[2024年11月19
日]
岡真理著「ガザとはなにか パレスチナを知るための緊急講義」大和書房二〇二三年十二月三十一日第一刷二〇二四年三月二十日第四刷発行を読む。
はじめに p3
問題の構図を理解させるための肝心要の部分について、主流メディアは沈黙を続けました。(出来事を報道しながら、その報道によってむしろ真実を歪曲、隠蔽するという、エドワード・サイードが「カヴァリング・イスラーム」と呼んで批判した「イスラーム報道」の典型でした)。
パレスチナ問題 関連年表 p10
地図(パレスチナ全図、ガザ地区) p12
第1部 ガザとは何か p15
毎年行われるイスラエルのヘイトでもp17
四つの要点 p22
現在起きていること、ジェノサイド、日本の主要メディアはジェノサイドに加担、「どっちもどっち」ではない、イスラエルはパレスチナ人に対するアパルトヘイト国家、国際社会の二重基準
イスラエルによるジェノサイド p26
ジェノサイド条約
封鎖下のガザに繰り返される攻撃 p29
発信することすらできない p34
イスラエルの情報戦 p35
ブラックアウト
イスラエルの情報戦 p35
イーマン・ハマース ムハンマド・ドウッラ シリーン・アブー=アクレ
ガザとは何か p37
イスラエル建国に伴う民族浄化からの難民
イスラエルはどう建国されたか p43
シオニズムの誕生 p45
ドレフィス事件
近代以降、ユダヤ人であることは、信仰ではなく血の問題にすり替えられていきます。
ヨーロッパからユダヤ人差別はなくならない
シオニズムは人気がなかった p47
テオドール・ヘルツル「ユダヤ人国家」
正統派ユダヤ教徒は、シオニストはユダヤ人ではない
社会主義者やコミュニストのユダヤ人たちは、
自分たちの祖先が生まれ育ったその国こそが祖国であり、その国で革命によって差別のない平等な社会を実現する
まさに植民地主義
植民地主義としてのシオニズム p50
「シオニストは、神の存在は信じていないが「パレスチナは神がユダヤ人に与えた約束の土地である」ということを信じている」
植民地主義としてのシオニズム p50
鶴見太郎「ロシア・シオニズムの想像力」「イスラエルの起源」、ヤコブ・ラプキン「トーラーの名において」「イスラエルとは何か」
西洋白人・・植民地主義の精神を、シオニストたちもまた、当然のこととして共有
パレスチナの分割案 p52
その多くは・・一九三〇年代移行、ナチスの台頭にによって・・やむなくパレスチナに逃げた人たち
マドホック委員会
パレスチナ分割は、国連憲章違反であり法的に違法
パレスチナ人の領土のか変遷 p55
パレスチナを襲った民族浄化ー「ナクバ(
大災厄)」 p57
イルグン・ツヴァイ・レウミ(リーダーはペギン)))と
レヒというユダヤの民兵組織が行った虐殺
ナクバ=大災厄
イラン・パペ「パレスチナのか民族浄化」
一九四八年十二月10日 国連総会 世界人権宣言採択 第十三条第ニ項
総会決議194号
イスラエル国内での動き p62
ホロコースト、その責任を負っていたはずの西洋諸国は、その責任を、パレスチナ人を犠牲にすることで贖った
反シオニズム団体ゾフロット
ガザはどれほど人口過密か p64
難民キャンプ
ハマースの誕生
一九五七年「ファタハ」誕生
PFLP(Popular Front for the Liberation of Palestine)パレスチナ解放人民戦線
DFLP(Democratic Front for the Liberation of Palestine)パレスチナ解放民主戦線
一九八七年パレスチナで第一次インティファーダ(?intafa?a、インタファダ、(物や人が)震える・(木などが)揺れ(て上にある物が落ち)る、目覚める・体を起こす、蜂起する・反乱を起こす)の動名詞に関連する名詞で、「揺れ、震え」「覚醒、目覚め」「蜂起、反乱」の意[1]。現代では主に民衆蜂起の意味で用いられている。英字表記はIntifada, Intefadah, Intifadahなど。ーWikipedia)
ハマース(ハマース(アラビア語: ???? ?am?s, ハマース、英語: Hamas)あるいはハマース運動(アラビア語: ???? ???? ?arakat ?am?s, ハラカト・ハマース、英語: Hamas Movement)は、1987年に結成されたパレスチナのスンナ派イスラム原理主義、民族主義的な政治・軍事組織で現在はガザ地区を統治している。ーWikipedia)
オスロ合意からの七年間 p71
そもそもイスラエルには、たとえ西岸とガザのミニ国家であろうと、主権をもったパレスチナの独立国家など創らせるつもりは毛頭なかったのです。
現在、西岸はファタハガザ自治政府として統治していますが、イスラエルは自治政府に、いわば占領の下請けをやらせていたのです。
二〇〇〇年第ニ次インティファーダ
ガザを撤退した入植者たちは、ヨルダン川西岸に新たに入植
民主的せんきょで勝利したハマース p74
二〇〇六年、パレスチナ立法評議か選挙 EU監視団 民主的選挙 統一政府
アメリカやEU諸国は、ファタハのメンバーに軍事訓練・・チリのクーデターによるアジェンデ政権打倒・・それと同じことガザで行おうとし内戦状態
この内戦で勝利したのはハマース
この内戦によりパレスチナはガザのハマース政権と。西岸のファタハ政権の二重政権
ハマースを政権与党ニ選んだパレスチナ人に対する集団懲罰として
二〇〇七年、ガザに対する完全封鎖
「分断して統治せよ」という、帝国主義の論理
抵抗権の行使としての攻撃 p77
「ハマース主導の戦闘員たち」
日本の報道では
、ハーマスがガザからイスラエル側に侵入
ガザ周辺十二箇所のイスラム軍事基地
ヤスミン・ポラットさん 人質になる
ガザのパレスチナ人の若者たちが死を覚悟して戦っている、大義ある戦いを行なっているというこの歴史的分脈こそ、イスラエルにとって最も都合の悪いこと
もちろん民間人を襲撃し、彼らを人質に取るという作戦に関して歯是認できないものがある。
「封鎖」とはどういうことか p82
封鎖というのは構造的暴力
イスラエルが出域を認めないために・・・ガザの病院で亡くなる
ガザは漁業が基幹産業 イスラエルの哨戒艇が妨害
「世界最大の野外監獄」
「生き地獄」
ガザで起きていること p85
汚水処理施設が稼働していない
失業率四十六パーセント
食べるものもない。
生きながらの死 p88
ドラッグ依存症 」 トラマドール
二〇一四年五十一日間戦争 ハマースは無条件停戦を拒否
「ガザに正義なき停戦はない p90
サラ・ロイさん「世界は六十年かけている難民を再び難民に戻すことに成功した」
パレスチナ・ゲリラによるハイジャック
パレスチナ問題は政治的解決を求めるのは政治的問題です。だのに。巨大な人道危機絶えず創り出されることで、人道問題にすり替えられているのです。
二〇一八年(ナクバから七十年目)、「帰還の大行進」 p93
「土地の日」
パレスチナ人の当然の権利である帰還の実現と、国際法違反である封鎖の解除を
報道も言及もまったくなく
イスラエル群は、パレスチナ人の若者の脚を積極的に狙って、彼らを障害者にするという戦略
ガザで増加する自殺 p96
バッファーゾーン
二〇一一年 アラブの春 チュニジアのムハンマド・プアズイズイ
「こいつらは血に飢えたけだものだ」」人間の合理的な論理で行動する連中ではない」レイシズム
「国際法を適用してくれるだけでいい」p99
ラジ・スラーニ「とにかくパレスチナに国際法をしてほしい、それだけでいいんだ」
エイミー・グッドマン「デモクラシー・ナウ」
「もの分かりのいい犠牲者(Good Victim)」になるつもりはない、
イスラエルの政府高官 第ニのナクバ パレスチナ人のいないパレスチナを創るため
・なぜパレスチナ人は難民となったのか
・イスラエルはどのように建国され、イスラエルはどのような国なのか
・ガザの人々が、とりわけこの十六年以上置かれきた封鎖というものが、どういう暴力であるのか
「漸進的ジェノサイド」
マンスール・アル=ハッラージュ 地獄とは、人々が苦しんでいるところことではない。人が苦しんでいるのを誰も見ようとしないところのことだ。
ヨルダン川西岸地区出身・ジョマーナさんのスピーチ p103
ガザ中部出身・アンハールさんのスピーチ
第2部 ガザ、人間の恥としての p117
「<パレスチナ>を生きる人々をおもう学生若者有志の会」
今、目の前で起きている p119
「忘却が、次の虐殺を準備する」 p123
忘却の集積の果てに p124
二〇一二年三月 著者ガザに入る
「開戦前の既成事実、すなわち七年間続いた封鎖状態に戻るだけの、そんな停戦などいらない。それは私たちに生きながら死ねと言うに等しい」
不均衡な攻撃 p126
平和デモへの口撃 p129
二〇一八年「帰還の大行進
一つは、難民の帰還の実現
二つ目は国際法違反であるガザ封鎖のか解除
三つ目トランプ大統領領への抗議
基本は非暴力の平和デモ
恥知らずの忘却 p133
いぇいせん、そして忘却。
こうやって私たちは忘却を繰り返すことによって、今回のガザ、この紛れもないジェノサイドの道を整えてきたことになります。
巨大な実験所 p135
ガザという野外監獄に閉じ込められながら、パレスチナ人はそれでも、音楽屋演劇やダンスやアートなどの文化活動を続けていました。
サイードミスハール(?)文化センター
ガザの動物園
イスラエル軍が餓死させた動物たちの遺体えおミイラにする
世界は何もしない p142
ガザでパレスチナ人が生きようが死のうが、世界は何の痛痒も感じない。彼らが殺されている時だけ顔をしかめてみせるだけ。
言葉とヒューマニティ p144
ハマースを「人間の姿した化け物」イスラエル大統領、「人間の姿をしたけだもの」国防大臣
パレスチナの詩人、マフムード・ダルウィーシュ「詩を作るには生活に余白が必要である」
私たちは本当に、歴史を学んでいるのでしょうか。学んだ歴史を、今を生きる私たちの教訓としているのでしょうか。
アメリカの復讐心
「憎しみの連鎖」で語ってはいけない p150
朝鮮人集団虐殺→反省??→ハーマスを悪魔化、非人間化→イスラエルがガザに報復
パレスチナとイスラエルの間に起きていることは「暴力の連鎖」でも「憎しみの連鎖でもない
サラ・ロイさん「ホロコーストとともに生きる」
イスラエルによるパレスチナ人の占領は、・・・・・
常に最悪が更新し続けるパレスチナ。p155
サラさん イスラエルがパレスチナ人に対して行っていることはーユダヤ人がどれだけ自分たちを犠牲者とみなそうともー他者の人間性の否定という点において、ナチスがユダヤ人に対して行ったことと等しいのだ
西岸で起きていること p157
十月七日の攻撃が意味するもの p160
ガッサーン・カナファーニー
問うべきは「イスラエルとは何か」 p167
アメリカのユダヤ系市民「自分たちの肉親や親族、愛する者が殺されたホロコーストの記憶を、パレスチナ人を殺戮することの正当化に利用するな。それは、ホロコーストの死者に対する冒?だ」
シオニズムとパレスチナの分割案 p170
イラン・パペ「漸進的ジェノサイド」
>
十九世紀末 ユダヤ人差別、反ユダヤ主義から「シオニズム」登場
アドポック委員会 ホロコーストはヨーロッパで起きた、ヨーロッパの犯罪です。その犯罪の代償を、パレスチナにヨーロッパのユダヤ人の国を創ることでパレスチナ人に支払わせるというのは、政治的に不正である。
デイル・ヤシーン事件
イスラエルという国は、パレスチナ人に対するこうした暴力的な民族浄化の上に作られました。・・・ホロコーストを描いたハリウッド映画では語られることのない歴史の事実です。
(今思うと「栄光への脱出」なんていう映画を何も考えずに観ていたなあ。また、イギリス帝国主義の映画「アラビアのロレンス」も無分別に観ていたなあ)
イスラエルのアパルトヘイト p175
アムネスティ・インターナショナルは、イスラエルが行っていることは、パレスチナ人に対するアパルトヘイト(人種隔離制作)であると言い切っています。
バレカ・ムベテ「・・イスラエルのやっていることは、南アフリカのかアパルトヘイトとは比較できるだけでなく、それよりはるかにひどい(far worse)ものだ」
人道問題ではなく、政治的問題 p178
十発七日以降のガザを「世界最大の野外監獄」と言うのは間違っています。監獄でこんなことは起きないです。もはや絶滅収容所です。
日本、アパルトヘイトの南アに製品売り
まくり、安倍晋三、ネタニヤフと「日本とイスラエルの包括的パートナーシップの構築に関する共同声明」
ネルソン・マンデラ「パレスチナ人が解放されない限り、私たちの自由が不完全であることを私たちはく熟知している」
質疑応答
質問:ガザに対して。パレスチナに対して、今、私たちに
できることは何でしょうかな
質問:無関心な人に対しては、どう働きかければいいでしょうか?
