大寺の駅名も今はなく、会津線も大幅に変わっている。
時刻表では、気動車即ちジーゼル機関車はシカクに気のマークで、このマークのないのは蒸気機関車である。
蒸気とジーゼルが混在していた時期であることが認められる。
時刻表 昭和36年10月号復刻版/交通公社による。
磐越西線にはまだないが、電車はマルに電である。
なお、小生が多く利用したのは朝は214列車で、帰りは227列車で今で言うSLである。
機関車の煙で覆われる跨線橋など、今思えば貴重な思い出でもある。
赤い枠は私が利用していた汽車、汽車に乗るのにも行列し並ぶマナーはなく、乗車口にワーッと集まって乗ったものである。
満員の時には連結している貨車に乗車することもあった。二等の客車も連結していた、但し、乗客を見たことがなかった。
欄外の記述も楽しく、べろせんべい(30円)など当時の物価が分かる。