたしの折紙つきの権威ある器官が教えてくれるところによれば、体をまるめるときに持っているといちばん楽しい「重要なこと、いっさいのこと」は、火がついたようにあわててシーモアを胸中から吐き出すようなことをしない人間・・・p210、この小説を読者に理解させないための文、こんなのが多い、英語なら面白い言葉遊びになっているのか 

わたしはいつだって出発地したいと思っている p213
Sの髪の毛に話を戻そう p214
正直太郎オネスト・ジョン p217、懐かしい?
告白的文章・・・鼻につく p217
こうしたべたべたしたことのひとつひとつが必要なのだ。 p221
ある種の文学的「キュービズム」 p222
バーミツバの客 p225、ユダヤ教なのか
さしつかえない(b)みんな半円形をしていて p228
ショーペンハウエル p230
アイラ p262
ダヴェガの自転車 p265
禅が急速にかなり汚れた流行語になりつつあり、 p269
「聖人ハ躊躇シテ以テ事ヲ興シ、毎キヲ以テ功ヲ成す」壮子第ニ十六 p267
あのチェーホフいじめのうるさ型サマセット・モーム p274

[2021 年10月13日]

J,D,サリンジャーチ著「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年間」金原瑞人/訳、新潮社二〇一八年発行の一部分を読む。
○マディソン・アヴェニューのはずれでのささいな抵抗 p7
○ぼくはちょっとおかしい P19
○最後の休暇の最後の日 p39
○フランスにて p67
このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/This Sandwich Has No Mayonaise p79、初出一九四五年
ホールデン、ヴィンセント軍曹 p82
軍曹、ヴァレンタイン・アヴェニュー ブロンクスの近く p83
ファージー p84
メンフィスとダラス p86
ポーター兵卒 p87
レッド、フィービー・コールフィールド、ミナーヴァ、ハート、カーキー・モリス、ホールデンはフィービーの兄 p90
中尉 p92
ミス・ジャクソン p93
ポーター(メンフィスとダラス) p94
オストランダー p95
中尉バディ、セアラ・ジェイン p97
兄さんのローブを着て海岸にいくのも、・・・やめて、テーブルについてくれよ・・・・・。p98

○他人 p99
○若者たち p117
○ロイス・タゲットのロングデビュー p133
ハプワース16、1924年/Hapworth 16、1924 p151
シーモア・グラースが七歳のとき(一九二四年)、家族に宛てて書いた手紙。
父レスと母ペシーは元舞台芸人、子どもは五男二女、一番上の兄シーモアと、一番下の妹フラニーと十八歳 違い、シーモア七歳の本作の時点ではフラニーとすぐ上の五男ズーイは生まれていない。
次男バディ作家、大工よ、屋根の梁を高くあげよ、シーモア序章 (編集部)、初出 the New Yorker p152

僕の名前はバディ・グラース。
死んでしまった長兄?長兄、シーモア・グラース・・・シーモアは自殺・・・一九四八年。三十一歳だった。 p153
ベアトリス「ブーブー」は長女、双子のウォルターとウェイカーは三男四男 p154
グリフィス・ハマースミスも僕と同じ七歳。 p161
ぼくはまだばかな子どもで、 p165
この人は、どこからどうみても、子どもを利用して自分の評判を上げるという才能にたけている、 p179
パディが・・短編を六つも・・・五歳の男の子が・・・ p183
原因はなんであれ、ぼくたちはどちらかが死ぬときには、もうひとりが必ずやその場にいるはずだ。
つまり三十年かそれ以上は生きると思う。
ふたりの息子のバディはもっと長く生きるはずだ。p192
ぼくの場合は急ぐ必要がある。p203
「理想」というのは人類の幸福のために大昔からずっと取っておかれたものなんだ! ぼくはそれを、希望に満ちた、理にかなったゆるさと呼びたい。 p223
奥深いところには必ず貴族階級への羨望、嫉妬、飢餓感があって、ぢ食糧をよこせ、貧困をなくせと叫んで戦っているのは、逸れを目新しい粧いで巧みにカモフラージュするためだ・・・p226
qアッシジの聖フランシスが・・・p236
あの「灯り」がはっきりともっているときしかみられない。 p240
もう一度、五万回のキスを、バンガローの七号のふたりの生意気な息子から、愛をこめて。じゃあ、また。S・G p247

7歳の少年が書く手紙(小説)、異様である。チコちゃんも5歳だ。

サリンジャーの小説をどう分類したらよいのか、私小説、一人称小説、独白体小説、口語小説を考えた。
口語体の小説ではなく、ベラベラしゃべって行き、それが小説になる。口語小説の分野である。