質問:専門家ではない自分は、パレスチナどう起きていることについて語ったりしてもよいのでしょうか。その際気をつけるべきことは何でしょうか。
質問:アメリカは、イスラエルgsこれほどの攻撃toudino遠続けても、なぜイスラエルヲ支持するのでしょうか?
質問:BDS運動について詳しくはおしえてください。
イスラエル二体するボイコット(Boycott),投資の引き上げ(Divestment)、経済制裁(Sanctions)
BDS Tokyo
[2024年11月日]
人文科学者(p34)エドワード・w・サイード著杉田英明訳「パレスチナ問題」みすず書房二〇〇四年二月発行
図書館から借りて読む。
序 p1
第一章 パレスチナ問題
1 パレスチナとパレスチナ人 p16
2 パレスチナとリベラルな西洋 p29
3 表象の問題 p55
4 パレスチナ人の権利 p65
第ニ章 犠牲者の視点から見たシオニズム
1 シオニズムとヨーロッパ植民地主義の姿勢 p87
2 シオニストの住民化とパレスチナ人の非住民化 p118
第三章 パレスチナ人の民族自決に向けて
1 残留者、逃亡者、そして占領下の人々 p166
2 パレスチナ人意識の発生 p196
3 PLOの擡頭 p214
4 審議未了のパレスチナ人 p227
第四章 キャンプ・デーヴィッド以降のパレスチナ問題
1 委託された権限ー修辞と権力 p249
2 エジプト、イスラエル、合衆国ーそれ以外に条約が含意したもの p267
3 パレスチナ人および地域現実 p283
4 不透明な未来 p307
一九九二年版への序文 p317
跋 p353
訳者解説 p361
[2024年11月4日]
中野重治著「村の家・おじさんの話し・歌のわかれ」講談社文芸文庫一九九四年三月発行より「歌のわかれ」を読む。
高校生の頃、プロレタリア文学にも関心があった。多喜二、徳永直、中野重治を読んだ。金はないので文庫本で発行されているのがメインである。
中野重治は後に甲乙丙丁を読むことになるが、
高校時代、歌のわかれ、汽車の罐焚き、むらぎもを読んだ記憶が残っている。むらぎもは後に読んで、高校時代のこんなもの読めたのかなと疑問を感じる。何せ記憶力が弱い。逆に新鮮なものとして読める、
「歌のわかれ」(1939年)を読む。<>
下宿なのだ、旧制高校は全寮制かと思っていたが、そうではなかったそうだね
兼六公園 p154、いつから兼六園と呼ぶようになったのだろう。私は兼六公園と呼んでいた。
鶴来金之助 p168
金之助のモデルたる窪川鶴次郎
奇声を発して金之助は手を振った。・・・あのどさくさの時に東京にいたとしたら、朝鮮人そっくりの顔をした彼はどんな危険にさらされたか知れたものではなかった。 p175
屋根の連中が見下ろした下をブルックナーが帰って行くところであった。安吉たちの教室は表面玄関の上に位置したため、・・・ p193
倫理学の教科書・・・「二円五〇銭かぁ・・」 p197
県庁の二本の椎の大木・・ p201
そこは女学校の門の前・・ p203
牛肉屋の天狗で・・ p213
「横手って駅の向こうの方の名アがや。」
「さっきの、横手の人ってね、あれ被差別部落ってことじゃないのか。」 p215
文科の事務室
安吉はそこでさしあたり必要ないろいろの手続きをすました。 p247、高校は二回留年し東大に入ったわけか。 p247
「丸越」酒屋 p264、??
大便がしたくなった。 p274
彼は袖を振るうようにしてうつむいて急ぎながら、なんとなくこれで短歌ともお別れだという気がしてきてならなかった。 p281
中野重治 論ノート
金之助のモデルたる窪川鶴次郎
[2024年10月日]
人文科学者(p34)エドワード・w・サイード著 板垣雄三・杉田英明監修 今沢紀子訳「オリエンタリズム」平凡社一九九三年六月発行
大江健三郎と親しい文学研究者 図書館から借りて読む。
序説 p15
一 p17
オリエンタリズムはオリエントとオクシデントとされるものとのあいだに設けられた存在論的・認識論的区別にもとづく思考様式なのである。 p20
つまり言説(デイスクール)としてのオリエンタリズム p22
ニ p24
そしてオリエントが、西洋に内在するものとして p25
東洋は単に西洋人の仕事場にすぎないと言ったかのごとく解釈してはならないのだ。 p25
グラムシは、市民社会と政治的な社会とのあいだに効果的な分析上の設けた。
文化的主導権の形態は・・・ヘゲモニー p29
三 p33
1、純粋な知識と政治的な知識の相違 p34
テクスチュアリティp41:テクストの意味を他のテクストとの関連によって見つけ出すことである。 テクスト間相互関連性と訳されたり、英語からインターテクスチュアリティーと呼ばれたりすることもあるWikipedia
上部構造のレヴェルと下部構造のレヴェルのあいだに横たわる溝・・ p43
パースペクティブ:遠近感を出して表現する透視図、遠近法
序説で中止
挫折?
第一章 オリエンタリズムの領域 p77
一 東洋人を知る P79
ニ 心象地理等その諸要素 オリエントのオリエント化 P120
三 プロジェクト p174
四 危機 p220
第ニ章 オリエンタリズムの構成と再構成 p263
一 再設定された境界線・再定義された問題・世俗化された宗教 p265
ニ シルヴェストル・ド・サシとエルネスト・ルナン 合理主義的人類学と文献学実験室 p288
三 オリエント在住とオリエントに関する学識 語彙記述と想像力とが必要とするもの p342
四 巡礼者と巡礼行 イギリス人とフランス人 p381
[2024年10月日]
高校生の頃、中野重治を読んだ記憶があるのは、汽車の罐焚き、歌のわかれ、むらぎもである、はず。後の二作は記憶が薄く、むらぎもはこんな難しいの読んだのかなと思う。
中野重治著「村の家・おじさんの話・歌のわかれ」」講談社文芸文庫一九九四年三月発行から「歌のわかれ」を読む。
[2024年10月28日]
序説 p15
ジョナサン・スイフト Jonathan Seift著 原民喜訳「ガリバー旅行記 GULLIVER‘S TRAVELS」青空文庫版を読む。
第一、小人国(リリパット)
1 大騒動
2 人間山
3 いろいろな曲芸
4 宮殿見学
5 大手柄
6 ハイ さようなら
第二、大人国(ブロブディンナク)
1 つまみ上げられた私
2 見世物にされた私
3 箱の中のわたし
4 猿にからかわれて
5 鷲にさらわれて
第三、飛島(ラピュタ)
1 変てこな人たち
2、発明屋敷
3 幽霊の島
4 死なない人間
日本、踏み絵
Doq
第四、馬の国(フウイヌム)
1 馬の主人
2 不思議なヤーフ
3 楽しい家庭
4 ヤーフ君、お人事人間
著者から読者へに代えて
あとがき
ガチヴァ旅行記
ーK・Cにー
一匹の馬
「オウド」??
