瘋癲読書日記

瘋癲読書日記 読んだのを書き止めて置かないと読んだかどうかも忘れてしまう侘しい瘋癲老人の遅読読書メモ。
スマホで書くのでミスタッチが避けられないのは残念だが便利(週一日記もスマホ)


メモ
NHK100分名著、金みすず、エチカ、 中公新書ラクレ 防衛省に告ぐ
岩波新書 日本の私からの手紙 サイ-ド 岩波ブックレット 憲法九条あしたを変える。
[2024年2月20日]
新潮のPR誌波にいつの頃からか不明だが、漫画家近藤ようこが「家守奇譚」を連載している。原作があり、原作者は梨木香歩である。どのような原作か気になったので、「家守奇譚」新潮文庫平成十八年発行を読んでみる。
やもりきたんと思っていたのが、いえもりきたんだった。どっちでもいいかと。
読み進めたら、
ー当たり前だ、おまえは家守( やもり)だもの。
高堂がいつの間にかに近づいていてそう云う。 p46、云うという言葉遣いも古いな
ゴローと云う名の犬が出て来る、犬を飼いたくなった。
私は綿貫征四郎、
最後の頁なしに、烏?苺記(やぶがらしのき) 十一 綿貫征四郎
・・・
・・・
(月刊「唐草」十一型號)
かはたれどき・・・・辺りは昏くなりかけていて p113、たそがれどきじゃないか
古語辞典を見たら、おもに明け方をいうが、夕暮れにもいう。とあった。
風は渺々と吹いてくる p133
黒髪を一つに編み臙脂の肩掛けをした若い女性 p134
ゲーテ ミリオン p136
空気は鉛の色合いと質感遠帯び、 p141
悴んだ手 p148
生成り色 p162
ネットでチェックしたら、児童文学者、四五歳の作品か、ふーん。
漫画に成り得るのもわかる。
波を見直したら、「猫ヤナギ芽ぶく」、なんていうのも書いている。

[2024年2月13日]
第百七十回芥川賞受賞作 九段理江作「東京都同情塔」文藝春秋三月号を読む。
ザハ・ハデッド設計の新国立競技場と新宿御苑を臨むところに建つシンパシータワートーキョー(東京都同情塔)建設の稀有壮大な(?)小説である。
作者は浦和市出身、軽んじてはいけない、その辺りですれ違ったりしていた可能性もあるのだ。受賞の言葉掲載の顔写真、傲慢そうな感じを受けるが、貌で人を判断してはいけない。
作品、外苑再開発には触れてないが、外苑再開発に意識が行く。
中心は言葉である。
カタカナ文字、英文字を羅列する。
バベル、シンパシータワートーキョー、タイル、シャワー、コンペ、タワープロジェクト、コミット、デザインコンペ、タワー、ネーミングセンス、STOP.OK、サイズ、オートモード、ワードチョイス、エネルギーチャージ、リゾートホテル、ナチュラル、ネガティヴ、レイプ、ホワイトノイズ、ソックス、ローファー、ボディソープ、シャワーヘッド、ミストモード、ウルトラファインバブル、フロス、ミスト、ケア、ズレ、ドローイング、オファー、アイデア、ポルノ、インタビュー、メタファー、カット、パブリックイメージ、ヴィジョン、ブランド、ドライヤー、マット、ルーティン、ロングヴァージョン、ピラティス、ビョーク、カム・トゥ・ミー、フルコーラス、エロチック、オリジナル、マントラ、コントロール、スケッチブック、ゴミ、ホームレス、ネグレクト、ヴィーガン、マイノリティ、セクシャル・マイノリティ、デッサン、グラス、カタカナ、スタッフ、プライド、スカスカ、サラ・マキナ・アーキテクノ、シングルマザー、パートナー、ノンバイナリー、フォーリンワーカーズ、ディファレントラー・エイルルド、ポリアモリー、ホモ・ミゼラビリス・・・・
約80頁の小説の初めの8頁に出てくるカタカナがこれだけある。
大独り言の時代 p270
私 中年の建築家の女 p272
レイプ被害者の痛み p272 芥川賞受賞作は短編なのに性交でき場面が描かれのが多い、それを描く意味合いはないのが多いと思うのだが。
泡のサイズは0.000001ミリ p273、0.001ミクロン、1ナノの泡?そんなバカな 
漢字ヲ覚えるのもクラスです一番早かった。 p276
ホモ・ミゼラビリス p278、ホモ・フェリシタトス p279、作者の造語?