[2021 年10月6日]

毎日新聞/今週の本棚/川本三郎・評『眠りの航路』=呉明益・著、倉本知明・訳、載っており、図書館には『眠りの航路』はなかったが『歩道橋の魔術師』があり、借りて読む。

○歩道橋の魔術師 p7
○九十九階 p25
○石獅子は覚えている p47
○ギラギラと太陽が照りつける道にゾウがいた p71
わたしに・・・村上春樹の小説が好きなんだ。 p71
IKEAの白い本棚 p72
トロメオのスタンド p72
○ギター弾きの恋 p95
○金魚 p115
○鳥を飼う p139
ヤクルトは贅沢品 p140
○唐さんの仕立て屋 p155
○光は流れる水のように p173
○レインツリーの魔術師 p193
ここまで書いた九篇の物語に、・・・p193
レインツリーのふわふわした花で・・・p200
レインツリーに花が咲くのか。
Wikipediaで、モンキーポッド、別名、レインツリー、アメリカネムノキ

本の題名から堀田善衞の小説「橋上幻像」を思い出した。「橋上幻像」の内容についてまるっきり記憶がない。名前は「よしえ」、「ぜんえい」と読んでいた始末。

[2021 年10月3日]

ヘミングウェイ「キリマンジャロの雪」を読む。ヘミングウェイ短編集(下)一九八九年第八刷岩波文庫。
キリマンジャロの裾野でテント生活を送る、脚を怪我し瀕死の「彼ハリー」、その愛人「彼女」、飛行機が来るの待っている。
戦争、女達、酒、死、回想部分はカタカナになっている。
ヘミングウェイの世界だ。

この作品を読むきっかけは、コーヒーは、キリマンジャロを豆で買って喫んでいることによる。
ヘミングウェイは「誰がために鐘は鳴る」を読んだだけである。映画も観てるのだが、殆ど記憶がない。フォークナーはまるっきり読んでいない。

映画の「キリマンジャロの雪」二〇一一年フランス映画を二〇一二年七月十三日、岩波ホールで観ている。 ヘミングウェイの作品とは全然関係がなく、
労組委員長だった主人公が妻とのキリマンジャロ旅行を前に強盗に押し入いられる。犯人は主人公と一緒に職場をリストラされた貧しい青年、
この映画を観たとき「鉄道員」を思い出した。

[2021 年9月27日]

クリスマスキャロルに次いで、
佐々木徹訳「荒涼館(一)」二〇一七年発行岩波文庫を読む。
主な登場人物の頁p6がある。「戦争と平和」以来だ。
第一章 大法官裁判所 p19
ロンドン
裁判制度については末尾p515に訳注があり、これを読んでおかないとまるっきりわからない。
ロンドン、黒い霧雨、泥、泥、霧 
現在審理中の訴訟「ジャーンダイス対ジャーンダイス」 p23
第二章 上流社交界 p32
リンカシャーの邸宅
レディー・デッドロック、 リンカーンシャー、サー・レスターデッドロック、 p35
髪粉をまぶしたマーキュリー p38
タルキングホーン p43
第三章 来しかた p46
子ども時代
わたし・・・女性の独白体になる。
ドリー p46
代母・・・p47
ケンジ・アンド・カーボーイ事務所、レイチェル、p57 エスター、バーバリ
ドニー p67p68
グリーンリーフでの6年間 p71
ケンジ、クレア p79、リチャード・カーストン p80
大法官閣下 p81
エイダ・クレア 第四章 望遠鏡的人類愛 p90
エスター・サマスンの独白続く。
ジェリビー夫人アフリカに専念、
ガッピー、けんじのケンジの事務員p92
キャディーp100、ピーピィp102
第五章 早朝の冒険 p118
ジェリピーの家
例のおばあさん p123
「古瓶・古着商クルック」 p125
第六章 すっかりくつろいで p148
荒涼館へ
だれでもまず一番に考えねばならないのは自分の家のことではないでしょうか。そこがぞんざいでおろそかになっていては、ほかの丼なつとめをはたしても埋めせはできないと思います。p157
ジョーンダイス「とてもまずしい家では、子どもは「そだてあげる」のではなく、「ひっぱりあげる」ものだ・・・p166
スキンポール きんせん感覚のない子ども p168
家 p160 荒涼館
第七章 幽霊の小道 p197
リンカシャー
第八章 慈愛は多くの罪を覆う p219
私は・・・
バーディグル p238
れんがつくりの職人の家・・・p249
第9章 印と兆し p263
・・わたしは・・・
ボイソーン p269
エスターはガッピーをふるのだが、 章題の印と兆しの意味がわかりにくい。ガッピーを袖にし、ボイソーンに好意をモツということか。
第十章 法定文書代理人 p297
スナグビー、ガスター
ネモ p310
クルック 
よろい戸の二つの痩せた目がベッドを見下ろしている。 p317
第十一章 我らが親愛なる兄弟* p318
*「我らが親愛なる兄弟」は、英国国教会祈祷書に見える句。埋葬される人を示す。 p346
第十ニ章 監視 p347
リンカーンシャー
サー・レスターと奥方様
世の中には、滑らかな釉薬をかけて真実の姿を隠しておこうと合意する、p362
政治はプードルとその取り巻き、およパフィーとその取り巻きだけの問題である・・p364
「その男は死んでlりました」p371
第十三章 エスターの物語 p375
わたしたちは・・・
「医者は?」、リチャード「いいですね」 p378
・・エイダとリチャードは恋におちて・・p404
第十四章 立ち居振舞い p411
・・わたしにたいする・・・
ダーデンおばさん p413、?
ダンス学校 p427
フライトさんの屋根裏部屋 p446
第十五章 ベル・ヤード p459
ネケット p470、ベル・ヤード・・・雑貨屋 p471
チャリー・・エマ・・p474、トム p478
第十六章 トム・オール・アローンズ p494
ジョーは一日中自分の四つ角を掃除する。 p497
仲間たちがトム・オール・アローンズと呼ぶ、廃墟のような場所で・・・p498
おいらは本物の浮浪児だもんね! p506