ガリヴァの歌
初めて青空文庫を読んだ。
底本:「ガリバー旅行記」講談社学芸文庫
ガリバー旅行記は文庫本であったはずだが行方不明。
大江健三郎が「状況へ」に「ガリヴァの馬」のエッセイに原民喜のガリヴァについtについて書いているので今回読んだわけ。
この青空文庫版を読んでよかった。
広島の原爆後の馬についても書いてあった。
ガリヴァが日本に来ているのは知らなかった(忘れていた!)。
[2024年10月9日]
名倉哲三・保谷徹・箱石台編「戊辰戦争の新視点 上 世界・政治」吉川弘文館二〇一八年発行を図書館から借りてちらっと見る。
「維新もの」には関心が薄いせいか、何が新視点かわからない。
ちなみに目次、見出しの一部を掲げれば、
軍事同盟としての奧羽越列藩同盟
ー会津藩・庄内藩・小藩・飛び地ー
嘆願同盟と軍事同盟
一奥羽悦子列藩同盟の多面性
仙台藩州戦活動と奥羽諸藩
大藩と小藩に対する認識
会庄同盟と
会議・嘆願・盟約・軍事
二会津藩・庄内藩と白石会議の情報
会津藩から庄内藩への情報伝達
会津藩の思惑
m梶原書状の広がり
三米沢藩と南で和の小藩・飛び地
米沢藩による飛びますの取り込み
飛び地の出兵
小藩による政治工作
山形藩の養子問題
米沢藩の「最上鎮撫」戦略
※ ※
奥羽越の地域連合
[2024年10月7日]
吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」岩波文庫二〇一八年第八十七刷を読む。
高校生の頃、
三太郎の日記、倉田百三などを読み、人生論には関心があった、中学生の頃は実篤。
吉野源三郎のこれに遭遇することはなかった。
児童文学の領域であることからかるく見ていたかも知れない。
実はアニメ映画「君たちはどう生きるか」を見ていたので、しっかり読んでおこうと思った次第。
書き込みありを古書市で100円で購入した。
読んで自分が恥ずかしくなった。
卓上電灯が出てきた、なんだっけ、そうそう電気スタンドだ。
哲学、人生論を児童文学にするとこうなるのか。文学は素晴らしい。
丸山眞男が解説というかあとがきというかを書いているのである。価値あり。::
[2024年9月日]
NHK100分de名著のエチカ スピノザ 國墳功一郎 二〇一八年十二月発行を読む。
スピノザのエチカについては学生の頃授業を受け関心を持った。
記憶は曖昧だが、先生は戸頃重基、講義の科目名は倫理学 教材は先生著の『現代倫理学概論 科学対道徳の歴史と理論および実践』(理想社) 1960ではなかったかと思う。
戸頃先生は敗戦によってマルクス主義に目覚めたと語っていた。
エチカ(倫理学) ラテン語、古代ギリシャ語 p5
第1回善悪 p8
スピノザの三つの名前 p8
「哲学する自由」を求めて p16
「神すなわち自然」ー汎神論 p22
『エチカ』はどんな本か?p24
組み合わせとしての善悪ー倫理学の始まり p29
スピノザの感情論 p36
第2回 本質
コナトウスー自分の存在遠維持しようとする力 p38
自分の恒常性を維持しようとする傾向を持ったちからが働いています。 p39
我々は本質をどうとらえているか p40
本質をコナトウスととらえることは、私たちの行き方そのものと関わってくる、ものの見方の転換なのです。 p42
「変状」と「欲望」ー生態学的発想 p42
たとえば暑さという刺激を受けると、発汗という変状が身体に起こります。これは熱を冷ますことによって自分の存在を維持するための反応であり、コナトウスの作用です p44
エソロジー的な視点によってエチカが可能になると言えます。 p47
人生を豊かにするためには p48
「自殺」と「死」について p51
私達一人一人は神の一部であり、神の変状したもの p57
それぞれの様態は個物としての本質を持っています。 p59
「心身平行論」 p60
コナトウスと社会 p62
第3回 自由
「自由」とは何か p66
自由の反対は「強制である p71
能動と受動 p72
「意志」は自由ではない p80
意志と意識の違い p85
「意志の神学」と現代社会 p90
第4回 真理
現代を決定づけた時代 p94
真理の基準は真理自体である p96
真理は自分でつかみ取れーデカルトとの違い p99
「主体の変容」が自分を高める p106
A1と現代社会 p109
哲学を学ぶとは p114
エチカとはこんな内容であったか。
戸頃先生の講義内容はまるっきり覚えてないが、授業の科目の倫理に不似合いだった、哲学ではないのに哲学のようなものとの記憶があるだけだった。学生に人気ある講義ではなかった記憶がある。
[2024年9月20日]
「大江健三郎柄谷行人全体話 世界と日本と日本人」講談社二〇一八年六月三〇日発行を読む。積んでおいた本である。
初出は一九九四年から一九九六年で、「大江健三郎と私」で柄谷は、
編集者から本にしたいといわれたとき、私は
もう古いのではないか、と思った、書いている。
それから六年後私が読んでいるわけだ。
中野重治のエチカ 一九九四年 p15
ちょっとした違いへのこだわり p17
断固として進むペシミスト p25
「片岡鉄兵によると、人間は褒められることによって成長するといいますが、あなたに褒められてうれしい」、「小林多喜二との宮本百合子」中野重治著 講談社一九七二年刊
「ねちねちした」闘争 p28
柴田翔は、「甲乙丙丁」を認めないようです。 p31
「村の家」、「ヘラスの鶯」p36
ヘラスの鶯とは
古代ギリシャ(ヘラス)の人々は鶯を愛した。
二人の姉プロクネー妹ピロメーラーがあり、姉がある王に嫁いで子をもうけた。ところが王は妹を犯し、舌を切る。妹は織物を織って姉に王の非道を知らせ、姉妹は王への復讐のために、姉と王との子を殺して王に食べさせる。それを知った王が斧を手に姉妹を追いかけ、ゼウスがその三人を鳥に変えた。姉は鶯になり、愛しい子の名を鳴いた。
(「最後の小説」3「転向」について(一)p23)
大義(文学)のために、子(現実の歪んだ党)殺して鶯にされてもよい、「鶯として死ねる」と、中野はうれし泪を流すのだ。
(ネット 中野重治の神がかり その2 より)
野島秀勝
暴君の前に屈服せず死を択んで白鳥なり鶯と化す変身復活の悲願
家族-法律-天皇制 p40
連続性において考える p46
認識と倫理 p52
インターナショナルな日本人 p59
戦後の文学の認識と方法 一九九六年 p67
批評と哲学 p69
「近代の彫刻 p70
スピノザ p71
文学研究から普遍的思考へ p77
翻訳の両犠牲 p80
小泉八雲の翻訳した手紙 p84
美的対象としての日本 p89
普遍を目指した戦後文学 p92
日本的細部の判断の難しさ p98
行き方全体の問題としてのロマンティシズム p100
文学が意味を持っていた時代 p105
「万延元年のフットボール」の創造力 p109
現実生活に無意味なものの意味 p112
スピノザからドゥルーズまで p117
哲学、社会科学を文学の力に p122
狂気のような情熱 p126
リチャード-キム「殉教者」、マルケス「百年の孤独」ともに衰弱している。 p128
世界との日本と日本人 一九九五年 p134
「あいまい」という日本語 p135
ambiguous
dubious
vague
clear
ambivalent
ambivalence
ambiguity
ambi
ambo ラテン語 二つの
valent
guous
shady
dubious
ambivalent ambiguous. twe-edged
vacilllation バシレーション
悲劇と笑い p144
クンデラ「裏切られた遺言」
悲劇と笑い
小説は両義性の間で揺れている。悲惨なことですけれども、
同時に、笑いを誘う。 p149
近代の精神としての小説 p152
いつのまにか後ろを向いて、自分の書いたものを検討しながらやるようになった。つまり自分にとっての小説の終わりというものを書こうとしてきたように思いますね。 p154
大江さんは小説が終わったという。グローバルにも p168
(大江健三郎 最後の小説 新潮一九八八年)
この時代はこんなふうにして終わろうとしているのにその時代の人はみんな平気でその時代で生活し、そして滅びていったんだということです。ギリシャ、ローマ---- p169
プルタークじゃないけれども、司馬遷の史記hそういう滅亡の姿をとらえたものでした。 p171
この本を読めば文学論を読まないでも大江健三郎の文学とは何かがわかる。と思う。
いk[2024年8月22e日]
ち
大分遅れてしまって文藝春秋9月号を購入し芥川賞受賞作を詠む。
二作受賞のうち、
朝比奈秋昨「サンショウウオの四十九日」を読む。
伯父勝彦、父若彦、父の反対側に嚢胞、すなわち胎児内胎児がひとつの物語で
濱岸杏、濱岸瞬は結合双生児で、それも二人が結合して一人の人間になっている。
小説の私が、瞬の場合があり、杏の場合もある。どちらでもある場合もある。
読み進むと結合双生児であることがわかってくる。
肉体を含めて私とは何かの小説で、答えはない。
勝彦さんの四十九日なのだが、
高校一年生
博物館 黒いオオサンショウウオが一匹、白いオオサンショウウオが一匹 p335
白黒のサンショウウオの感覚が蘇った。p342
正直言って読んでいて全然面白くなかった。
次いで
松永K三蔵作「バリ山行」を読む。
サラリーマンとしての仕事風景、山行きがリアルに描かれ、小説の厚みになっている。
[2024年8月8日]
かなり前の本だが、一寸見直したくなった。
小野田襄二著[新装版]革命的左翼という擬制1958ー1975 白順社2008年7月14日発行
松崎明死去(2010年12月9日)の新聞記事の切り抜きが挟んであるので、発行から日が浅い時期に購入したと思われる。
一部読み返す。世代的に近く、そうだったのかと思うことがある。
樺美智子さんの死を権力批判に使うのではなく、何故、そういう状況に持っていったのか自己批判すべきあろうと考えるのは尤もでろう。
革共同(マル同) p10. マルクス主義学生同盟(マル同) p13 、マル同と社学同を統一し共産主義学生同盟にする構想 p14、
社学同(マル同)p207、
マル同がマル学同なのか、社学同なのか曖昧なのだが、当時の学生組織自体曖昧だったのだろう。
[2024年5月25日]
柄谷行人編浅田彰+蓮見重彦+三浦雅士「近代日本の批評 昭和篇[下]」福武書店一九九一年三月発行を図書館から借りて、
4 <対談>昭和批評の諸問題1965ー1989
浅田彰・柄谷行人・蓮見重彦・三浦雅士 p125
大江健三郎と山口昌男 p145
三浦:一九四五年とか、五十年とか、あるいは六十年というところまでの、敗戦、労働運動、反戦闘争、安保闘争っていうのは、祝祭に見えてたわけです。そういうふうなのが革命であり祝祭であり云々と。で、六〇年代というのはそれが全部だめになっていく過程です。完全に一種のブルジョワ化というか、高度成長になっていって、 p145
柄谷:・・・大江健三郎の『万延元年のフットボール』は、・・六七年に書かれた。むろんもっと前から構想されたと思うんですけど。それはすでに安保m闘争を、労働運動とか経済的な下部構造とかっていうそんなレベルじゃないところでとらえようとしている。だからぼくはその後の全共闘運動よりも、大江健三郎の想像力のほうが優位にあると思う。・・
三浦:・・大江健三郎の想像力に関して言えば、『万延元年のフットボール』には「スーパーマーケットの天皇」っていうのが出てくる。山口さんのなかには「スーパーマーケットの天皇」は入ってこなあじゃないのかなってところがある。 p146
柄谷と蓮見ならば、かなり異なった視点からの考察かと思ったが、必ずしもそうではなかった。
「内向の世代」 p148
浅田:実際、古井由吉のその後の文体の実験も、要するにある種のマニエリスムでしょう。 p150
三浦:古井さん自身も独文の出身だしね、彼自身ムージルからきたわけでしょう。 p152
ローベルト・ムージル「特性のない男」、買った記憶があるのだが、古井先生が一部教材に使って、それで「特性のない男」を購入したか。
そうだムシルだった。
我が人生で「特性のない男」ブルースト「失われた時を求めて」ジョイス「ユリシーズ」を読んでなかった。今更。
[2024年5月30日]
柄谷行人著「終焉をめぐって」講談社学術文庫1996年1月第ニ刷発行の中の
第一部 固有名をめぐって
大江健三郎のアレゴリーー『万延元年のフットボール』p52
第ニ部 終焉をめぐって
同一性の円環ー大江健三郎と三島由紀夫 p138
を読む。
アレゴリーallegory:喩(たとえ)。比喩。諷喩。寓意。諷喩:遠まわしにそれとなくさとすこと、寓意:他の物事にかこつけて、それとなくある意味をほのめかすこと。(広辞苑第ニ版)
こうした批評において評判の悪いのは、いわばすでにそれ自体が「普遍を考え指示している」ようなタイプの作品である。・・・大江健三郎はそのような批評の標的となってきたといってよい。 p58
事実、一九六九年には「想像力の革命」といった言葉が流行したのである。 p66、??