メインは建築家私の語り、
AI-builtの語り、
拓人の出現、語り p281 p296
ザハ・ハデッドの新国立競技場は必ず建つ。 p286、私自身建築には疎いが、ザハの国立競技場はいい、歴史に残る競技場だ。
南側のザハ・ハデッドに対する回答でなければならないのだ。それら二つ揃って初めて、都市の風景は完成する。 p289
ホモ・ミゼラビリス 同情されるべきひと 完全版 マサキ・セト p290・・・
ザハ案のスタジアムが着工になったのが二〇一六年冬 p295
拓人の語り p296
スポーツ・・・むしろ直感的には、メダルの色を争う競技と平和のあいだには、どうやっても飛び越えられないハードルが立ちふさがっているみたいに思える。 p304
二十三年 ? p302
「それにしても思いきった名前だね」 p307 堀内正和「体積が等しい五つの半円球」 p311、これはデッチ上げではなさそう。 
夜の新宿御苑に飛び込む、p314、入り口があるのは知っていたが飛び込める形だったかな? p314
彼女の積み上げる言葉が・・・それがAIの構築する文章であることに思い当たった。
そしてなぜか僕は、文章構築AIに対しての憐れみのようなものを覚えていた。 p318
容赦なのない雨に打たれ続けることで、キールアーチの壮麗な威厳も半減していた。 p343
私にとっては、理解も誤解も、あまり違いないように思えるんだ p344
既に私はもう、何かの外部にも内部にもいない。私自身が外部と内部を形成する建築であり、現実の人生なり感情なりォ個々に抱えた人間たちが、私に出入りする。
この女を永久的に立たせておくべきだ。 p350
・・・応答を考えなければいけなかった。・・・いつまで? 実際にこの体が支えきれなくなるまでだ。すべての言葉を詰め込んだ頭を地面に打ちつけ、天と地が逆さになるのを見るまでだ。 p351

わかりにくいそう小説だ。
ひょっとすると名作か。

わかりにくい小説のせいで、二回読んでしまった。老化して読む力がなくなっただけ。
ひょっとしたら、小説自体がAIで、受賞者紹介の写真もAIではないか。
今、神宮外苑の再開発が 問題となっているが、それなら初めから、ザッハ設計の競技場を造るべきだった。

芥川賞候補作全集があれば面白いだろうと思っていた(老い先短いので読やしないが)。調べたら島田雅彦に『島田雅彦芥川賞落選作全集 上、下』があることを知った。

[2024年2月12日]
『帝国 ロシア・辺境への旅 新版』が発行されたのを毎日新聞の書評で知る。 リシャルド・カプシチンスキ著工藤幸雄訳 『帝国 ロシア・辺境への旅』の新版でなく一九九四年発行の旧版で読む。
訳者はかなり前に亡くなっているので、内容は変わらないはずである。
T 最初の出偶い 一九三九ーー六七 p13
ピンスク、一九三九年 p15、独ソ戦は1941年6月
連れ出し p20
シベリア横断鉄道、一九五八年 p34
ザバイカルスクからモスクワまで p36
ブリアート族、カムチャッカ原住民、ツングース族、アイヌ族、オロチョン族、コリアート族 p39
チタからウランウデまで p42
ウランウデよりクラスノヤルスクまで p45
クラスノヤルスクからノヴォシビルスクまで p47
ノヴォシビルスクからオムスクまで p49
オムスクからチェリャビンスクまで p49
チェリャビンスクからカザンまで p52
カザンからモスクワまで p55
南の国々、一九六七年 p55
グルジア p57
イコンのサイズはどれも巨大で p57
ブレジネフ時代か。
グルジア p56
アルメニア p63
一九一五年に、トルコでアルメニア人の大学虐殺 p65
早くも六世紀にはアリストテレスの全著作がアルメニア語に翻訳された。 p72
アゼルバイジャン p74
どれほどアゼルバイジャンが大きかったかに目を見張る。 p80
フルーフィー派人々は、人間の顔のなかに「神を求めた。
幾世紀にもわたり、アゼルバイジャンはペルシャの属州として扱われた。一五〇二ーー一七三六年、ペルシャを支配したサファヴィー王朝の出自はアゼルバイジャンである。 p82
トゥルクメニア p85
遊牧民にとって定住生活に転ずるのは・・・人生における一種の敗残、堕落であった。 金張汗国、ティモール帝国  世界文学のうち最長の叙事詩『マナス』 p87
イラン国境までは車で一時間のドライブだ。 p88
トゥルクメン人、アリイリ族、ヒズル族、ティヴェルジ属州 p90

アリク p92
タジキスタン p97
キリギス p100
ウズベキスタン p101