登場人物が多く、p6が役にたった。この物語はどこに行くのだろう。ジャーン・ダイス対ジャーン・ダイスの意味も測り兼ねる。

[2021 年9月10日]

マルクスの資本論、当時のイギリスの小児労働を取り上げており、同時代のディケンズはどう描写しているのか、に興味を持ち、代表作「クリスマスキャロル」を読む。かって読んだような気もするが。
村岡花子訳平成二三年十一月発行、村岡花子は昭和に亡くなっており、村岡三枝・恵理の改定による。
監獄や救貧院・・入りたがっている者たち全部を収容しきれませんし、 p21
ローストビーフ p69、日本で現在売られているものとは違うんだろうな。

守銭奴エブニゼル・スクルージが、幽霊の案内によって、自分の過去未来を訪れ、改心する物語である。
クリスマスキャロルである。
当時どんな曲が歌われていたのだろうか。

[2021 年8月11日]

今期の芥川賞受賞を読むため、文藝春秋9月号をレンタルビデオ店GEOで購入する。コロナ関連で街中の書店に行くわけに行かないのだ。
石坂麻依作「貝に続く場所にて」
人気のない駅舎の陰に立って、私は半ば顔の消えた来訪者を待ち続けていた。記憶を浚って顔の像を何とか結び合わせても、それはすぐに水のように崩れてゆく。・・・・・
この出だし、久々に本格的小説だ。
私のようなじじいが評価するようでは先がないか?
3,11で、遺体が揚がってない野宮と私の交感、誰までが幽霊なのか、寺田寅彦も出現する。私も?
3,11を書くのは難しい。書き得たといえる。

李琴峰作「彼岸花が咲く島」
南の方、沖縄近辺のフィクションの島、砂浜に彼岸花の群れ、砂浜に彼岸花?、あり得ない、なんだこれはと思ったが、これだけでフィクション、空想の島であることに気づくべきだった。
李琴峰の想像力、構想力に舌を巻く。
荒唐無稽と切り捨てる向きもあると思うが。
女が歴史の伝承者、大江健三郎の谷間のミクロコスモスを連想する。

全く、「貝に続く場所にて」とは対照的な作品だ。
最近の芥川賞受賞作品は詰まらない、詰まらないのにニ作品か、と、考えていた。
それに、女性、(こう考えるのも差別意識か?)
今回は、どんぐりの背比べの中、優劣つけ難くニ人受賞ではなく、ふたつとも優れた作品で受賞との感がある。

「場所」が小説を産む。

[2021 年8月10日]

文藝春秋9月特別号をGEOで購入し、掲載の芥川賞受賞作を読む。(今まで書店で購入していたのだが、コロナ下もあり、近くのレンタルビデオ店GEOで購入、レンタルビデオ店もビデオが低迷のせいか、雑誌類も販売している。)
二作受賞。
石沢麻依作「貝に続く場所にて」
場所はゲッティンゲン、そこに野宮が現れる。寺田寅彦と思われる幽霊も現れる。野宮は東日本大震災の犠牲者なのだ。
完成度の高い優れた作品。
東日本大震災に関わる作品はそれなりにある。それなりのひとつになってしまいそう。
災害(?!)を描いた極北は原爆小説だ。それに一歩も近づいていない。それに近づける作品が現れてもいい頃だ。
石沢は次に何を書くのか。
一方、李琴峰作「彼岸花が咲く島」
沖縄近く、もっと南かにあると思われる「女」が支配する島の物語である。
奇想天外、石沢の作品とは相反し、完成度も一寸の作品、無関係だろうが、「百年の孤独」を連想した。