大江健三郎による固有名の排除は固有名への固執にほかならぬと私はいった。 p70
「奇妙な仕事」依頼、「僕」は、大江らしき個人を指しながら、たえず別のものを意味している。 p70
夜明けまえの暗闇に目覚めながら、熱い「期待の感覚をもとめて、・・・
この熱い「期待」の感覚は、「僕」という語り手のものでさえない。それは、この作品の基底に存する気分であり、「存在感」そのものである。p71
大江の「僕」が、特定の個体でありながら、たえず別の何かを意味するように横にずれて行き、重層的な意味をおびること、それゆえに、人物の名もありふれた名であってはならないことを
いいたいのである。 p71
しかし、元来大江においては、固有名の排除は固有名への固執である。 p72
鷹四が告白する「本当の事」は、政治的な問題ではない。それは白痴の妹を妊娠させ自殺させてしまったことである。 p74、?
第T象限 ブルジョワ的近代化(脱亜論)
第II象限 帝国主義
第V象限 アジア主義(昭和維新)
第W象限 マルクス主義
『万延元年のフットボール)において、大江は、日本近代史の「総体」を喚起し、それを「救剤」
しようとしたといってよい。 p88
すなわち、かれは知らぬ間にヘーゲルに似てしまったのだ、と。 p140
カントのいう主観は、実は
世界を構成する「労働」を意味している。・・・ヘーゲルにおいても、精神は世界を産出し変形する労働なのである。「意識の経験」とは、「精神の労働」にほかならない。同様に、『懐かしい年への?)に書かれている「経験」は、何よりもwork(仕事=作品)なのである。 p142
つまり、「僕」はあたかも"大江健三郎'のように見えながら、そうではない。この作品は明らかに"大江健三郎"という作者よって書かれた自伝のように見えながら、他方で、すべてテクストがみずから織りあげたものとしてある。 p142
この牧歌的な光景、すべてが否定をくぐり抜けた後で肯定される光景において、すべてがとりかえされ、・・・すべては「循環する時のなかの、穏やかで真面目なゲーム」となる。いうまでもなく、これはヘーゲルの言う「絶対知」である。 p144
[2024年5月6日]
北陸ミニ旅行で親不知の駅を観てきたので、
水上勉の「越後つついし親不知」を図書館から借りて読む。
ネットでチェックすると、水上勉、1962年の作品、ところが図書館から借りた光風社書店発行「越後つついし親不知」には、いつ発行いつ印刷など一切書いてないのである。
なお、この本には37頁の「越後つついし親不知」以外には六篇がおさめられている。
「越後つついし親不知」は題名の通り哀しい物語である。
年じゅう波濤の音が岩を噛んでいた。荒波に親は子を忘れ、子は親を忘れて、身の安全に気をうばわれ、岩間から岩間へと、夢中にかけぬけた恐ろしい道は、いまは海中に没しているが、 p10
ネットで調べている中で、映画化されていたのが思い出された。
[2024年3月31日]
井上隆史著「大江健三郎論 怪物作家の「本当ノ事」」光文社新書二〇二四年2月二九日発行を読む。
はじめに p3
第一章 三つの処女作
ー「奇妙な仕事」「死者の奢り」「飼育」 p17
「死者の奢り」は「奇妙な仕事」の同工異曲と語られているが、
私は「死者の奢り」を先に読んだ影響があるのだろうが、同工異曲とは考えず、著者の、吠える犬は上昇へ、屍体は下降はと考えるのに同調する。同工異曲と評したのは平野謙のような気がする、しっかり調べてみよう。
題名もいい、大江はいつもいい題名を付けるなと思っている。
第二章 純粋天皇の胎水しぶく p35
「政治少年死す」、山口二矢十七歳小森一孝十七歳、私十六歳。
われらの世代をこんな風に捉えていたのかと、この小説にはもともと異和感をもっていた。
大江は天皇をどう捉えているのかと考える意味合いはある。文化勲章叙勲拒否を絡めて考える必要がある。
天皇制への批判は当然でもあるが、「天皇」への拘りには特殊なものがある。
第三章 アナルセックスと赤ん坊殺し p55
『個人的な体験』のエンディング再考 p78
エンディングはアフリカに旅立つように記憶していた、単行本は紛失しているので、新潮文庫で見直すと、とんでもない記憶違いであった、二回は読んでるはずだが。
読んでいて、救われるという感じかあった記憶がある。
このエンディングの評価には、市川沙央の考察(ユリイカ大江健三郎)が優れていると思う
。
第四章 オレハ本当ノ事ヲイッタ p81
全体小説と部分小説 p90
岩波講座 文学12現代世界の文学2 1 全体とは何か、全体を見る眼はどのような眼デゴビエあるのか 大江健三郎
篠田一士司会の座談会「現代において文学は可能か」(「展望」一九六四年十一月号)
それが全体小説のプランだったのですが、ぼくはすぐそのプランを捨てました。 p91
これに対して蜜三郎は、自分は「本当の事」をなお見きわめていない」と考えます。
全体小説としての『万延元年のフットボール』 p102
数々の奇怪なエピソードがバラバラに入り乱れることなく結び付けられ、全体として豊穣なる作品世界が構成される。
(『本当の事』は
柄谷行人の
「大江健三郎のアレゴリー」 p105
優れた批評だと思う.
四迷と鷹四 p109
先に引用した曽祖父の弟の手紙は、・・・二葉亭が、亡友奥野弘記の弟に宛てて書いた手紙を、・・・そっくりそのまま借用 p110
柄谷行人の論考しさに富んでいます。
柄谷行人「大江健三郎のかアレゴリー」 p106< br>
曽祖父の弟の手紙は、・・・二葉亭の手紙 p110
第五章 三島由紀夫の死
ー『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』
『沖縄ノート』
『みずから我が涙をぬぐいたまう日』
著者は
「現代において文学は可能か」・・維新前と現代を繋ぐ部分の欠如・・・文体がないから p120
『沖縄ノート」のサディズム p120
六隅許六、渡辺一夫の別名となんとなく認識していたが、装丁デザイナーとしての名前であることに気が付いた。 p145
第十章 大江健三郎の「本当ノ事」
ー『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』『水車』『晩年様式就集』
論争2時間、視線そらさず p272
沖縄戦『集団自決』裁判 p274
アカリへの秘められた殺意が第一の「本当の事」
自分が実のところ原告側の人間だということが第ニの「本当の事」 p296
(『沖縄ノート』の末尾で、「日本人とはなにか、このような日本人でないところの日本人へと自分をかえることはできないか」と述べていました。 p296)
古義人/アカリ
小河/ウナイコ
?/真木 ?:小河 古義人 「私」
「私」/アナベル p300
インセストの主題とそれへの動揺。・・・ここに『水死』が物語る第三の「本当の事」を読み取ることが出来ます。 p300
(そうすると、「万延元年のフットボール」の本当の事はインセスト、大江健三郎自体がインセスト)
「集団自決」裁判原告/島民
大江はこの左側にもあり、怪物である。
>
それが「本当の事」
(読んでるうちに本が行方不明)
批評家井上隆史、大江健三郎のの固定願念
(?)から出発しているのではなく、小説の文面にぶつかって行く、好ましく思える。大江健三郎のファンではない。
大江は両儀性を語るが、大江自身矛盾を含んだ存在と考えればいいのか。
[2024年3月15日]
ウクライナについて、わかり易い書籍はないかとのチェックしていたら、「講義 ウクライナの歴史」があった。
今のウクライナ/ロシアの戦争を単眼で見てはいけないと思う一方、ウクライナについてまるっきり知らないと自覚される。
目次を見ただけでも、複眼的であり、読み易く、良さそうな書籍なのだが、新聞などでは取り上げられなかったようだ。
図書館から借りて読む。
黛 秋津編 三浦清美 小山哲 青島陽子 村田優樹 鶴見太郎 池田嘉郎 浜田樹子 高橋沙奈美 松里公孝 山添博史 著「講義 ウクライナの歴史」山川出版二〇二三年八月発行
第1講 概論 ウクライナの歴史 黛 秋津 18
第2項 キエフ・ルーシー ロシアとウクライナの分岐点 三浦清美 46
ルネサンスがなかったロシア
東方正教世界では、過去を遡ろうとすると、どうしても史上最初のアウトクラトールであるコンスタンティノス大帝までとなります。・・・プラトンやアリストテレスといったキリスト教教父時代の著作者には言及することはぼありません。
ウクライナは西欧社会の一角であるポーランドの支配を受けた関係でポーランドを経由してルネサンスが入ってきたのですが、十分に開花したとはいえない状況でした。 p51
第3講 リトアニア・ポーランド支配の時代 十四?十八世紀の近世ウクライナ地域 小山哲 72
第4講 帝国支配の時代 ロシア帝国、ハプスブルグ帝国下のウクライナ 青島陽子 100
本章でいう「帝国」とは、主に近代ヨーロッパ地域に現れた覇権国家ー広大な領域を支配し、その内部に多様な宗教・言語の文化集団を抱合する政治体のことを指しています。 p109
戦争のさなかに諸帝国のマクロシステムが崩壊すると、それぞれの民族が新しい国家もつことを目指して、住民と国境の再編成を行うことになります。 p130
ウクライナ・ナショナリストはなぜ独立遠目指さなかったのか
二十世紀諸島の帝国ので時代において、国をもたない民族のナショナリズムは必ずしも独立国家を目指したわけでなく、むしろそうしたケースの方が例外的だったという点です。ここでナショナリズムを私なりに定義させていただくと、「民族」としての集団性、固有性を主張し、その主張が公的制度に反映されることを求める運動です。 p139
第5講 ウクライナ・ナショナリズムと帝国の崩壊(一九〇五?一九二一年) 132
ミハイロ・フルシェフスキー p141
現在の戦争を地政学的なロシアとヨーロッパという体制それ自体を、国内政治も含めて固有の現象として分析すること、そしてウクライナの人々がまさにいま経験している惨禍に目を向け、彼らの主体的な選択に耳を傾けることが重要だと考えています。 p159
第6講 ウクライナにおけるユダヤ人の歴史 鶴見太郎 160
鶴見俊輔の縁者だろうと推測していた、確かにご子息であった。
第7講 ソ連時代のウクライナ 池田嘉郎 p186
ただこの戦争でみられるプーチン・ロシアの暴力性はロシア史研究者ある自身にとっても想定外で、それを過小評価していたとしたら、それはなぜだったのかと自問しているところです。 p191
民族の位置づけー十月革命まで p191
レーニンは、プロレタリア革命で統合される世界を最終的にイメージしており、最初の段階では民族という単位が残るのも仕方がないと考えていました。 p192
1917年十月革命
1924年1月21日レーニン死亡
1925年トロツキー革命軍事委員会議長等解任
ネップ 1921-1928年
映画監督オレクサンドル・ドヴジェンコ 『大地』、エイゼンシュテイン以上の監督 p197、?
