川吉の踏み切り、写真は川吉の村落を下りた時の写真だが、この踏切を超えると直ぐに家々が見える。
五十嵐家、改築され昔の面影はない。今は誰も住んでいない空家になっている。
磐越西線、山都町の一ノ戸川鉄橋、明治43年、完成時には東洋一と謳われた鉄橋である。
橋梁は黄色であるが、かってはこんな色ではなかった。
義叔母が八十代の頃、この鉄橋の話をしたところ、何を勘違いしたか、「今は渡れないよ」と語っていた。
車が普及する前、川吉の住民は近道になる鉄橋を渡って山都町へ往復していたのである。
小学生も高学年になると、川吉から山都町の本校に通学するようになる。
その小学生が鉄橋を渡るので、山都駅(国鉄)から小学校に小学生は鉄橋を渡らないようにとの通達があった。
(と、義叔母が話していた。)
従妹は子供の頃、お祖父さんと一緒に渡って、怖かったと話していた。
山都は蕎麦の名所、山都そばセットを食べる。