12月9日
入院、昨日の病院からの電話で入院の窓口が混雑するとのことで、朝7時頃自宅を出る。
入院は計算された食事と待つことなり。
1.入院窓口 誓約書提出。
2.病棟ナウスセンター 身長体重測定
病棟案内オリエンテーションを素直に受ける。
病棟事務のMさんに拠る。クラークと言っていたのが病棟事務になったわけだ。
ベッドに表示されてる担当医はA先生、M先生、看護師はBグループ。
3.カンファレンスルームでA先生による手術の説明を受け手術の誓約書を提出。
12月10日
手術は午後になるがその前に、処置室の包帯交換に出る。
診察台に寝て、どこをどのように手術するのかマジックで書いて医師同士で相談している。
終わった後マジックが消されているのでどんな風か自分では分からない。
手術は2時から点滴が1時から始まる。
実際は2時45分から5時まで、麻酔の注射を入れてから縫合の終了まで約2時間かかった。
皮膚は引き寄せるので移植はしない。
局所麻酔で意識は有るので、かなりかかったとの実感大である。
眼の下瞼は内出血を呼び易いところで術後一時間足らずで黒くなった。
痛みは午後8時にはかなり治まった。
午後11時点滴終わる(塩化ナトリウム等液+抗生剤)。
まぶたは内出血の血が廻りやすいので黒くなりますよといわれていて、その通り赤黒くなった。
12月11日
傷口が痒いと感じ、治りかけたかと思ったが、夢だった。老人性掻痒で痒かったのと重なったのだ。
右眼の上瞼も腫れ曇って見える。
朝6時、抗生剤(セフトリアキソンナトリウム液)点滴(約1時間)。
点滴終了後は点滴注射針先端血液凝固防止薬ヘパリンを点滴口に注射して終了となる。
包帯交換。
MS先生が診察、MM先生が専門用語で説明。
午後も抗生剤点滴、午後2時。
夜の点滴は10時。
12月12日
右瞼の腫れが若干引いたか、右眼見易くなった。
昨日同様の点滴。
術後二日目の写真、下の方に昨日までドレインがあったが今日はない。(この写真はMM先生に撮ってもらった。)
夜、目頭が痒い。
12月13日
包帯交換、MM先生がベッドまで迎えに来る。
抜糸して退院は火曜日か水曜日になりそう。
カミサン、長女見舞いに来る。
おっと、カミサンは見舞いではない、洗濯物を持ってきたり、持って帰ったりである。
学生カルテットのクリスマス向けの演奏が病棟ロビーであった。そう、もう年末なのだ。
12月14日
日曜日、病院も停電あり、am1時間、pm1時間。
包帯交換はガーゼを外し絆創膏だけにする。
今日の包帯交換はK先生。
シャンプーしても、顔を洗ってもいいと言われたが顔を洗ったら絆創膏の一部が剥がれた。
午後mago2父子が見舞いに来る。
mago2の表情にこころ和らぐ。
吉良家討ち入りの日、病院では当然話題になるわけがない。
12月15日
59.2kg
診断書作成を依頼。
かってはクラークが受け付けていたが、病院書類受付に依頼することになっていた。
退院確定、木曜日9時までに部屋を出るようにとのこと。
12月16日
58.8kg
教授回診。
抜糸、上半分だけ済ます。
娑婆は久々に雨。シャワーを浴びる。
12月17日
睡眠剤なしで眠れた。4日ぶりか。
体重計??
昨日の夜で1日3回の点滴が終了。
今日はA,M両先生が外へ出るので、朝の診察はH先生、初めてじゃないかな。
本来、今日退院してもいいんだろうが、両先生の不在で明日になったわけである。
看護婦さんの丸い帽子は何時なくなったのか、訊ねたところ、数年前とのことだ。
また、6号棟の現状を訪ねたところ、全部壊して新たに建設中だそうだ。
12月18日
一人での退院。
9 時に荷物を持って病室を出る。
荷物の殆どはカミサンが昨日持って帰っている。
9時半に診察を受け病棟を出て、経理で清算したら、次の診察日までの神経痛の薬をもらってないのに気がつき病棟に戻って薬の手配を頼む。
なんやかんやで家に着いたのは昼過ぎになってしまった。
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