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副鼻腔炎手術まで〜2008.07
手術入院

副鼻腔炎とは


入院以前

鼻の状態
 子供の頃から、鼻が悪く、幼少時一度は鼻炎との診断を受けたことがあるのだが、ほったらかしにして来た。
花粉症の症状厳しい20年前頃、Yy耳鼻咽喉科で診てもらったところ、蓄膿症になっていると言われたが、それだけで 医師はどうしようと言うこともなかった。こちらも花粉症にしか意識がなかった。

(今、思えば花粉症で死ぬわけがないと、かなり不眠状態が続いても、毎年放りぱっなしにして置いたのが、 体力低下を招き、天疱瘡に繋がったような気もしている。)  

2000年頃
 鼻汁が黄緑色を帯び、自分で自分の鼻汁が臭いと言う症状に見舞われた。
この時も吉岡耳鼻咽喉科医院(院長増野光子)へ行った。そこでの治療はなく市立病院への紹介状をもらい、市立病院へ行ったのである。
市立病院で、レントゲン撮影をし、「副鼻腔炎」の診断を受けた、抗生物質をもらって服用し症状が治まり、 それだけで通院もなかった。

2008年3〜6月
 また、鼻汁が黄色味を帯び、自分で自分の鼻汁が臭いと言う症状に見舞われた。 花粉症ともオーバーラップし、透明な鼻水に黄緑色が混じるのである。 生活がかなり不便という訳でなく、治療をかまけていた。

2008年6月17日
 花粉症が過ぎても症状が治まらず、医院も変更し「市民の医療ネットワークさいたま」の推薦する 磯部耳鼻咽喉科(院長磯部房子、鳥谷部郁子)へ行く。
レントゲンを撮ったりした後、市立病院を紹介されれ、そこで治療計画を立ててもらうようにとのことになり、 紹介状を書いてもらったり、市立病院の予約などをして戴いた。
紹介状には照会先の武井聡医師の氏名も記載され、その医師の診察日を予約して戴いたわけである。
それまでの間にと、ムコダイン錠250mg、ダーゼン10mg錠、ジスロマック錠50mgを戴く。

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レントゲン写真で左側(矢印)白くなって、膿が溜まっているのが認められる。右は空洞になっていて写真には黒く映る。

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通院 2008年

6月20日
 I医院の紹介状とレントゲン写真を持って、市立病院に行く。ほんとに久々の市立病院、診察券のデザインも変わった、浦和市からさいたま市に 変ったので、当たり前と言えば当たり前、小生の浦和市立病院の診察券、大事にしておこう。
耳鼻咽喉科のT先生、I医院の先生に劣らず、丁寧な説明。
CTスキャンの結果も踏まえて、左の副鼻腔の炎症である、通常の蓄膿症であれば右にも少しは炎症があっても良いはずである。 細菌でなく、カビの可能性が高い。抗生物質が効いたのは、左にカビだけでなく細菌もあったからなのだろう。ポリープもある。
このようなことから、7月10日に入院して内視鏡手術を受けることになった。 唇と歯肉部の間を切開する方法は過去のことのようである。
CTでは明らかに左右の副鼻腔の違いが現れている。なお、ここでもCTの写真は画像が撮影室からパソコンで 診察室に送られる仕組みになっていて、デジカメでは撮りにくいので写真はない。
即、7月10日入院の予約をする。入院申込書を書き、レントゲン(胸)、心電図、尿、血液、HIVの検査を受ける。 HIVの検査は有料である。



副鼻腔炎手術
入院

2008年7月10日
 カミさんは用事があるので、一人で病院へ行く。入院慣れ(?)しているので問題なし・・のはずである。
入院係に入院の申込書及び誓約書を提出する。当然、診察券、保険証、医療券も提出する。
病棟へは行く順を口頭で説明を受け、案内係りなどはなしで一人でカルテを持って行く。
ナースセンターに行くと、例によって体重身長の測定をする。案内された病室差額ベッド代のかからない4人部屋、
おー誰もいない個室になるではないか・・でも、夜救急の患者が入る。

てっきり明日の手術かと思ったら、今日の午後である。そういえばT先生の手術日は月木と聞いていた。 今までの病院は入院した次の日が手術だったので勘違いしてしまった。いずれにしても手術は早い方が良い。

手術スケジュール

 手術着に着替えて抗生物質を点滴をし、車いすで手術室に行く。もちろん昼食抜きである。部分麻酔なので浣腸はない。
手術台に寝て、鼻の部分だけ出すようにして顔を覆われて内視鏡による手術に入る。
部分麻酔なので、その注射を打つ部分に痛み止めを塗る。その時、コカインガーゼの声が聞こえ、 このような際に医用にコカインを使うのだと納得。
ほんの小部分なのだが、メスでゴリゴリやるのが感じられ、力で押さえられる痛みを感じる。
(通風を良くなるように骨壁を取り除き、そこから副鼻腔をふさいでいたポリープを取り除くのである。)
寝ている状態は白内障の手術と似ているが、こちらは骨壁を削り取る力仕事、吸引していても口の中に血が回ってくる。
20分以内、鼻腔に脱脂綿を詰めた状態で終了、切り取ったポリープは白く、悪性ではないのは明らかであった。