核戦争を回避しながら、少しずつロシアの国力を削いでいくしかないのが現状でしょう。 p205
第8講 ウクライナとロシアの歴史認識問題 ロシアの「菲ナチ化」言説と「ナチ強力者問題」の背景 浜由樹子 206
はじめにー対立要因の『複層性』
このような戦争似至るほどの深刻な対立を、一つの原因だけで説明するのは難しく、やはりそこにはいくつかの層として要因が重なり合っており、ある段階でそれらが結びつくかたちで発火してしまった、 p206
ナチ協力者問題
ステパン・バンデラ 極右パラミリタリー(民兵による準軍事組織)集団を組織・指揮した人物 p213
「ボリシェヴィキ体制を支えるユダヤ人と戦う」
.ロシア、ポーランドを敵とし、ハンガリー人、ユダヤ人を殺せ」
「ウクライナ民族主義者組織」「ウクライナ蜂起軍」
KGBによって暗殺 p214
ウクライナで発行されたバンデラ生誕百年記念切手 p216
「バンデラ主義者」
ナチ協力者の「英雄」化
バンデラに「ウクライナの英雄」の称号 p215
「アゾフ大隊」も、もとはこの頃に結成されたパラミリタリーの一つ p217
ロシア人の歴史で誇るべき出来事のトップは『大祖国戦争』
「祖国戦争」はナポレオン戦争 p219
クリミア半島南端のヤルタにビック3、
、
ウクライナのナチ協力者の名誉回復は、そのどちらも否定するかのような、ロシア人の多くが大事だと考えているいることに挑戦するかのような印象を与えてしまうものである、 p220
第9講 ウクライナの正教会と分裂の歴史 高橋沙奈美 226
『カインの罪』ーロシア全面侵攻後の正教両派の動き
ヴィクトル・エレンスキー p244
共感ではなく、理解を
ウクライナ正教会を「ロシアの手先」であるとただひたすら叩き続けるやり方が果たし最良の手段といえるのか p248
第10講 ウクライナの国家建設の挫折 ソ連解体の事後処理の観点から 松里公孝 250
二〇一四年?、クリミア州ソヴィエトは、・・・住民投票を一九九一年一月に行い、成功させました。・・万一、ウクライナがソ連を離脱する場合には、クリミアだけはソ連に残れるように p119
アクショノフの下でクリミアは住民投票を行って、ウクライナを離脱してロシアに移ると決めました。 p273
第11講 ロシア・ウクライナ戦争と歴史的観点 山添博史 280
現代の「ハイブリット戦」においては他国の世論を意図的に混乱させる非軍事的な情報工作が行われるようになっており、軍事的既成事実を容易に受け入れるか、それともリスクやコストを伴っても大切なものを守ろうするのか、あるいは矛盾すること言説で混乱するのかを観察されているということを前提に考える必要があります。 p281、?
大統領
クラフチェク→クチマ1994-2004年→ヤヌコヴィチ×ユシチェンコ→ヤヌコヴィチ2010年→マインダ革命2013年2014年ヤヌコヴィチ逃亡
ロシア クリミヤ併合、ハルキウ、ルハンシク、ドネツク武装勢力占拠
ポロシェンコ大統領2014年5月、7月17日マレーシア航空機墜落
ドンバス紛争の永続化ー二〇一四年八?九月
プーチンの『誤読』 p295
二〇二二年・・ともかく除去するべき敵として「ナチ」の呼称を利用・・・ゼレンスキー体制は脆弱なのでウクライナ国民はゼレンスキーの下で戦わないだろう・・・バーデンもロシアとウクライナの戦争には動かないだろう・・・プーチン・ロシアの「誤読」 p297
二〇一四年のクリミア併合、 p297
ロシアは核兵器を使用するか?
ウクライナは、そのためにロシアの本拠地などを攻撃してみて、ここまでは大丈夫、これ以上は危険と、判断を更新しながら、見極めようとしているように見えます。 p305
参考文献 315
著者略歴 317
多角的にウクライナ戦争を見ることができる。
[2024年2月20日]
新潮のPR誌波にいつの頃からか不明だが、漫画家近藤ようこが「家守奇譚」を連載している。原作があり、原作者は梨木香歩である。どのような原作か気になったので、「家守奇譚」新潮文庫平成十八年発行を読んでみる。
やもりきたんと思っていたのが、いえもりきたんだった。どっちでもいいかと。
読み進めたら、
ー当たり前だ、おまえは家守(
やもり)だもの。
高堂がいつの間にかに近づいていてそう云う。 p46、云うという言葉遣いも古いな
ゴローと云う名の犬が出て来る、犬を飼いたくなった。
私は綿貫征四郎、
最後の頁なしに、烏?苺記(やぶがらしのき) 十一 綿貫征四郎
・・・
・・・
(月刊「唐草」十一型號)
かはたれどき・・・・辺りは昏くなりかけていて p113、たそがれどきじゃないか
古語辞典を見たら、おもに明け方をいうが、夕暮れにもいう。とあった。
風は渺々と吹いてくる p133
黒髪を一つに編み臙脂の肩掛けをした若い女性 p134
ゲーテ ミリオン p136
空気は鉛の色合いと質感遠帯び、 p141
悴んだ手 p148
生成り色 p162
ネットでチェックしたら、児童文学者、四五歳の作品か、ふーん。
漫画に成り得るのもわかる。
波を見直したら、「猫ヤナギ芽ぶく」、なんていうのも書いている。
[2024年2月13日]
第百七十回芥川賞受賞作 九段理江作「東京都同情塔」文藝春秋三月号を読む。
ザハ・ハデッド設計の新国立競技場と新宿御苑を臨むところに建つシンパシータワートーキョー(東京都同情塔)建設の稀有壮大な(?)小説である。
作者は浦和市出身、軽んじてはいけない、その辺りですれ違ったりしていた可能性もあるのだ。受賞の言葉掲載の顔写真、傲慢そうな感じを受けるが、貌で人を判断してはいけない。
作品、外苑再開発には触れてないが、外苑再開発に意識が行く。
中心は言葉である。
カタカナ文字、英文字を羅列する。
バベル、シンパシータワートーキョー、タイル、シャワー、コンペ、タワープロジェクト、コミット、デザインコンペ、タワー、ネーミングセンス、STOP.OK、サイズ、オートモード、ワードチョイス、エネルギーチャージ、リゾートホテル、ナチュラル、ネガティヴ、レイプ、ホワイトノイズ、ソックス、ローファー、ボディソープ、シャワーヘッド、ミストモード、ウルトラファインバブル、フロス、ミスト、ケア、ズレ、ドローイング、オファー、アイデア、ポルノ、インタビュー、メタファー、カット、パブリックイメージ、ヴィジョン、ブランド、ドライヤー、マット、ルーティン、ロングヴァージョン、ピラティス、ビョーク、カム・トゥ・ミー、フルコーラス、エロチック、オリジナル、マントラ、コントロール、スケッチブック、ゴミ、ホームレス、ネグレクト、ヴィーガン、マイノリティ、セクシャル・マイノリティ、デッサン、グラス、カタカナ、スタッフ、プライド、スカスカ、サラ・マキナ・アーキテクノ、シングルマザー、パートナー、ノンバイナリー、フォーリンワーカーズ、ディファレントラー・エイルルド、ポリアモリー、ホモ・ミゼラビリス・・・・
約80頁の小説の初めの8頁に出てくるカタカナがこれだけある。
大独り言の時代 p270
私 中年の建築家の女 p272
レイプ被害者の痛み p272 芥川賞受賞作は短編なのに性交でき場面が描かれのが多い、それを描く意味合いはないのが多いと思うのだが。
泡のサイズは0.000001ミリ p273、0.001ミクロン、1ナノの泡?そんなバカな
漢字ヲ覚えるのもクラスです一番早かった。 p276
ホモ・ミゼラビリス p278、ホモ・フェリシタトス p279、作者の造語?