H・ラップワース『ティムール伝説』(ロンドン、一九三七) p105
U 鳥瞰図から 一九八九ーー九一
第三のローマ p111
ーー共産主義はおわる、・・・・.という安堵と明るさとに。 p112 、著者は反共主義者か
偉大な歴史家ナタン・エイデルマン『ロシアにおける上からの革命』 p114
ブレジネフの愚痴「・・・・望むことのうちで実現できるのはせいぜい三分の一だ」 p116
第三のローマというかんがえは、すでに一四世紀にブスコフの賢人にして預言者、フィロフェイ修道士が唱えている。 p118
ボリシェヴィキーを勝利に導いた策略とは、商人たち、つまり市場原理によってうごく、他に恃むことなき人々遠放逐し、店を接収し、代わりに役人をーー怯懦で従順な権力の手先をーー送り込むことであった。 p121
レーニン、トロツキー、ブハーリン。 p123
寺院と宮殿 p125
スターリンは山ほどの問題を抱えていた。まぶ、ウクライナで一千万人ほど餓死させる作戦の指揮を取っていた。 p131
ジョヴァンニ・バッディスク・ピラネージ p132
ボリシェヴィズムはもはや髪の現容た^_^はなく、神そのものだったのである。 p137
ぼくらは見つめ、涙を流す p141
レオニード・ トロツキイがもっと人の忠告に耳を傾けていたら、・・・尊大不遜な自惚れ屋・・ p143
ナゴルノ・カラバフ問題 p145
アスファルト山の男 p156
トビリシは一本道の町だった。
ソ連邦のような国では、利害は一種類しかなかったー全体主義国家の利害ばかりである。・・崩壊し・・数百数千のさまざま利害、   p163
〈ホモ・ソヴェ定住ィクス〉 p173
おのれ自身からの逃走 p170
石油王アルフレッド・ノーベル氏が持ち込んだ素晴らしいアール・ヌーボ様式の通りがある p178 アユディン・ミルサリノゲル・マメドフ・・・行動の自由とは、われわれのところでは、殺人の自由をいみふる。見ろ、これがペレストロイカ、  p181
キリル文字  p182
ヴォルクターは火に凍える p185
チェルナィシェフスキー 何をなすべきか p191
五十歳まで生きられる鉱員はニ割しかない。
ゲンナージイ・ニコラエヴィチ p195
ここ北の極地では、流刑囚の最大の敵はーNKVDを除けばー寒気であつた。 p204
あすはパシュキールの反乱 p208
「クリール列島[千島列島]は返さないぞ!」 p209パシュキール人の土地にいる。 p213
民族主義はしょうとつなしには存在しえない、  p214
スターリン時代の自然描写の名手、ミハイル・ブリーシュヴィン p216
ロシアの神秘撃 p219
パシュキール人 p220
水たまりを跳び越えながら p232
ヤクート人 p243
コルイマーは霧また霧 p245
ドストエフスキーについてのミハイロフスキイは書く・・・『スチェパンチコヴォ村とその住民』の田舎根性の小人物、いじめ屋、怪物、暴君のフォマー・オピスキンにスターリン、ヒトラーの両凶悪班の祖型をフォマー・オピスキンに予見  p249
残酷な才能は悪霊を扱かう。p230
「マフィア」、かっては「ナロード」、ナロードは人民から連中、一味の意となった p251
マガダンの始まりは同時にスターリン時代の大規模テロの始まりでもあった。p255
彼女らを待つのは、共同風呂と消毒の拷問である(エウゲーニア・ギンズブルグ「険しい行路」邦題「明るい夜 暗い昼」) p256
ベリヤ 
(日本のスパイという嫌疑はNKVDが濫用し、このため多くの著名なソヴェトの日本学者餓死犠牲となった。そのうえ杉本良吉らソ連潜入ノゲル日本人も多く餓死銃殺された) p260
〈魔の山〉クレムリン p274
罠 p289
中央アジア、滅亡する海 p317
近々二十年のあいだに、アラル海ームナイクからはもはや見る千すべもないーは表面積ではその三分の一、水量にしてその三分のニを失った。 p325
ドロホビチの町のポモナ p330
クラウディア・ミローノヴァの話では、シベリアにはいろいろな異教異派ノゲル集団が隠れ住んだ。 p333
オデッサからキシニョフへと走る郊外電車は、壊れておんぼろだ。
「キシニョフの特殊性  看板には仏語、露語、独語、アルメニア語  聞こえる言語はモルダヴィア語、すなわちルーマニア語  看板の一枚はポーランド語 ・・・・」(ユーゼフ・イグナツィ・クラシェフスキ「オデッサ、イェディナウ、ブジャクの思い出」)一八一二ー八七 p336
夜行列車でキシニョフを立ち上げキエフへ。 
ヴィニツア ウクライナにあるもうひとつノゲルカティンなのだ。一九三七ー三十八年に、NKVDはここで何千人もの人々を殺害した。 p339