夕食後、鼻と頭に痛みを強く感じ、痛み止めの座薬を挿入する。鼻には水が入っても痛い、痛みを強く感じる場所でもある。
眼から涙が出るのが多い、これも手術の影響であるとのことである。
手術前から続けていた点滴は夜の8時に終わる。点滴は2種類あり、8時まで続けたのはソリタ-T3号、電解質製剤である。
スケジュール表にある、肺塞栓予防のためストッキング(弾性ストッキング)の着用、酸素吸入は省略。手術からガーゼの 抜き取りまでの時間が短縮されたためだろう。

7月11日
 鼻に詰めたガーゼは夕方に抜き取る予定である。
ムコダイン錠(副鼻腔の膿を出し易くする)、クラリシッド錠(抗生物質)を今朝から服用する。
終日夕方を待つ。
ガーゼ抜き取る30分ほど前に痛み止めの座薬を挿入する。
ガーゼの抜き取り、痛い。血も出る。
鼻に綿球を詰めて終了のはずだったが、出血多く、局所止血材を詰める。これは予想外だ。
パジャマにも血が..
夕方より血止剤のトランサミンカプセルとアドナ錠を二日間服用することになった。
なお、鼻腔に血が出て来る時には口腔にも血が回って来るのである。

7月12日
 止血剤を抜き取る。
鼻に詰めた綿球には血が付いてくる状態である。
医師は今日にも退院できるというが、安全を見て明日の退院にする。
昨日から体温が37℃を越える時がある、看護師は手術の後だからであると言う。
一箱持ってきたティッシュペーパーが足りなさそうで、一階の売店で一箱購入する、たった三日の入院でティッシュペーパー 一箱使ってしまうとは。 。

7月13日
 退院、カミさんと次女が迎えに来る。
自宅に帰り、これで何事もなしと思っていたら、預けておいた眠剤と胃薬を返してもらうのを忘れていた。
病院からも渡すべき薬を忘れていたとのTELあり、手薄の日曜日の退院は要注意である。
まだ鼻に詰めた綿球に血が付いてくる。

7月14日
 番外・生命保険の書類の依頼と忘れた薬をもらいに病院に行く。



通院 2008

7月18日
 通院なのに雨、バスで行く。
鼻腔内を洗浄、結構痛みを感ずる。内視鏡で観察した後、順調で、更に一週間経てば安定するとのことであった。
ムコダイン錠2錠、クラリシッド錠1錠の服用、一日二回から一回になった。
最後に吸入を自分で行って終了である。
なお、鼻に詰めた綿球に16日まで血が付いているのが観察されたが、17日には古い血を含めて血痕はほとんどなかった。

8月1日
 2時半からの予約だったが、3日ほど前、医師からTELがあり、急な手術が入ったので1時にして欲しいとのことで、昼食をとらずに病院へ行く。
診察の結果、手術痕はきれいで、炎症も起こってなく、服薬も終了してよいとのことであった。
通院はこれでお終いかと思ったら、一ヵ月後診察することになった。この方が安心である。
内視鏡で鼻腔内を観察されてる時、 我慢してたのだが、ついくしゃみが出てしまった。

9月5日
 完全予約制なのでスムーズに診察。
鼻腔内をシュッシュッと消毒し、綿棒(?)を挿し込み、一分ほど経ってからそれを抜き、内視鏡を挿し込んで診る。
きれいであるとのこと。
時たまあった黒っぽい血の固まりの様なものもこの数週出ることがなくなったし今日で終了ということになった。


副鼻腔炎とは

 慢性副鼻腔炎、所謂蓄膿症である。頬の部分にある空洞の副鼻腔が、膿や炎症を起こした粘膜で 一杯になっているのである。
副鼻腔と鼻腔との間が詰まって副鼻腔に感染、炎症が起こるのである。 感染、炎症を起こして詰まるといった方が正確だろう。ポリープもできるのである。
副鼻腔炎の症状が数ヶ月以上続く場合を慢性副鼻腔炎と称する。
原因は明らかでないが、感染、アレルギー、 環境汚染物質の影響などに依るものがある。
小生の場合、放りぱっなしの鼻炎、即ちアレルギーが背景にあると言ってもよいのだろう。
遺伝的なものが発症への要因の1つとあるようだ。 上の歯の歯根の炎症が副鼻腔に広がり、副鼻腔炎を引き起こすこともある。

蓄膿症-副鼻腔炎の手術は唇と歯肉部の間を切開する昔と比べて現在は内視鏡で簡単になっていると書いたが、2009年1月にパート先のNさんが副鼻腔炎の手術を受けて、 症状に複雑さがあり、切開する手術だったとのことである。
複雑さ、微妙さがある場合、脳に近い場所なので、開いて肉眼で見て手術するのも、また当然であろう。

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