メインは建築家私の語り、
AI-builtの語り、
拓人の出現、語り p281 p296
ザハ・ハデッドの新国立競技場は必ず建つ。 p286、私自身建築には疎いが、ザハの国立競技場はいい、歴史に残る競技場だ。
南側のザハ・ハデッドに対する回答でなければならないのだ。それら二つ揃って初めて、都市の風景は完成する。 p289
ホモ・ミゼラビリス 同情されるべきひと 完全版 マサキ・セト p290・・・
ザハ案のスタジアムが着工になったのが二〇一六年冬 p295
拓人の語り p296
スポーツ・・・むしろ直感的には、メダルの色を争う競技と平和のあいだには、どうやっても飛び越えられないハードルが立ちふさがっているみたいに思える。 p304
二十三年 ? p302
「それにしても思いきった名前だね」 p307
堀内正和「体積が等しい五つの半円球」 p311、これはデッチ上げではなさそう。
夜の新宿御苑に飛び込む、p314、入り口があるのは知っていたが飛び込める形だったかな? p314
彼女の積み上げる言葉が・・・それがAIの構築する文章であることに思い当たった。
そしてなぜか僕は、文章構築AIに対しての憐れみのようなものを覚えていた。 p318
容赦なのない雨に打たれ続けることで、キールアーチの壮麗な威厳も半減していた。 p343
私にとっては、理解も誤解も、あまり違いないように思えるんだ p344
既に私はもう、何かの外部にも内部にもいない。私自身が外部と内部を形成する建築であり、現実の人生なり感情なりォ個々に抱えた人間たちが、私に出入りする。
この女を永久的に立たせておくべきだ。 p350
・・・応答を考えなければいけなかった。・・・いつまで? 実際にこの体が支えきれなくなるまでだ。すべての言葉を詰め込んだ頭を地面に打ちつけ、天と地が逆さになるのを見るまでだ。 p351
わかりにくいそう小説だ。
ひょっとすると名作か。
わかりにくい小説のせいで、二回読んでしまった。老化して読む力がなくなっただけ。
ひょっとしたら、小説自体がAIで、受賞者紹介の写真もAIではないか。
今、神宮外苑の再開発が
問題となっているが、それなら初めから、ザッハ設計の競技場を造るべきだった。
芥川賞候補作全集があれば面白いだろうと思っていた(老い先短いので読やしないが)。調べたら島田雅彦に『島田雅彦芥川賞落選作全集 上、下』があることを知った。
[2024年2月12日]
『帝国 ロシア・辺境への旅 新版』が発行されたのを毎日新聞の書評で知る。
リシャルド・カプシチンスキ著工藤幸雄訳
『帝国 ロシア・辺境への旅』の新版でなく一九九四年発行の旧版で読む。
訳者はかなり前に亡くなっているので、内容は変わらないはずである。
T 最初の出偶い 一九三九ーー六七 p13
ピンスク、一九三九年 p15、独ソ戦は1941年6月
連れ出し p20
シベリア横断鉄道、一九五八年 p34
ザバイカルスクからモスクワまで p36
ブリアート族、カムチャッカ原住民、ツングース族、アイヌ族、オロチョン族、コリアート族 p39
チタからウランウデまで p42
ウランウデよりクラスノヤルスクまで p45
クラスノヤルスクからノヴォシビルスクまで p47
ノヴォシビルスクからオムスクまで p49
オムスクからチェリャビンスクまで p49
チェリャビンスクからカザンまで p52
カザンからモスクワまで p55
南の国々、一九六七年 p55
グルジア p57
イコンのサイズはどれも巨大で p57
ブレジネフ時代か。
グルジア p56
アルメニア p63
一九一五年に、トルコでアルメニア人の大学虐殺 p65
早くも六世紀にはアリストテレスの全著作がアルメニア語に翻訳された。 p72
アゼルバイジャン p74
どれほどアゼルバイジャンが大きかったかに目を見張る。 p80
フルーフィー派人々は、人間の顔のなかに「神を求めた。
幾世紀にもわたり、アゼルバイジャンはペルシャの属州として扱われた。一五〇二ーー一七三六年、ペルシャを支配したサファヴィー王朝の出自はアゼルバイジャンである。 p82
トゥルクメニア p85
遊牧民にとって定住生活に転ずるのは・・・人生における一種の敗残、堕落であった。
金張汗国、ティモール帝国 世界文学のうち最長の叙事詩『マナス』 p87
イラン国境までは車で一時間のドライブだ。 p88
トゥルクメン人、アリイリ族、ヒズル族、ティヴェルジ属州 p90
アリク p92
タジキスタン p97
キリギス p100
ウズベキスタン p101
H・ラップワース『ティムール伝説』(ロンドン、一九三七) p105
U 鳥瞰図から 一九八九ーー九一
第三のローマ p111
ーー共産主義はおわる、・・・・.という安堵と明るさとに。 p112 、著者は反共主義者か
偉大な歴史家ナタン・エイデルマン『ロシアにおける上からの革命』 p114
ブレジネフの愚痴「・・・・望むことのうちで実現できるのはせいぜい三分の一だ」 p116
第三のローマというかんがえは、すでに一四世紀にブスコフの賢人にして預言者、フィロフェイ修道士が唱えている。 p118
ボリシェヴィキーを勝利に導いた策略とは、商人たち、つまり市場原理によってうごく、他に恃むことなき人々遠放逐し、店を接収し、代わりに役人をーー怯懦で従順な権力の手先をーー送り込むことであった。 p121
レーニン、トロツキー、ブハーリン。 p123
寺院と宮殿 p125
スターリンは山ほどの問題を抱えていた。まぶ、ウクライナで一千万人ほど餓死させる作戦の指揮を取っていた。 p131
ジョヴァンニ・バッディスク・ピラネージ p132
ボリシェヴィズムはもはや髪の現容た^_^はなく、神そのものだったのである。 p137
ぼくらは見つめ、涙を流す p141
レオニード・
トロツキイがもっと人の忠告に耳を傾けていたら、・・・尊大不遜な自惚れ屋・・ p143
ナゴルノ・カラバフ問題 p145
アスファルト山の男 p156
トビリシは一本道の町だった。
ソ連邦のような国では、利害は一種類しかなかったー全体主義国家の利害ばかりである。・・崩壊し・・数百数千のさまざま利害、 p163
〈ホモ・ソヴェ定住ィクス〉 p173
おのれ自身からの逃走 p170
石油王アルフレッド・ノーベル氏が持ち込んだ素晴らしいアール・ヌーボ様式の通りがある p178
アユディン・ミルサリノゲル・マメドフ・・・行動の自由とは、われわれのところでは、殺人の自由をいみふる。見ろ、これがペレストロイカ、 p181
キリル文字 p182
ヴォルクターは火に凍える p185
チェルナィシェフスキー 何をなすべきか p191
五十歳まで生きられる鉱員はニ割しかない。
ゲンナージイ・ニコラエヴィチ p195
ここ北の極地では、流刑囚の最大の敵はーNKVDを除けばー寒気であつた。 p204
あすはパシュキールの反乱 p208
「クリール列島[千島列島]は返さないぞ!」 p209パシュキール人の土地にいる。 p213
民族主義はしょうとつなしには存在しえない、 p214
スターリン時代の自然描写の名手、ミハイル・ブリーシュヴィン p216
ロシアの神秘撃 p219
パシュキール人 p220
水たまりを跳び越えながら p232
ヤクート人 p243
コルイマーは霧また霧 p245
ドストエフスキーについてのミハイロフスキイは書く・・・『スチェパンチコヴォ村とその住民』の田舎根性の小人物、いじめ屋、怪物、暴君のフォマー・オピスキンにスターリン、ヒトラーの両凶悪班の祖型をフォマー・オピスキンに予見 p249
残酷な才能は悪霊を扱かう。p230
「マフィア」、かっては「ナロード」、ナロードは人民から連中、一味の意となった p251
マガダンの始まりは同時にスターリン時代の大規模テロの始まりでもあった。p255
彼女らを待つのは、共同風呂と消毒の拷問である(エウゲーニア・ギンズブルグ「険しい行路」邦題「明るい夜 暗い昼」) p256
ベリヤ
(日本のスパイという嫌疑はNKVDが濫用し、このため多くの著名なソヴェトの日本学者餓死犠牲となった。そのうえ杉本良吉らソ連潜入ノゲル日本人も多く餓死銃殺された) p260
〈魔の山〉クレムリン p274
罠 p289
中央アジア、滅亡する海 p317
近々二十年のあいだに、アラル海ームナイクからはもはや見る千すべもないーは表面積ではその三分の一、水量にしてその三分のニを失った。 p325
ドロホビチの町のポモナ p330
クラウディア・ミローノヴァの話では、シベリアにはいろいろな異教異派ノゲル集団が隠れ住んだ。 p333
オデッサからキシニョフへと走る郊外電車は、壊れておんぼろだ。
「キシニョフの特殊性 看板には仏語、露語、独語、アルメニア語 聞こえる言語はモルダヴィア語、すなわちルーマニア語 看板の一枚はポーランド語 ・・・・」(ユーゼフ・イグナツィ・クラシェフスキ「オデッサ、イェディナウ、ブジャクの思い出」)一八一二ー八七 p336
夜行列車でキシニョフを立ち上げキエフへ。
ヴィニツア ウクライナにあるもうひとつノゲルカティンなのだ。一九三七ー三十八年に、NKVDはここで何千人もの人々を殺害した。 p339
>
キエフでは「民族友好」大通りの老婦人、M・Zさん宅に泊まる。・・・・・狭いトイレットのなかは、この国の大部分の便所と同様、床から天井までトイレットペーパーと洗剤の袋の山だ。 p340
旧ソ連邦に数ある大都会のなかで、・・・ぶらぶら歩きや散策のために通りがあるのは、この街だけである。
喫茶店に入ると、行列なしに一杯の紅茶とケーキが楽しめるー p341
キエフの建築物は・・・中世の修道院や正教寺院の数々 バロック 新古典主義 アール・ヌーヴォー様式 スターリンの社会主義リアリズム
p342
外観の美しさはさることながら・・どこの団地にせよ・・階段ホールは荒れ果て、窓ガラスは割れたまま中庭の暗いのは、電灯が盗まれたか ゴキブリ p343
クレシュチャクは、いわばキエフのシャンゼリゼである。・・・今はどの店もからっぽに近い。 p343
「十月革命」広場が「独立広場 p344
おるジョニキーぜ通り 現在のウクライナ革命はこの通りからひろまった。 革命の本営となった「ウクライナ作家同盟」 p345
一九一八年の「ウクライナ独立宣言」 数万人の人間の鎖 p348
一九九一年一月
六月十六日 「宣言」採択
一九九一年八月十九日 モスクワのクーデター
ポーランドのれきしか、J・ヴォンソヴィチ「ウクライナを失えば、ロシアは北の森へおしやられる」 p350
アレクサンドル・ソルジェニーツィン 『ロシア再建論』(邦題「甦れ、わがロシアよ」) 新国家はロシア、ベラルーシ、ウクライナおよび幾多郎カザフスタンで形成
サハロフの未亡人、イレーナ・ボンネル・・・彼女は言うーーわたしが恐るのは、ロシア人の根底ひある「膨張と支配」の精神です
ポーランド人、ロシア人、ユダヤ人、ハンガリーじん、イタリアジン、オーストリア人民、ドイツ人、ルーマニア人p351
ニオべ p353
一九二九年 農業の全般的集団化計画
全国の農民は挙げてコルホーズに所属すること。拒否する農民はラーゲリ送り、シベリアへ強制移住、餓死を押しつける。
集団的な死へと至る飢餓は一九三〇年から始まりそれは七年間も続いた。最大の死者を出したのが一九三三年という年である。
スターリンが餓死に追いやった人々の数は約一千万人に及んだ。p354
(セルゲイ・マクスドフ『鎖の環』。モスクワ、一九九一年)。 p356
(ワシーリィ・グロスマン『万物流転』) p357
ルヴッフ
ドロホビチ p361
ボリシェヴィキーの仕業は、とても言い尽くせやしない。
マクスードフの著書 p359
ブルーノ・ショルツ 肉桂色の店、クレブスィドラ・サナトリウム p363
故郷の町への帰還 p364
ペテルブルクと言えば、・・・・・プーシュキン、ゴーゴリ、ドフトェフスキイの筆力のせいで、時おり、作中人物の方が、今、現に通りで擦れ違う人々よりも遥かに現実感を持ってしまう。 p365
ファシストが政権をだっしゆした当時
・・・・・
この描写はそのままロシアの「十月革命に当てはまる・・・・p367
ノヴゴロド p369
ヴオロージャ・ぺー p369、
ペーのロシア文字はワープロで出すにはどうするんだろう
ノヴゴロドをあとに、ミンスクに急ぐ、「ベラルーシ民族戦線」の
大会が開催中なのだ。 p374
V 続きは進行中 一九九二ーー九十三
続きは進行中 p379
「グラスノスチ(情報公開)」、ペレストロイカ(建て直し)」 p580、ロシア現代史の世界である。
五年間の大奮闘と緊張を持ち堪えたあと、ゴルバチョフはいよいよ疲れ果て、迷い込み、いらいらしている。・・・・彼の周囲にあるのは、次々に最高の地位に任じられながら、やがては彼を裏切って、反対に回る連中ばかりである。
決定的な年一九九一年・・・ヴィリニュスとリガの流血事件 p389
主人公ノヴォシビルスクニコライが棒立ちとなり、トロイカを走らせる・・・4
「・・・・・・・行き着くはどこか、神に任せて走るまでだ。どうなろうと神だけがみそなわす!」
訳者あとがき p408
この本をしっかり読めば、アゼルバイジャンとかあの地域がわかるだろう。だがわかったときには、地域が変わっているのではないか。
読み終わって、著者の民族が気になってしまった。ネットでみると、ピンスク出身のポーランド人ジャーナリストということだ確かに。
詩人でもあるか
鉄条網
君はラーゲリにいる人間について書く
ぼくは人間の中のラーゲリについて書く
君の場合、有刺鉄線は外側にあり
ぼくの場合、それはぼくら各人の内側にうねる
・・・・その違いがそれほど大きいと君は思うか?