> キエフでは「民族友好」大通りの老婦人、M・Zさん宅に泊まる。・・・・・狭いトイレットのなかは、この国の大部分の便所と同様、床から天井までトイレットペーパーと洗剤の袋の山だ。 p340
旧ソ連邦に数ある大都会のなかで、・・・ぶらぶら歩きや散策のために通りがあるのは、この街だけである。
喫茶店に入ると、行列なしに一杯の紅茶とケーキが楽しめるー  p341
キエフの建築物は・・・中世の修道院や正教寺院の数々 バロック 新古典主義 アール・ヌーヴォー様式 スターリンの社会主義リアリズム  p342
外観の美しさはさることながら・・どこの団地にせよ・・階段ホールは荒れ果て、窓ガラスは割れたまま中庭の暗いのは、電灯が盗まれたか ゴキブリ p343
クレシュチャクは、いわばキエフのシャンゼリゼである。・・・今はどの店もからっぽに近い。 p343
「十月革命」広場が「独立広場  p344
おるジョニキーぜ通り 現在のウクライナ革命はこの通りからひろまった。 革命の本営となった「ウクライナ作家同盟」 p345
一九一八年の「ウクライナ独立宣言」 数万人の人間の鎖 p348
一九九一年一月
六月十六日 「宣言」採択 
一九九一年八月十九日 モスクワのクーデター 
ポーランドのれきしか、J・ヴォンソヴィチ「ウクライナを失えば、ロシアは北の森へおしやられる」 p350
アレクサンドル・ソルジェニーツィン  『ロシア再建論』(邦題「甦れ、わがロシアよ」) 新国家はロシア、ベラルーシ、ウクライナおよび幾多郎カザフスタンで形成 
サハロフの未亡人、イレーナ・ボンネル・・・彼女は言うーーわたしが恐るのは、ロシア人の根底ひある「膨張と支配」の精神です
ポーランド人、ロシア人、ユダヤ人、ハンガリーじん、イタリアジン、オーストリア人民、ドイツ人、ルーマニア人p351
ニオべ p353
一九二九年 農業の全般的集団化計画 
全国の農民は挙げてコルホーズに所属すること。拒否する農民はラーゲリ送り、シベリアへ強制移住、餓死を押しつける。
集団的な死へと至る飢餓は一九三〇年から始まりそれは七年間も続いた。最大の死者を出したのが一九三三年という年である。 スターリンが餓死に追いやった人々の数は約一千万人に及んだ。p354
(セルゲイ・マクスドフ『鎖の環』。モスクワ、一九九一年)。 p356
(ワシーリィ・グロスマン『万物流転』) p357
ルヴッフ
ドロホビチ p361
ボリシェヴィキーの仕業は、とても言い尽くせやしない。 
マクスードフの著書 p359
ブルーノ・ショルツ 肉桂色の店、クレブスィドラ・サナトリウム  p363
故郷の町への帰還 p364
ペテルブルクと言えば、・・・・・プーシュキン、ゴーゴリ、ドフトェフスキイの筆力のせいで、時おり、作中人物の方が、今、現に通りで擦れ違う人々よりも遥かに現実感を持ってしまう。 p365
ファシストが政権をだっしゆした当時 ・・・・・
この描写はそのままロシアの「十月革命に当てはまる・・・・p367
ノヴゴロド p369
ヴオロージャ・ぺー p369、 ペーのロシア文字はワープロで出すにはどうするんだろう 

ノヴゴロドをあとに、ミンスクに急ぐ、「ベラルーシ民族戦線」の 大会が開催中なのだ。 p374
  V 続きは進行中 一九九二ーー九十三
続きは進行中 p379
「グラスノスチ(情報公開)」、ペレストロイカ(建て直し)」 p580、ロシア現代史の世界である。

五年間の大奮闘と緊張を持ち堪えたあと、ゴルバチョフはいよいよ疲れ果て、迷い込み、いらいらしている。・・・・彼の周囲にあるのは、次々に最高の地位に任じられながら、やがては彼を裏切って、反対に回る連中ばかりである。
決定的な年一九九一年・・・ヴィリニュスとリガの流血事件 p389 主人公ノヴォシビルスクニコライが棒立ちとなり、トロイカを走らせる・・・4
「・・・・・・・行き着くはどこか、神に任せて走るまでだ。どうなろうと神だけがみそなわす!」
訳者あとがき p408
この本をしっかり読めば、アゼルバイジャンとかあの地域がわかるだろう。だがわかったときには、地域が変わっているのではないか。
読み終わって、著者の民族が気になってしまった。ネットでみると、ピンスク出身のポーランド人ジャーナリストということだ確かに。
詩人でもあるか
鉄条網
君はラーゲリにいる人間について書く
ぼくは人間の中のラーゲリについて書く
君の場合、有刺鉄線は外側にあり
ぼくの場合、それはぼくら各人の内側にうねる
・・・・その違いがそれほど大きいと君は思うか?
