本来竜飛岬に行く予定だったが、宿が全然取れず、今回の五所川原、弘前中心の旅行となった。
全席指定の新幹線つばさに乗ったのだが、デッキに指定券なしのような旅行者がいるのにはびっくりであった。
つばさは全車両全席指定で他の自由席のある新幹線はない、
指定券が取れず、どうしても行かざるを得ない用事があった場合、このようになるのか。
青森(7月3日)
青森から五所川原まで電車で行くつもりだったが、かなり不便で乗り換えも必要で時間もかかり、
青森からバスで行くことにして、青森駅前で昼食をとることにした。
図書館も入っている大きなビルの地下が新鮮市場になっており、そこに食堂もある。駅から数分のところである。
店名は「魚喰いの田」、食べながら窓越しに市場風景が見られる。
滅多に来られない場所なので、全部のせ丼を注文。
津軽線津軽五所川原から金木に行こうと思ったが、電車の待ち時間は1時間以上、
で、バスで行くことにした。斜陽館前というバス停がある。
まさにバス停は斜陽館前である。斜陽館前で降りる。
少年時代、太宰治を溺読していたので、念願の訪問したい場所なのでもある。
この建物は何度か写真で見ており、予想通りの建物であった。
我が少年の頃、旅館だったのではなかったのかと思う。
玄関の上に国指定重要文化財太宰治記念館斜陽館と書いてある。
重要文化財、太宰治の生家と考えてのことならなら、ユーモアにもならないと思うのだが、
極めてしっかりした建造物で、よくぞ火災などにも遭わず残ったものである。
夕方なので見学する人はそう多くはなく、縁側でモバイルPCをいじったりした。
太宰治御膳、太宰ラーメン。
太宰治文学に傾倒し、晩年、人間失格、産まれてどうもすみませんと死への誘惑を感じたりするのは、全く過去のものである。
金木駅、太宰治といえば金木駅、モダーンな駅舎である。
いずれにしてもこの線路を通って五所川原の中学に通ったのであろう。
この津軽線、風今鈴列車となり。時刻によってはゆかたの女性が観光案内してくれるようだ。
翌日(7月4日)、五所川原から弘前に向かう。
五所川原から弘前には川部で乗り換えて行く。五所川原、津軽は不便な場所なのである。
出身者が特有の思いに捕らわれるのも理解できないことではない。
五所川原ではあちこちに立佞武多の看板が出ている。何と読むだろうと思っていたら、「たちねぷた」である。
津軽ではねぶたではなくねぷたであることを再確認さっせられた。
五能線の板柳から藤崎まで、線路の両側は見渡す限りンゴ畑で、かくも広いのが産地というものであろう。
板柳は永山則夫の出身地でもある。
弘前城の天守閣は小さいがは東北地方に残存する唯一の天守閣である。
城の周り、城内は桜の木で埋め尽くされており、咲けば桜の一大名所となる。納得である。
この小旅行中、好天に恵まれたが、雲多く岩木山を見ることは少なく、城内からの岩木山もはっきりし見えなかった。
弘前市内を無料の貸し自転車で走り廻った。明治大正の香り濃く残る建造物を保存している。
寺院も多い、新幹線新青森までの開通を意識したのか、たまたまか、修繕し新しくなったのやら、修繕中のお寺が多い。
昼は弘前市立観光館の追手門で冷つがる満点そばを食べた。980円。
浅虫温泉、有名な温泉だから泊まろうと、それだけである。宿は辰巳館。
熱海と同じように海岸沿いに道路が走り、横断もままならない。そんな風の温泉である。
切符は買ったが、竜飛岬の宿はとれず、付け焼き刃であたふた旅行、なんとか無事帰ることができた。
写真は八戸駅で買った駅弁牛ぜいたく三昧、三昧とは牛丼、カルビー、牛めしの組み合わせである。
850円、ぜいたくということはない。帰りの新幹線の中。