[2021 年8月7日]

重松清著「希望ヶ丘の人びと」小学館文庫二〇一一年五月刊(上)
序章 赤い夕日がこの街そめて 第一章 瑞雲先生、一喝す。 第ニ章尻に敷かれし、生徒会長 第三章 エーちゃんの伝説 第四章 港からやってきた少女 第五章 瑞雲先生、憤慨す。
重松清著「希望ヶ丘の人びと」小学館文庫二〇一一年五月刊(下)
第六章 帰ってきたエーちゃん 第七章 嵐の授業参観 第八章 瑞雲先生、落涙す。 第九章 美嘉の闘い、マリアの旅立ち 第十章 屋上最終決戦! 最終章 希望ヶ丘よ永遠なれ エピローグ 赤い夕陽がこの街染めて

[2021 年7月30日]

鈴木喜六著「平六と族」二〇二一年七月六日東京図書出版刊を読んで。

鈴木喜六氏宛に
Subject: 遅ればせの感想 をメールした。
鈴木喜六様
事情があって、読むのが遅れ、感想を返信するのが大変遅れてしまって申し訳ないで す。
まず、題名について
平六と族
鈴木喜六家一族をまとめたものと頓珍漢してしまった。
少し読めば、平六の家は有力な自作農、族はれっきとした会津藩士、代官丹羽族。
小生、育ったところ(耶麻郡塩川町、現喜多方市)が嫌いで、会津が嫌いだった。
六十歳を超え、更に七十歳を越えると、まさに凡人、懐かしく思えるようになっ てきた。
懐かしく感じ出した時には、町は廃れ、歩いていても、誰もいないような家から、よ そ者と監視されているような気がする。
貴兄の出身地、只見地方といってよいのだろう。正直、私には疎い地域だ。
グラビアの地図、これだけでも未知の部分が多く調べたくなる。
私からすると新潟市に近い地域に関心があり、かって訪れた咲花駅前に、古びた碑、 「戊辰の役 佐鳥古戦場、戊辰殉難追悼碑」(松平容保公の書)があり、ここも会津藩 だったのか。
新潟の蒲原郡が会津藩で、若松縣に含まれていたことがあり、何も驚くことはなかっ たはず。
それに比べて母成峠の碑は新し過ぎる。
ここで一寸思った、会津での薩長軍との戦いは、戊辰戦争、会津戦争、戊辰の役、正 式(?)に呼称は定められているのか、 それぞれの言葉によって意味合いの違いが感じられる。
それはさておき。
参考資料を能く読み込まれてるようで、 各地の戦いが要領よくまとめられており、会津戦争事典の風合いがあります。
会津藩は鶴ヶ城を中心にした地域で、津川方面は会津藩が治めている地域、関西にも 会津藩の領地があり、それと同じ意味合いの 領地という意味で納得。日本海まで達していたとは初耳、40里越えも初耳、恥ずかし くなる。
南会津方面は南山御蔵入領、小出辺りは幕府の直轄領で、会津藩が信託統治していた ようなものか。
今まで考えたことがないことです。(小出の地名は塩川町にもある。)
只見の方に旅行(?)したのは一度きりで語る資格はない。
昭和村自体、訪れたことがなく、野尻村を知る由もない。どんな地域にも、小さくて も政治的にも経済的にも中心になるところはある。
只見の山々の風景も描かれ、本来なら5万分の1の地図等を傍らおいて、ゆっくり読む べき書である。
(小生、残念ながらそうはいかなかったが。)
黒谷組、関係はないだろうが、京都の黒谷を連想した。
皆川弥氏p61、皆川姓の従妹の連れ合いは田子倉出身で、多少は縁があるのかもしれ ない。
数年前に会った時、郷土史をやってるんだと言っていたので、彼にこの著書を渡した いと思っている。
丹羽族の平六を伴った各地での戦闘、地理不案内だとわかりにくさがある。 貴兄には故郷の山々でなじみ深いものなのだろう。
只見川はダムが出来た後しか見たことがない。貴兄はダムが出来る前の只見川を見て るのだろう。どんな風景だったか。
「いけにえ」P72、単なるいけにえではなく、薩長の完全な権力掌握のための作戦で あると考える。
会津藩は徳川幕府というより徳川家の実力のある戦闘部隊である、 これを徹底的に潰す、水に落ちた犬を叩けであると考える、徳川家康が豊臣家を滅ぼ したように。
平六が丹羽族に触れ、係わりあうことで、成長していくのがわかる。
納得しがたいの丹羽族の自決である。 小出島の戦闘の敗北の責任ということはありそうもない。
北名郷の人口約4000人、長岡藩からの避難15000〜25000人、どの程度滞在したか不明 にしても、 かなりの人数である。
河合継之助の只見着は8月5日、水稲は端境期に近い時期、 私から見れば、南会津は林業中心の地帯、まして4公6民の時代、庄屋にはわずかに貯 蔵米があるにしても 、米は供給できない状況と考える。
南山5万石といえばかなりの石高、大沼郡辺りを入れてのことで、只見近辺はかなり 貧しかったのではないか。
農民と武士との食料をめぐるせめぎ合い(大体農民は米をどの程度食していたのか)。
一揆になりそうな状況、しかし、一揆はできない。倫理的に農民に強引に力で米を供 出させるこてはできない。
その厳しい状況の中で食糧供出を穏やかに進めたい思いの自決と考えたい。
貴兄と平六とは、繋がりがありそう、どう繋がってるんだろうか。
小生の鈴木は本郷の鈴木であり、明治の頃、神主をやっていたからだと聞いているが 定かではない。
ではまた!