, それはふたつの面なのだ、その同一の苦しみの

この本、読んだが読み切っていない、不消化の部分が多い。丁寧に調べながら読んだら、人生が終わってしまう。

[2024年1月27日]
マサオ・ミヨシという人間はよくわからないので、マサオ・ミヨシ×吉本光宏対話集洛北出版二〇〇七年五月発行を読む。
第T部 疑わしき起源 
第一章 戦争中の自殺と袋叩き p13
僕は、自分が東京のでは山手で生まれたとか四国の一小村です育ったーーという言い方で語り始めたくないのです。一度そういう言い方をしてしまうとの、そのレッテルが固着して・・・どこか違う空間に移動しても、依然としてその起源を続けるということになってしまう。 p13
第ニ章 戦争中に英語への関心を持って抱く p25
第三錠 アメリカの自由と反動との奇妙な闘い p39 第四章 アメリカで英文学を教える初めての日本人としてバークレーに行く p52
第五章 バークレーでチョムスキーと出会う p65
僕は小説を読むことが、消耗文化の一変種であると本気に考え始めたと言えるでしょう。 p76
第II部 戦争と抵抗 
第六章 最初の戦争体験 p81
第七章 戦後民主主義、新憲法、戦争責任問題 p89
信じられないほどの血が湧き立ち、熱い血が体中を駆け巡ったのです。体は「もう死ぬ必要がなくなったのだ」という興奮で熱くなっていたのです。
第九条は天皇制保存のために、・・・古関さんの『「平和国家」日本の再検討』・・・ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』 p98
原口統三『二十歳のエチュード』 p103
第八章 五〇年代そしてベトナム戦争という六〇年代 p107
一九六四年は僕が反戦のの請願書に署名した最初のでは年でした。 p114
この頃に、『万延元年のフットボール』月出版されたと思います。そして大江健三郎の政治意識もそれと一緒に家族的な文脈に変わっていきました。 ・・・例えばアメリカに対する一種の批評意識は徐々に失われたようです。そして消費文化がますます強大になっていったのです。  p116
一九六四年最初の嘆願書 
「この戦争は誤っている。だから我々は反対すべきだ」ーーバークレーでの抵抗運動 p120
「反卒業式」の当日、二百人の教員が集まりました。レーガンでさえノーベル賞をもらった何人をも含めたニ百人のバークレー教授を解雇することはできなかった。 p121
第九章 戦争経験を意識し続ける p125 ブッシュの飼い犬は明らかにブレアと小泉なのです。  p138
第十章 ニヒリズムを超えて生き延びる p147
まあ、今日ではなくサイードでさえ野蛮で過激すぎると言われるのです。サイードの時代は終わった  p160
僕は国民国家の概念よって構築された文学は或る時に生まれ、今は死んだと思うのです。
そもそも文学の概念そのものが十八世紀末までは存在しなかったのです。それは啓蒙主義に起源を持ち、帝国主義と資本主義の副産物なのです。 もし帝国主義と資本主義ニ批判的であるなら、特に小説という形態そのものに批判的でなければなりません。小説は本当に自らの国を創造したいという希望の下に生まれたものであり、そして小説は非常に重要な道具となったのです。実際、音楽、芸術、これらのどれをとっても、国民国家のです形成過程に関係していないものはないように思います。 p165
第V部 絶えざる移動と批判
第十一章 知識を考える者としての選択から文学を捨てる p163
植民者たちはいかに英国が勝るかを示さなければならなかった、だから英文学と呼ばれる統一体を生み出すために、  p166
僕が『我ら見しままに』を書いていた時に、サイードは「オリエンタリズム』を書いていました。僕たちはこの頃に友人になりました。
この本は、サイードの『オリエンタリズム』に比べると政治的にははるかに保守的でもあるし、非理論的なものでした。 p171
第十二章 沈黙する日本 p173
その時点での僕の友人は大江健三郎と、大野晋、平凡社の編集者の龍沢武、他に・・柄谷行人、津島佑子、映画監督の羽田澄子、。 p177
平井先生は実直な教授でした。・・・エリオットは偉大な男で、偉大な聖人である。・・・T・S・エリオットの保守性ーー実際驚くほどの保守性なのですーーには平井先生は決して言及しようとしませんでした。大江健三郎にも同じ所があるかもしれません。 p183
いずれにせよ中学校の友人は僕と議論しようとしない。僕たちはただ集まって、断片的に昔の思い出を語るだけなのです。・・・そこには本当の議論はありません。それなりに楽しいことはありますけど。 
長い間、僕は大江さんとは対話を維持していると考えていました。だが、今やそれは僕の誤りではなかったかと感じ始めています。彼は会話したりはしない。彼は話が好きだし、非常に上手です。しかし、他人の話には耳を傾けないのではないでしょうか。自分では聞いていると思っているかもしれませんが。 p185