,
それはふたつの面なのだ、その同一の苦しみの
この本、読んだが読み切っていない、不消化の部分が多い。丁寧に調べながら読んだら、人生が終わってしまう。
[2024年1月27日]
マサオ・ミヨシという人間はよくわからないので、マサオ・ミヨシ×吉本光宏対話集洛北出版二〇〇七年五月発行を読む。
第T部 疑わしき起源
第一章 戦争中の自殺と袋叩き p13
僕は、自分が東京のでは山手で生まれたとか四国の一小村です育ったーーという言い方で語り始めたくないのです。一度そういう言い方をしてしまうとの、そのレッテルが固着して・・・どこか違う空間に移動しても、依然としてその起源を続けるということになってしまう。 p13
第ニ章 戦争中に英語への関心を持って抱く p25
第三錠 アメリカの自由と反動との奇妙な闘い p39
第四章 アメリカで英文学を教える初めての日本人としてバークレーに行く p52
第五章 バークレーでチョムスキーと出会う p65
僕は小説を読むことが、消耗文化の一変種であると本気に考え始めたと言えるでしょう。 p76
第II部 戦争と抵抗
第六章 最初の戦争体験 p81
第七章 戦後民主主義、新憲法、戦争責任問題 p89
信じられないほどの血が湧き立ち、熱い血が体中を駆け巡ったのです。体は「もう死ぬ必要がなくなったのだ」という興奮で熱くなっていたのです。
第九条は天皇制保存のために、・・・古関さんの『「平和国家」日本の再検討』・・・ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』 p98
原口統三『二十歳のエチュード』 p103
第八章 五〇年代そしてベトナム戦争という六〇年代 p107
一九六四年は僕が反戦のの請願書に署名した最初のでは年でした。 p114
この頃に、『万延元年のフットボール』月出版されたと思います。そして大江健三郎の政治意識もそれと一緒に家族的な文脈に変わっていきました。 ・・・例えばアメリカに対する一種の批評意識は徐々に失われたようです。そして消費文化がますます強大になっていったのです。 p116
一九六四年最初の嘆願書
「この戦争は誤っている。だから我々は反対すべきだ」ーーバークレーでの抵抗運動 p120
「反卒業式」の当日、二百人の教員が集まりました。レーガンでさえノーベル賞をもらった何人をも含めたニ百人のバークレー教授を解雇することはできなかった。 p121
第九章 戦争経験を意識し続ける p125
ブッシュの飼い犬は明らかにブレアと小泉なのです。 p138
第十章 ニヒリズムを超えて生き延びる p147
まあ、今日ではなくサイードでさえ野蛮で過激すぎると言われるのです。サイードの時代は終わった p160
僕は国民国家の概念よって構築された文学は或る時に生まれ、今は死んだと思うのです。
そもそも文学の概念そのものが十八世紀末までは存在しなかったのです。それは啓蒙主義に起源を持ち、帝国主義と資本主義の副産物なのです。
もし帝国主義と資本主義ニ批判的であるなら、特に小説という形態そのものに批判的でなければなりません。小説は本当に自らの国を創造したいという希望の下に生まれたものであり、そして小説は非常に重要な道具となったのです。実際、音楽、芸術、これらのどれをとっても、国民国家のです形成過程に関係していないものはないように思います。 p165
第V部 絶えざる移動と批判
第十一章 知識を考える者としての選択から文学を捨てる p163
植民者たちはいかに英国が勝るかを示さなければならなかった、だから英文学と呼ばれる統一体を生み出すために、 p166
僕が『我ら見しままに』を書いていた時に、サイードは「オリエンタリズム』を書いていました。僕たちはこの頃に友人になりました。
この本は、サイードの『オリエンタリズム』に比べると政治的にははるかに保守的でもあるし、非理論的なものでした。 p171
第十二章 沈黙する日本 p173
その時点での僕の友人は大江健三郎と、大野晋、平凡社の編集者の龍沢武、他に・・柄谷行人、津島佑子、映画監督の羽田澄子、。 p177
平井先生は実直な教授でした。・・・エリオットは偉大な男で、偉大な聖人である。・・・T・S・エリオットの保守性ーー実際驚くほどの保守性なのですーーには平井先生は決して言及しようとしませんでした。大江健三郎にも同じ所があるかもしれません。 p183
いずれにせよ中学校の友人は僕と議論しようとしない。僕たちはただ集まって、断片的に昔の思い出を語るだけなのです。・・・そこには本当の議論はありません。それなりに楽しいことはありますけど。
長い間、僕は大江さんとは対話を維持していると考えていました。だが、今やそれは僕の誤りではなかったかと感じ始めています。彼は会話したりはしない。彼は話が好きだし、非常に上手です。しかし、他人の話には耳を傾けないのではないでしょうか。自分では聞いていると思っているかもしれませんが。 p185
『沈黙の共犯者』と三島由紀夫 p186
マーク・ショアラーが・・・「私はこの男を理解できると思っていたが、この本は私には全くわけがわからない。ちょっと目を通してどう思うか書いてくれないか」
PLOの外部にあったパレスチナ文化保護委員会というNGOの執行委員会だったこともあります。
第十三章 どこから来たのではなく、どこに行くのかーーサイードとの議論を通して p189
僕とサイードとの主要な意見の相違は、「知性」の社会的な役割についてなのです。彼は「知識人」というものを信じていました。僕は信じていないのです。自分を知識人と呼ぶもののほとんどは、実際自己の利益を優先する「専門家」でしかありません。 p202
仕事以外にフランスに行ったことは一度もありません。 p204
第十四章 学問領域という秩序との闘い p205
第W部 抵抗の場へ、あらゆる境界を越えるために
第十五章 地域研究という秩序の問題 p221
『オブセンター』の目次 p222
アーバイン校で連続かいぎ・・・吉本光宏、柄谷行人、礒崎新、ジェイムソン、大江健三郎、津島佑子、ジェイムズ・クリフォード、ハルトゥーニアン、ナジタ、アール・マイナー、イーハブ・ハッサン、 p232
「時間切れだ」 p236
僕たちはもはや国民国家を信頼したりはしません。 p236
なんとかして「政治的抵抗としての学問」を維持しよういうことなのに、彼らが語っているのは、おそらく、より多くの学問的自由なのです。
つまり、ギルド組織がもつ自由と定義してもよいような自由。 p239
日本の教授の多くは自分たちの学生に冴えて責任を負っていると考えていないように思えます。 p239
理事は多かれ少なかれ、大学教授会が決めたことを認可したり、時には苦言を呈したりするだけであり、またそうあるべきだと思います。 p240
僕も、かつては、大学は人々が真に知の真実を追求することに純粋に身を捧げた聖域、神聖な場所などと信じていました。 p245
だから僕たちはその管理不十分な所を利用して局地戦を行うことができるのです。p246
環境研究なのです。・・・全宇宙のことを考えることができるような場所ーー p247
第十六章 イメージと記憶ーー他者との結びつきをいかに受け容れるか p248
ハリウッド映画産業・・・ほとんどの映画はひどいものです。・・その一方で何の利益も上げられそうもない映画を積極的に製作します。 p248
会議はたぶん参加者の経歴、それに主催者の広報活動のために存在しているのでしょう。 p259
芸術は完全に商業化され、ほとんど中世と同じような状況になっています。 p263
礒崎新・・・彼が「つくばセンタービル」を
作った時、建設省の代表は僕の次兄でした。 p264
丹下さんは国家主義者でしょう。サウジアラビアの王宮とか広島記念館とか広大なものを作るのが好きだったのでしょう。 p265
日本では、膨大な予算を持っていながら何に使ってよいかわからなかった時、東京に巨大な建造物を作り続けたのです。 p246
「貧乏人は君の都市でどうするつもりだ」 p268
僕は必ずベトナム・メモリアルを訪れます。 p270
グラウンド・ゼロ・・イスラム圏の米国への憎悪・・・三千人の世界貿易センタービルでの犠牲者、ベトナム戦争の五万八千人の米兵と百万人にも上るというベトナム人犠牲者、イラク戦争の二千人にも及ぶ米兵死者、その十倍以上の重傷者、そして十万以上のイラク市民死亡者、そして広島と長崎・・・
不法な政策を推し進めるブッシュ p272
第X部 批判の自由
第十七章 それでもなぜアメリカなのか
アメリカの自由の表裏 p275
人は自分の人生を生きる p277
もし誰かが何かを強く主張したいと思えば、そうすることができるということだと思います。
「自分の人生を生きるということは、同時に「人を見捨てる」ということでもあるのです。 p279
一九八〇年代にレーガンが大統領になって、状況はさらに極端に変わったのです。 p282
第十八章 Japan is not intresting. 「日本は面白くない。」 p284
エリオットもまた、アメリカは面白くない、なぜなら民主的で、つまり散漫で、誰もが尊敬する中心的権威はどこにもないと言うのです。 p286
本当には言いたいことを言える場所がありません。 p287
村上はつまらない余興家だと思っています。・・・村上春樹は、日本で誰も彼のことを真剣に批評しないことを不満に感じているだろうと思います。・・・レジデント作家 p288
「日本は面白くない」・・・またつまらないことを言っていると思われて無視されてしまったのでしょう。 p289
議論をすることへの関心と責任 p290
アマースト大学・・・人々は演題に呆然としてました。 p290
議論はますます少なくなっているのではないでしょうか。・・・『世界』のようないわゆる進歩的な雑誌なども、ほとんど読む価値のあるものが少なくなっていることへの理由だと思います。 p293
なぜ日本では批評が非難になるのか p293
・・・人々は集まるべきではなかった。だからパブリック・スピーチの発達は非常に良い遅れ、 p294
大杉栄のような人を除いてです。彼は常に公開講演を遮りました。そしてむしろ対話をもとめました。 p294
今日ではアメリカ党員ははるかに声がたかい。もっとも彼らの言うことは整理されておらず同じことをただ繰り返しているだけです。 p295
結局、高度資本主義は富と権力の集中を意味し、反抗はもちろん、知的交換さえ致命的に弱ませるということではないでしょうか。 p296
第十九章 境界の秩序化に抵抗する p297
日本人が日本を特殊ものだと考えるということに意味がないと言うことだと思います。 p298
アイデンティティ・ポリテックス・・・韓国人でない限り韓国文学をしゃべる権利がないとか p298
だからバークレーのエスニック研究学科にはメキシコ系アメリカ人、アジア系アメリカ人、ネイティブアメリカンがぬ含まれています。しかしアフリカ系アメリカ人には、独立した別の学科あるのです。 p300
ですがアジア系アメリカ人とは? p301
「アメリカ系アメリカ人 p302
しかし、アメリカの大学や、日本の大学に何か本質的な違いがあるとは今では僕には思えない。 p306
ケネス・バーク・・・コメントを付けてくれたのですが、 長さは僕のペーパーと同じくらいあったのです。 p308
ケネス・バークは僕の教育の、教育者としてのモデルです。 p309
第Y部 新たなエコロジーに向かって
第二〇章 知の始まりとしての超学問領域 p313
惑星主義と環境への配慮 p313
グローバルな政治経済から市民を護るのが、国家の唯一の使命だと思いますが p314
マルクス主義的な資本主義についての概念 p314、???