鈴木様
鈴木喜六です。
丁寧な感想のメールをありがとう。
種々のご指摘、いずれも深く考えながら拝見しました。
今回の拙著贈呈に対して予想以上に多くの方から感想をお寄せいただき、 鈴木さんと同じように考えることが多くありました。
歴史とは、見る立場によって問題の大きさが異なり、 それが難しさと面白さなのかなどと感じています。
皆川弥氏は、我々の会津高校同級生。 ご友人の皆川さんも、弥氏と関係があるかもしれません。
またお話をお聞かせください。
お元気でお過ごしください。
いつの日にか会いできるのを楽しみにしております。

[2021 年5月23日]

角川文庫「サビタの記憶」昭和四十九年十月三十日発行を読んでみる。
そこに収録されている「雪の巣」が記憶にある作品である。少年兵を目指す中学生達二が女学生「私」に渡してくれた本が「国富論研究」である。
原田康子は1928年生まれ、ネットで国立国会図書館サーチをみると、出版年1956-'05、掲載誌名近代文学となっている。

[2021 年5月14日]

アダム・スミスの「諸国民の富」は「国富論」、「富国論」が一寸書名に出てくる小説があった。20代に読んだ原田康子の「サビタの記憶」のはずと思い、それが載っている「短編伝説」集英社文庫を図書館から借りて読んでみた。富国論は出てこない。「ーー論」がp108にあるだけだ。
シソウハンの言葉があるので「資本論」だろう。
ネットで当時の本を検索すると、画像から1957年新潮社発行の単行本であることがわかった。掲載されている「晩鐘」「夜の出帆」なのかもしれない。
この本は県立図書館にも市立図書館にもない。
角川文庫の「サビタの記憶」を調べてみる。

[2021 年4月11日]

関良基著「日本を開国させた男、松平忠固ー近代日本の礎を築いた老中」二〇二〇年七月 作品社刊 を読む。
この本に関心を持ったのは、攘夷攘夷と言っていた薩摩長州が明治になると開国、鹿鳴館まで作る始末、この疑問に歩く。
はじめに
開国を断行したのは、井伊直弼ではない、松平忠固である
第一章 日米和親条約の舞台裏ー徳川斉昭と松平忠優の激闘 p15
嘉永二年江戸切絵図 p37
日米和親条約 p56
第二章 日米修好条約の知られざる真相ー井伊直弼と松平忠固の攻防 p79
第三章 不平等でなかった日米修好通商条約 p147
日米修好通商条約 p150
安政の五か国条約 p150
日英修好通商条約 関税 p173
第四章 日本の独立を守った市井の庶民たち p179
中居屋 会津、紀州、上田
第五章 日本の独立を脅かした尊攘志士たち p211
江戸時代は基本的に自作農社会 ? p238
終章 近代日本の開いた政治家、松平忠固 p241
斉昭が典型的であるが、あいこくを煽る者たちほど、実際には民衆を愚民視しており、 p243
虚勢を張る排外主義者ほど、勝てない相手には卑屈に従属するようになる。その裏返しとして、鬱屈した排外主義エネルギーは、猛烈な対アジア侵略へと転化されていった。 p245
あとがき p251
アヘン戦争 1840ー1842年
アロー戦争 1856ー1860年
徳川斉昭は悪の根源、薩長はテロ事件を起こし、社会を混乱させ、権力を握る構図か。