『沈黙の共犯者』と三島由紀夫 p186
マーク・ショアラーが・・・「私はこの男を理解できると思っていたが、この本は私には全くわけがわからない。ちょっと目を通してどう思うか書いてくれないか」
PLOの外部にあったパレスチナ文化保護委員会というNGOの執行委員会だったこともあります。 第十三章 どこから来たのではなく、どこに行くのかーーサイードとの議論を通して p189
僕とサイードとの主要な意見の相違は、「知性」の社会的な役割についてなのです。彼は「知識人」というものを信じていました。僕は信じていないのです。自分を知識人と呼ぶもののほとんどは、実際自己の利益を優先する「専門家」でしかありません。 p202
仕事以外にフランスに行ったことは一度もありません。 p204
第十四章 学問領域という秩序との闘い p205
第W部 抵抗の場へ、あらゆる境界を越えるために 
第十五章 地域研究という秩序の問題 p221
『オブセンター』の目次 p222
アーバイン校で連続かいぎ・・・吉本光宏、柄谷行人、礒崎新、ジェイムソン、大江健三郎、津島佑子、ジェイムズ・クリフォード、ハルトゥーニアン、ナジタ、アール・マイナー、イーハブ・ハッサン、 p232
「時間切れだ」 p236
僕たちはもはや国民国家を信頼したりはしません。 p236
なんとかして「政治的抵抗としての学問」を維持しよういうことなのに、彼らが語っているのは、おそらく、より多くの学問的自由なのです。 つまり、ギルド組織がもつ自由と定義してもよいような自由。 p239
日本の教授の多くは自分たちの学生に冴えて責任を負っていると考えていないように思えます。 p239
理事は多かれ少なかれ、大学教授会が決めたことを認可したり、時には苦言を呈したりするだけであり、またそうあるべきだと思います。 p240
僕も、かつては、大学は人々が真に知の真実を追求することに純粋に身を捧げた聖域、神聖な場所などと信じていました。 p245
だから僕たちはその管理不十分な所を利用して局地戦を行うことができるのです。p246
環境研究なのです。・・・全宇宙のことを考えることができるような場所ーー p247
第十六章 イメージと記憶ーー他者との結びつきをいかに受け容れるか p248
ハリウッド映画産業・・・ほとんどの映画はひどいものです。・・その一方で何の利益も上げられそうもない映画を積極的に製作します。 p248
会議はたぶん参加者の経歴、それに主催者の広報活動のために存在しているのでしょう。 p259
芸術は完全に商業化され、ほとんど中世と同じような状況になっています。 p263
礒崎新・・・彼が「つくばセンタービル」を 作った時、建設省の代表は僕の次兄でした。 p264
丹下さんは国家主義者でしょう。サウジアラビアの王宮とか広島記念館とか広大なものを作るのが好きだったのでしょう。 p265
日本では、膨大な予算を持っていながら何に使ってよいかわからなかった時、東京に巨大な建造物を作り続けたのです。 p246
「貧乏人は君の都市でどうするつもりだ」 p268
僕は必ずベトナム・メモリアルを訪れます。 p270
グラウンド・ゼロ・・イスラム圏の米国への憎悪・・・三千人の世界貿易センタービルでの犠牲者、ベトナム戦争の五万八千人の米兵と百万人にも上るというベトナム人犠牲者、イラク戦争の二千人にも及ぶ米兵死者、その十倍以上の重傷者、そして十万以上のイラク市民死亡者、そして広島と長崎・・・ 不法な政策を推し進めるブッシュ   p272
第X部 批判の自由 
第十七章 それでもなぜアメリカなのか
アメリカの自由の表裏 p275
人は自分の人生を生きる p277
もし誰かが何かを強く主張したいと思えば、そうすることができるということだと思います。
「自分の人生を生きるということは、同時に「人を見捨てる」ということでもあるのです。 p279
一九八〇年代にレーガンが大統領になって、状況はさらに極端に変わったのです。 p282
第十八章 Japan is not intresting. 「日本は面白くない。」 p284
エリオットもまた、アメリカは面白くない、なぜなら民主的で、つまり散漫で、誰もが尊敬する中心的権威はどこにもないと言うのです。 p286
本当には言いたいことを言える場所がありません。 p287
村上はつまらない余興家だと思っています。・・・村上春樹は、日本で誰も彼のことを真剣に批評しないことを不満に感じているだろうと思います。・・・レジデント作家  p288
「日本は面白くない」・・・またつまらないことを言っていると思われて無視されてしまったのでしょう。 p289
議論をすることへの関心と責任 p290
アマースト大学・・・人々は演題に呆然としてました。 p290