「グローバリゼーション」という名の下に国民国家は無視されていまさ。 p314
結局は地球全体の環境保全主義に至るのです。
自分の生活に充足し余裕のある者たちだけが、環境に気を配ることが許されてきました。 p315
僕は環境学の組織のために三つのものを提示することができます。一つはガタリの本。二つ目はジェイムズ・ラブロックの『ガイア』です。そして、このメイン州の大学です。 p319
惑星主義???
第二一章 新たな抵抗の手段としてエコロジーを考える p321
超学問領域とは、それぞれの学問領域が消え去り、別の考え方と融合することを意味します。したがって、経済学と文学は一緒になるべきだし、・・・p322
リサイクルをもやめてリユース p327
日本のリサイクル率は全般的には非常に低い。 p328
しかし反撃することで人々は明らかに何かを成し遂げることができます。 p329
そう、エキゾニックな観光地としての名所、だからそれは危険があると思う。 p332
第二二章 知識人ではなく単に人間として抵抗するために p333
国家は国民の代表ではなく、あまりにも露骨に大企業の利益追求を保護する機関のようになりつつあります。 p333
国民国家は機能しないというのは、国民と国家の完全な断絶を意味するのです。 p334
北米自由貿易業と最近のヨーロッパ連合、そしてEU憲法とは欧州自由貿易連合・・・しほんだけでなか、生産機構が海外に送られてしまい、 p335
「我々日本人」や「我々アメリカ人」などの言葉は、決して貧しい人々を助けるために使われたことはないのです。 p339
批評とは抵抗であるーー知識人という問題 p340
NHKで作った『未来潮流』の一つで僕とエドワードとの対談(一九九六年十一月十六日NHK教育テレビで放映 p344
サイードが知識人の責任について語った時、彼は知識人であることを受け入れました。 p347
新たな批評空間をめざして(あとがき) 吉本光宏 p353
「ディアスポラ知識人」??? p336
今や合衆国にとって日本は、とくに興味をかきたてる研究対象ではない、 p358
アニメやビデオゲームが官・学の注目を浴びているのはそれらが日本に固有の文化的特質を体現しているからでなく、グローバルな規模で売れているからである。 p361
ミヨシの原動力をひとつあげるとすれば、それは全体性への配慮だといえるだろう。 p363
ミヨシの介入がなければ、過去三〇年にわたってアメリカの日本研究がどれだけ退屈なものに終わっていたことか。 p363
ナショナルとトランスナショナルの二項対立は、人文科学を再活性化するのではなく、ますます大学制度の周縁へと追いやってしまっている。 p365
グローバルという概念が外部性として排除する多様で異質な要素を含んだ惑星という全体性が要請するのは、他者の他者性を消去することなくその声に耳を傾け理解する最大限の努力をするというはことに加えて、どうすれば互いに傷つけ合ったり奪い合ったりすることなく他者と共存できるのか、その具体的な方策を真剣に模索するということである。 p366
スピヴァクの惑星主義とは別。
[2024年1月日]
雑誌「世界」一月号に小川公代が<小さな物語>の復興 第1回戦争 『フランケンシュタイン』を読むを書いている。
小川公代の「世界文学をケアで読み解く」を読んでいた。
それで、メアリー・シェリー著田内史文訳新訳「フランケンシュタイン」角川文庫平成27年発行を読む。
まえがき M・W・S 一八三一年十月十五日 ロンドンにて
序文 一八一七年 マーロウにて
第一巻
手紙 1 p22
イングランド サヴィル夫人へ べテラスブルクマーガレット グリーンランド アルハンゲリスク R・ウォルトンより
手紙 2 p29
サヴィル夫人へ マーガレット、
トマス叔父さん R・ウォルトンより
手紙 3 p34
サヴィル夫人へ マーガレット姉さん R・ウォルトンより
手紙 4 p37
サヴィル夫人へ 橇の人物
客人
ウォルトン隊長
第一章 p51
ジュネーブ ポーフォール 私の父の友人没落した商人、カロリーヌ・ポーフォール娘 父の妻となる、私はナポリで誕生、
ある高貴な御仁の娘エリザベト・ラベェンツァ ルツェルンの街 エリザベト・ラベンツァ ヴィクトル
第二章 p61
アンリ・クレルヴァル
コルネリウス・アグリッパ
ベルリーヴ近郊 ジュラ山脈
第三章 p71
エリザベトの猩紅熱、母の死
インゴルシュタット
クレンペ教授 アルベドウス・マグネス パラケルスス
ヴァルトマン教授
フランケンシュタイの魂 p80
第四章 p84
第五章 p95
半ば消え入りかけたその灯りの中に、物体がその澱んだ黄色い瞳を開くのが見えたのです。物体がが重々しく呼吸をすると、手脚にぴくぴくと痙攣が走りました。 p95
アンリ・クレルヴァル フランケンシュタイン
『ウェイクフィールドの牧師』 p100
ヴィクトル
第六章 p107
エルネスト マダム・モリッツ ジェスティヌ ウィリアム坊や ルイーザ・ビロン ミス・マンスフィルド ジョン・メルボーン マノン嬢 ムッシュー・デュヴァラール ルイ・マノワール マダム・タヴェルニェ
第七章 p121
父からの手紙
ヴィクトルへ
ウィリアムが殺された
哀れな父 アルフォンス・フランケンシュタインより
ジュスティヌ・モリッツが犯人?
第二巻 p153
第一章 p156
馬からラバに p163
シャモニー渓谷・・・セルヴォー渓谷には及ばない モンブラン p164
第二章 p166
い、フランケンシュタインよ。どうか他の者どもには公正で、俺だけを踏みにじるのはやめてくれ。 p173
第三章 p177
第四章 p189
アガサ フェリックス
自分の姿の異様さ・・・もし会話がすることができたなら、それも見過ごしてもらえるかもしれない p194
第五章 p198
サフィ
ならばこの俺はいったい何者なのだ? p204
俺はいったい何者なのだ? p207
第六章 p208
ド・ラセー トル
レグホンはイタリアの地名
第七章 p216
若きウェルテルの悩み ゲーテ一七七四年刊、 十八世紀か、
第八章 p231
フェリックスの家族去る。
フランケンシュタインの子供を殺める、
俺と同じ生き物でなくてならぬ、お前には、その生き物を創る義務があるのだぞ。 p244
第九章
絆モーランド愛情も貰えぬのならば、俺には憎悪と悪徳しか残らん。愛してくれる者があるなら悪行の根も滅び、行きとし生けるあらゆる者たちの目に見えぬ、つまらぬ物になるのだ。p250
第三巻 p255
第一章
ジュネーブ
ストラスブールでクレヴァルと合流 p261
渡英
ロンドン塔 p269
第二章 p270
ロンドン オックスフォード
温かきフォークランドと傲慢なるゴアリング p273
マトロック ダービー ガンバーランド ウエストモーランド エジンバラ クーパー セント・アンドローズ
スコットランド ハイランド オークニー諸島
怪物の妻の創作 p281
第三章 p283
アイルランド
第四章 p299
殺人の容疑 クレヴィル カーウィン判事 容疑の解消
アヘン剤 p315
第五章 p316
パリ
百姓の自由 p323
悪鬼 奴 人外め 化け物 p324
第六章 p333
エリザベトの死
第7章 p345
ある怪物を追って
ウォルトンの手紙ー続き p359
一七××年八月二十六日
九月二日
九月五日
9月七日
九月十二日
フランケンシュタインの死 p374
怪物は遥か彼方に消えていってしまった p383
訳者あとがき p385
このあとがきの前に、まずは本編をひととおりお読みいただきたい、とあり、これに従った。
親子の物語でもあるという部分 フランケンシュタインと怪物は、 p389