日米修好通商条約 1858年
日英修好通商条約 1858年
安政の大獄 1858-1859年
生麦事件 1862年
薩英戦争 1863年
下関戦争 1863、1864年
日英修好通商条約剤率変更 1866年
忠固老中罷免 1858年6月

[2021 年3月20日]

中西嘉宏著「ロヒンギャ危機「民族浄化」の真相」中公新書二〇二一年一月刊を読む。
ミャンマーでは二〇二一年二月一日に軍によるクーデターがあり、その前の出版だが、ミャンマーについて知りたくなつたなったわけである。
(少年(?)の頃、「ビルマの竪琴」を読み、映画を観た記憶がある。)
はしがき
序章 難民危機の発生p1
ミャンマーの人口は約五四〇〇万人 p4
ラカイン州、ラカイン人約二〇〇万人、ロヒンギャ約一〇〇万人、チン人約一〇万人、ビルマ人約一五〇〇〇人、その他約二一〇〇〇人 p11
第T章 国民の他社ーーラカインのムスリムはなぜ無国籍になったのか p27
1 大映帝国の辺境で形成された国家 p28
一四三〇年にミンソーモン王・・ムスリムたちを兵士とする p28
イギリスによる植民地統治 p31
2 ナショナリズムの排他性 p40
共産党・・・議長アウンサン p43
ミャンマー・ナショナリズム p49
3 日本軍政下での紛争勃発 p50
タキン党に目をつけたのは、日本軍の特務機関 p51
4 独立とロヒンギャの「誕生」 p54
ミャンマー独立運動とラカイン人との関係は、協力と抵抗 p56
第U章 国家による排除ーー軍事政権下の弾圧と難民流出 p61
1 二つの軍事政権 p63
2 タインインダー(土着民族)と国籍法改正 p69
ミャンマー政府が定める一三五の土着民族リスト p77
3 難民流出による国際問題化 p79
4 国家安全保障とロヒンギャ p86
5 ラカイン人とロヒンギャ p93
ラカイン民族主義 p94
第V章 民主化の罠ーー自由がもたらした宗教対立 p99
1 軍事政権の終焉 p100
2 民主主義のダークサイド p112
「人々」が大衆か、民族か 
多数決主義・・少数民族の排除、民族浄化の可能性 
過激化の競争、競り上げ p113
3 自由の代償 p121
仏教ナショナリズム p122
右翼僧、ウィラトゥ師 p128
第W章 出撃と掃討作戦ーーいったい何が起きたのか p135
1 ロヒンギャ武装勢力の変容 p136
アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)
二〇一六年事件、「ジハード」(聖戦) p138
2 二〇一七年八月二五日 p142
3 何が起きたのか p148
4 掃討作戦の実態 p153
第X章 ジェノサイド疑惑の国際政治ーーミャンマー包囲網の形成とその限界 p173
1 アウンサンスーチー、法廷に立つ p173
ジェノサイド条約(集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約)、日本未加盟 p175
イスラーム協力機構(OIC) 、ガンビア p176
2 ミャンマー包囲網と日本・中国 p183
3 ジェノサイド疑惑の国内政治 p194
NLD関係者・・・最悪の事態(クーデター)まで想定 p196
終章 危機の行方、日本の役割 p209
1 難民帰還を阻む要因は何か p209
2 日本の役割を考える p215
第三に、国連IIFFMが提案するような、司法を通じて た処罰やミャンマーへの制裁を求めた圧力は、効果を生まないどころか、国内諸勢力の反発を生み、逆効果、すなわち人権状況の悪化につながりかねない。 p219
ミャンマー政府に対して、働きかけ支援を通じ、ロヒンギャの包摂、つまり、難民の帰還とミャンマー国民としての受容を促すことが、日本にとって最良の選択だと思われる。p220
3 おわりに p226
あとがき p231

著者、中西嘉宏は一九七七生まれ、若い世代、引用文献も多く、地味にミャンマー研究を進めている人がかずいる。

[2021 年3月7日]

宮澤縦一著「傷魂(しょうこん)」副題「忘れられない従軍の体験」富山房インターナショナルニ〇ニ〇年九月ニ刷発行、を読む。
これは毎日新聞2020年11月9日夕刊に「残虐さ淡々とつづった従軍体験記を復刊」と紹介されている。それがきっかけでもあるし、若い時分、黒沼ユリ子のコンサートを聴いた記憶があることにもよる。
目次を羅列した。