議論はますます少なくなっているのではないでしょうか。・・・『世界』のようないわゆる進歩的な雑誌なども、ほとんど読む価値のあるものが少なくなっていることへの理由だと思います。 p293
なぜ日本では批評が非難になるのか p293
・・・人々は集まるべきではなかった。だからパブリック・スピーチの発達は非常に良い遅れ、 p294
大杉栄のような人を除いてです。彼は常に公開講演を遮りました。そしてむしろ対話をもとめました。 p294
今日ではアメリカ党員ははるかに声がたかい。もっとも彼らの言うことは整理されておらず同じことをただ繰り返しているだけです。 p295
結局、高度資本主義は富と権力の集中を意味し、反抗はもちろん、知的交換さえ致命的に弱ませるということではないでしょうか。 p296
第十九章 境界の秩序化に抵抗する p297
日本人が日本を特殊ものだと考えるということに意味がないと言うことだと思います。 p298
アイデンティティ・ポリテックス・・・韓国人でない限り韓国文学をしゃべる権利がないとか   p298
だからバークレーのエスニック研究学科にはメキシコ系アメリカ人、アジア系アメリカ人、ネイティブアメリカンがぬ含まれています。しかしアフリカ系アメリカ人には、独立した別の学科あるのです。 p300
ですがアジア系アメリカ人とは? p301
「アメリカ系アメリカ人 p302
しかし、アメリカの大学や、日本の大学に何か本質的な違いがあるとは今では僕には思えない。 p306
ケネス・バーク・・・コメントを付けてくれたのですが、  長さは僕のペーパーと同じくらいあったのです。 p308
ケネス・バークは僕の教育の、教育者としてのモデルです。 p309
第Y部 新たなエコロジーに向かって 
第二〇章 知の始まりとしての超学問領域 p313
惑星主義と環境への配慮 p313
グローバルな政治経済から市民を護るのが、国家の唯一の使命だと思いますが p314
マルクス主義的な資本主義についての概念  p314、???
「グローバリゼーション」という名の下に国民国家は無視されていまさ。 p314
結局は地球全体の環境保全主義に至るのです。
自分の生活に充足し余裕のある者たちだけが、環境に気を配ることが許されてきました。 p315
僕は環境学の組織のために三つのものを提示することができます。一つはガタリの本。二つ目はジェイムズ・ラブロックの『ガイア』です。そして、このメイン州の大学です。 p319
惑星主義??? 
第二一章 新たな抵抗の手段としてエコロジーを考える p321
超学問領域とは、それぞれの学問領域が消え去り、別の考え方と融合することを意味します。したがって、経済学と文学は一緒になるべきだし、・・・p322
リサイクルをもやめてリユース p327
日本のリサイクル率は全般的には非常に低い。 p328
しかし反撃することで人々は明らかに何かを成し遂げることができます。 p329
そう、エキゾニックな観光地としての名所、だからそれは危険があると思う。 p332
第二二章 知識人ではなく単に人間として抵抗するために p333
国家は国民の代表ではなく、あまりにも露骨に大企業の利益追求を保護する機関のようになりつつあります。 p333
国民国家は機能しないというのは、国民と国家の完全な断絶を意味するのです。 p334
北米自由貿易業と最近のヨーロッパ連合、そしてEU憲法とは欧州自由貿易連合・・・しほんだけでなか、生産機構が海外に送られてしまい、 p335
「我々日本人」や「我々アメリカ人」などの言葉は、決して貧しい人々を助けるために使われたことはないのです。 p339
批評とは抵抗であるーー知識人という問題 p340
NHKで作った『未来潮流』の一つで僕とエドワードとの対談(一九九六年十一月十六日NHK教育テレビで放映 p344
サイードが知識人の責任について語った時、彼は知識人であることを受け入れました。 p347
新たな批評空間をめざして(あとがき) 吉本光宏  p353
「ディアスポラ知識人」??? p336
今や合衆国にとって日本は、とくに興味をかきたてる研究対象ではない、 p358
アニメやビデオゲームが官・学の注目を浴びているのはそれらが日本に固有の文化的特質を体現しているからでなく、グローバルな規模で売れているからである。 p361
ミヨシの原動力をひとつあげるとすれば、それは全体性への配慮だといえるだろう。 p363
ミヨシの介入がなければ、過去三〇年にわたってアメリカの日本研究がどれだけ退屈なものに終わっていたことか。 p363
ナショナルとトランスナショナルの二項対立は、人文科学を再活性化するのではなく、ますます大学制度の周縁へと追いやってしまっている。 p365
