旅のコース:浦和駅→東京駅→東海道新幹線→新大阪→山陽新幹線→姫路→播但線、山陰本線→香住→餘部→浜坂→タクシー→湯村温泉(泊)
湯村温泉→バス→浜坂→鳥取(泊)
鳥取→ANA→羽田→浦和
2月22日
関西へ向けての東海道新幹線、何も珍しいわけではないが定年後一切乗ることがなくなって、今では懐かしくなりカメラに納めた。のぞみ7号博多行きである。
姫路から餘部方面に向かう播但線浜坂行きはまかぜ1号、播但線、初めてである。播磨の国と但馬の国、遠くに来た感じになる。
播但線のホームの入り口で買い求めたたこめし、明石蛸だそうで美味かった。
この香美町の香住駅で普通列車に乗り換える。蟹の漁獲量がかなりのものらしく、駅にはカニ迎、駅の表にもカニの看板がある。
1時間近くあるので一寸町をブラブラし浜にまで行く。
第一の目的の餘部鉄橋
餘部、簡単に余部と書いたりするが、余部駅は姫新線にある、但し「よべ」と呼ぶ。
鉄橋は餘部鉄橋とも余部鉄橋とも書くようだ。
駅舎はなく、ホームが駅で、当然(?)無人駅である。
列車が鉄橋を渡る時、窓からパチリ、乗っているとそんなに高い鉄橋には感じられない。渡り終えた所に餘部の駅、ホームがある。
鉄は圧巻である。
撮影ポイントの案内があり、一枚目はそこからの写真。三月いっぱいでそのポイントへの立ち入り不可になるようだ。
鉄塔の根本まで家が迫っているのにはびっくりであった。家が鉄橋になじまわざるを得ないということなのだろうか。
漁村はどこでも家が建て込んでいるものである。
鉄橋せんべいとか鉄橋饅頭とかがあるかと思ったら、そのようなものどころか、店もない静かな地域である。
やってくる列車は「城崎温泉→浜坂」、乗る人は少ない。
ボタンを押してドアを開けるタイプで、小生が黙ってドアの前に立っていたら後ろの人がボタンを押してくれた。
2月23日
湯村温泉、春来川沿いの温泉街でNHKドラマ「夢千代日記」のロケ地になったところでもある。
旅館に泊まり、朝窓を開けると温泉街は雪に覆われていた。部屋に配られた日本海新聞、日本海と言えば海岸線の長い新潟県を
思い浮かべるのだが、当たり前だがここも日本海に近い。
荒湯は草津温泉の湯畑のようなもの、高温で温泉卵が作れるので近くの店では生卵を売っている。
荒湯の写真は前日夕方に撮ったもの。
湯豆腐の「荒湯豆腐」は名物となっている。
風、雪の寒さで、浜坂のほたるいか専門の店に行く予定を中止し、鳥取駅で熱い鍋焼きうどんを食べる。
天候の回復を待ったが、回復せずホテルに引き籠もり状態。
2月24日
かなりの強風、帰ってからニュースを見たら、富山県の入善町で高波により住宅や倉庫など9棟が全半壊。無事帰れたものだ。
強風の中の砂丘、風紋も雪混じりであった。雪かと思ってよく見ると霰混じりである。
一枚目の写真の右下は昭和39年3月17日、ここを訪れた時の写真である。傘を差しているので雨が降っていたのであろう。
浦富海岸、うらどめと発音する。海が荒れて波打ち際には全然近寄れない。右下の写真の岩がどれかも確認しようがなかった。
かなり荒れた海で演歌の世界どころではなかった。海は荒海..新潟佐渡の海を思い浮かべるのだが、これからは鳥取の
海を思い浮かべよう。
鳥取城趾も雪霰の中であった。
変な観光用の天守閣が造られてなくて良かった。
昼食はまつむら旅館での蟹料理、生簀の中では蟹がうようよ、強い方のハサミが輪ゴムで止められている。
写真は焼き蟹用の鍋、ここで焼いて殻がオレンジ色になると食べられる。写真には写ってないが左に蟹鍋があり、
ぼさエビの刺身もある。
蟹味噌を食べると酒に酔わない、実は本当らしく、この時とっくり4本飲んで酔いは回らなかった。通常昼には一合飲んでも
結構大変なはず、後から考えると旅先でよくぞ四本もと思う。
ここが今回の旅の目的でもあるH氏宅である。
四十四年前宿泊したことのある家で、当時の姿をそのまま残している。今回の鳥取観光はこの家の主の案内に依るものであり、
モノクロ写真の四十四年前も同一人であった。
思い出は時を経るに従い膨らんで来るもので、後日実物に接すると、意外に小さかったんだ思うものだが、
H氏邸の場合、逆に思っていたより大きかったんだなあとの印象を受けるに至った。
山あいが近く、雪が位置と季節を象徴している。
部屋には大火鉢が二台に炭がカンカンに熾されており、更に石油ストーブ二台で温められていた。
閉ざされた雨戸のガラス窓から見える庭の雪景色、まだまだ冬なのである。