はしがき p1
一 奴隷船か、地獄船か p7
(応召より輸送船の遭難まで)
ニ 崩壊への道 p26
(比島へ、マニラ上陸ーーセブ島ーーミンダナオ島、最初の空襲から山中へ逃げるまで)
三 受傷ーー自決ーー捕虜 p54
附 現世の餓鬼道 p91
 切断を免れた足 p106
 追記 p111
「傷魂」に思う  黒沼ユリ子 p116

宮澤縦一は京都帝大の法学部卒業。少尉かと思っていたら、
私たち残留者の班長格だった軍曹は、p35 とあり、宮澤はニ等兵だったのか。
大学卒業ならば少尉と思ったが、宮澤は1908年(明治41年)生まれ、1944年5月5日応召、36歳か、これではニ等兵のわけだ。私が生まれたすぐ後に応召されたわけだ。
黒沼ユリ子は1940年生まれなので4歳の時になる。
あとがきで宮澤先生と書いているので、師弟関係なのだろう?。
気の狂った鈴木はどうなったのだろう。

本書は昭和ニ十一年大阪新聞社の復刻版である。

生還した兵士はこのような体験はしなかったし、しても僅か、また、下級兵士を虐待(いじめ)していれば書けないだろう。亡くなった兵士は体験を書くことができない。
宮澤縦一は、ぎりぎりの段階で奇跡的に生還し、この書を残した。
戦死者を抱える親族は名誉の戦死をこのようなことと考えることは辛いだろう。
小学校の同級生だった森田紘造君の父君は戦病死と聴いていて、戦病死なら楽かなと、小学生の頭で考えていた。とんでもない話だ。
私の父は病死なので戦死だったら軍人恩給が出るのになあと思っていたことがあった。
子供の頭は残酷でもある。

ニ刷ということは、売れているということで良かった。

小学生の頃観た戦争映画、雲流れるはてに、人間魚雷回天、戦艦大和、アチャコのニ等兵物語、いずれも好戦的な印象ななかったが、今考えるとかなり美化している。シベリア抑留の映画を観たような記憶があるのだが、思い違いか。

[2021 年2月日]

藤田宜永著「喜の行列 悲の行列(上)」講談社文庫2011年11月刊、図書館から借りて読む。
なんでこの本、読むことになつたんだっけ!
ネットで調べたら、1月31日朝刊の余録に、コロナウィルスの影響下、密が避けられているのに、対照的に行列を描いたこの小説を取り上げたのだった。
内容は、妻に代わってデパートの福袋を買うために行列に並んだ男と友人宅にいる妻をきっかけにして、事件が起こってくる小説である。
行列の中の孤独を描くような小説かと思ったら、推理小説、バイオレンス小説のようなので、上巻で止めた。
ひとりで ずっと路上に立ってたり座ってたりしたら、変に思われるでしょう。でも、行列の中に紛れていれば、変に思われない。p232
余録の執筆者はよくこんな本まで読んでいるなと思ったら、サンデー毎日に連載された小説(Wikipedia)なのである。

[2021 年2月10日]

今期の芥川賞受賞、宇佐美りん作「推し、燃ゆ」を文藝春秋3月号で読む。発売と同時に読み、読む終えるのは初めてだ。これも仕事を辞めており、近くのレンタルビデオ店で雑誌が売られていることでこうなったのだ。
ところで、作品はSNSを背景にし、女子高校生あたし(あかり)の「推し」の物語で、ネットが絡む現代の小説だ。
アイドルの追っかけ、投票、縁の無い世界だが、文章のテンポか良く、一気に読まさせるところがある。
「推し」は一押し、レンチンは電子レンジでチンすろこと、スマホで辞書を引きながらの読書である。
父は海外単身赴任、あかりは押しに夢中で高校を中退してしまう。父親不在の小説小説、これも現代的か。最後にアイドルは結婚し普通の人になり、あかりは虚しさに綿棒のケースを投げつけ、綿棒を拾う。
作者は21歳、手慣れた文体、末恐ろしくもある。
私にとって女子高校生の生活面を見ることができた。
女子高校生の小説で思い出すのは、第一回太宰賞、該当作なしで佳作になったのは高校生の熊田真記の「寒い夏」、凄いなと思った。その後、その名前を聴くことはなかった。

[2021 年1月30日]


ハ・ワン著岡崎暢子訳「あやうく一生懸命生きるところだった」二〇二〇年一月ダイヤモンド社発行を読む。
目次を書くだけで内容を表すことができる。
プロローグ 今日から、必死に生きないと決めたp4 第一章 こうなりたくて、頑張ってきたわけわけじゃないp19 第ニ章 一度くらいは思いのままにp89 第三章 生きていくって、たいしたことじゃないp147 第四章 あやうく一生懸命生きるところだったp201 エピローグ さよなら、一生懸命の人生p280