グローバルという概念が外部性として排除する多様で異質な要素を含んだ惑星という全体性が要請するのは、他者の他者性を消去することなくその声に耳を傾け理解する最大限の努力をするというはことに加えて、どうすれば互いに傷つけ合ったり奪い合ったりすることなく他者と共存できるのか、その具体的な方策を真剣に模索するということである。 p366
スピヴァクの惑星主義とは別。

[2024年1月日]
雑誌「世界」一月号に小川公代が<小さな物語>の復興 第1回戦争 『フランケンシュタイン』を読むを書いている。
小川公代の「世界文学をケアで読み解く」を読んでいた。
それで、メアリー・シェリー著田内史文訳新訳「フランケンシュタイン」角川文庫平成27年発行を読む。
まえがき M・W・S 一八三一年十月十五日 ロンドンにて
序文 一八一七年 マーロウにて 
第一巻
手紙 1 p22
イングランド サヴィル夫人へ べテラスブルクマーガレット グリーンランド アルハンゲリスク R・ウォルトンより
手紙 2 p29
サヴィル夫人へ マーガレット、 トマス叔父さん R・ウォルトンより
手紙 3 p34
サヴィル夫人へ マーガレット姉さん R・ウォルトンより
手紙 4 p37
サヴィル夫人へ 橇の人物 
客人
ウォルトン隊長
第一章 p51
ジュネーブ ポーフォール 私の父の友人没落した商人、カロリーヌ・ポーフォール娘 父の妻となる、私はナポリで誕生、  ある高貴な御仁の娘エリザベト・ラベェンツァ ルツェルンの街  エリザベト・ラベンツァ ヴィクトル
第二章 p61
アンリ・クレルヴァル 
コルネリウス・アグリッパ ベルリーヴ近郊  ジュラ山脈  第三章 p71
エリザベトの猩紅熱、母の死
インゴルシュタット 
クレンペ教授 アルベドウス・マグネス パラケルスス 
ヴァルトマン教授
フランケンシュタイの魂 p80
第四章 p84
第五章 p95
半ば消え入りかけたその灯りの中に、物体がその澱んだ黄色い瞳を開くのが見えたのです。物体がが重々しく呼吸をすると、手脚にぴくぴくと痙攣が走りました。 p95
アンリ・クレルヴァル フランケンシュタイン 『ウェイクフィールドの牧師』 p100
ヴィクトル 
第六章 p107
エルネスト マダム・モリッツ ジェスティヌ ウィリアム坊や ルイーザ・ビロン ミス・マンスフィルド ジョン・メルボーン マノン嬢 ムッシュー・デュヴァラール ルイ・マノワール マダム・タヴェルニェ  第七章 p121 父からの手紙 
ヴィクトルへ
ウィリアムが殺された
哀れな父 アルフォンス・フランケンシュタインより
ジュスティヌ・モリッツが犯人?
第二巻 p153
第一章 p156
馬からラバに p163
シャモニー渓谷・・・セルヴォー渓谷には及ばない  モンブラン  p164
第二章 p166
い、フランケンシュタインよ。どうか他の者どもには公正で、俺だけを踏みにじるのはやめてくれ。 p173
第三章 p177
第四章 p189
アガサ フェリックス  自分の姿の異様さ・・・もし会話がすることができたなら、それも見過ごしてもらえるかもしれない p194
第五章 p198
サフィ 
ならばこの俺はいったい何者なのだ? p204
俺はいったい何者なのだ? p207 第六章 p208
ド・ラセー トル     レグホンはイタリアの地名
  第七章 p216
若きウェルテルの悩み ゲーテ一七七四年刊、 十八世紀か、 第八章 p231
フェリックスの家族去る。
フランケンシュタインの子供を殺める、
俺と同じ生き物でなくてならぬ、お前には、その生き物を創る義務があるのだぞ。 p244
第九章
絆モーランド愛情も貰えぬのならば、俺には憎悪と悪徳しか残らん。愛してくれる者があるなら悪行の根も滅び、行きとし生けるあらゆる者たちの目に見えぬ、つまらぬ物になるのだ。p250
第三巻  p255
第一章 
ジュネーブ
ストラスブールでクレヴァルと合流 p261
渡英 
ロンドン塔 p269
第二章 p270
ロンドン オックスフォード 
温かきフォークランドと傲慢なるゴアリング p273
マトロック ダービー ガンバーランド ウエストモーランド エジンバラ クーパー セント・アンドローズ
スコットランド ハイランド オークニー諸島
怪物の妻の創作 p281
第三章 p283
アイルランド 
第四章 p299
殺人の容疑 クレヴィル カーウィン判事 容疑の解消
アヘン剤 p315
第五章 p316
パリ 
百姓の自由 p323
悪鬼 奴 人外め 化け物 p324
第六章 p333
エリザベトの死 
第7章 p345
ある怪物を追って
ウォルトンの手紙ー続き p359
一七××年八月二十六日 
九月二日
九月五日
9月七日
九月十二日
フランケンシュタインの死 p374
怪物は遥か彼方に消えていってしまった p383
訳者あとがき p385
このあとがきの前に、まずは本編をひととおりお読みいただきたい、とあり、これに従った。
親子の物語でもあるという部分 フランケンシュタインと怪物は、 p389