自分の中で一生懸命頑張ったのは、高校三年の二学期だった。これは確かだ。
会社を辞めたいと思ったことも何度かあったが、才能(ちょっとした才能?)とスキルがなかったのでままならなかった。
仕事はあるからこなしていく、それだけで、 「一生懸命生きた」、という感はないな。
植木等の「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」

[2021 年1月16日]


J,D,サリンジャー著「フラニーとズーイ」村上春樹訳、平成ニ十六年三月一日発行新潮文庫
「フラニー」という題のページになる。
レーン・クーテルとフラニー(フランセス)、二人とも文学関連の学生で、レーンは正常(俗物?)、フラニーは対照的、二人の不毛なレストランでの風景が描かれている。
ウェイターがどこからともなく現れ、p35、何か変だ、原文はどうなっているんだろう。気がついたら目の前にいたということか。
短いフラニーを読み終えると、ズーイのページになる。
「ズーイ」
14ページに渡って作者の解説(?)がつき、 「ズーイに(バディーからズーイへの手紙)」となる。
解説のなかで、注(訳注ではない)p80があり、家族が紹介されている。
グラス家の七人の子供たち、亡くなった長男、シーモア(A Perfect Day for Bananafishの主人公)、二番目、バディー、三番目、三人の子供の母、ブーブー、次がウォルト(亡陸軍兵士)、ウェイカー双子、p80、最年少フラニー(シーモアとは十ハ歳差)p81、末弟ズーイp80、母親ベッシーp86
僕を含めた家族全員を望遠鏡の反対側から覗いているようなp87
文学的娼婦p88
S(シーモア?)p96
ザカリー・マーティン・グラスp103ズーイのこと?
長い手紙だ、20ページにも及ぶ。
レス、父p123
p105から、浴室で、バスに入っているズーイとシャワー・カーテンの向こう側に整理しているベッシーとのフラニーを心配するおしゃべりが続く、かなり広いバスルームだ。
日本のキモノで・・・襞が数多くついておりp110、袴か
ズーイ、髭剃りを始める。p136
母との兄弟に関するおしゃべり。p137
フラニーの小さな本、「巡礼は旅を続ける」「巡礼の道」・・・ずっとシーモアの机の上に置かれていた。p149
髭剃り終わる。p150
『四つの偉大な誓願』p153
『テサロニ人への手紙』p161『テモテ書』p162
以上、浴室でのおしゃべり、次は居間でのズーイとフラニーの話し合い
雑多な物が置いてあり、広い居間だ。
ブルームバーグ、ペットの猫p186
ルサージ軽喜劇、ディック地下鉄p193
『ワイズ・チャイルド』コンプレックス、・・普通に喋るってことはない。ただまくしたてるだけだ。p201
クリネックスp238、アメリカではテッシュペーパーをクリネックスというのだ。
アッシジの聖フランチェスコp238、大江健三郎も触れている、一度しっかり調べてみよう。
かってのシーモアとバディーの部屋p252
ボードレールとトマス・ア・ケンビスの歯ブラシp253、??
-アンナ・カレーニナp257
Z、ズーイ?p262
長い廊下p269、そんなに広いアパートか
ズーイとフラニーとの電話p270
天井に向かってそっと微笑みかけていた。p292
母はフラニーに回復のためにチキン・ブロスに食べさせようとしている。チキン・ブロスとは?

宗教が絡みわかりにくい小説だ。
フラニーは救われるのか、
この本に解説はない、サリンジャーの意向なのだろう。キャチャーインザライにも解説はない。なお、野崎孝訳ライ麦畑でつかまえてには解説がある。
1955年1月29日に『ザ・ニューヨーカー』に発表した『フラニー』と、1957年5月4日に同誌に発表した『ゾーイー』の連作二編の小説を1つにまとめたもの(Wikipedia調べ)

[2021 年1月6日]

サリンジャーの短編、A Perfect Day for Bananafish(LB版)と中川敏訳集英社文庫「九つの物語」を並置して読む。
そもそもは五十年以上前、大場清先生から英語の授業で、この作品を教材してもらったのがきっかけである。
Seymour、主人公、戦争から精神に変調をきたした青年。
see more glassとも?
Then he went over and sat down on the unoccupied twin bed .looked at the girl.aimed the pistol.and fired a bullet through his right temple.

この授業を受けたのはベトナム戦争の時代だった。

サリンジャーの短編小説。1948年1月31日に『ザ・ニューヨーカー』誌で発表された。短編集『ナイン・ストーリーズ』の1番目に収められている(Wikipedia調べ)。