福島縣耶麻郡塩川町

塩川駅
塩川駅 塩川駅を及川駅方面から望む。
もう本来の駅舎はなく駅員のいない駅で、白い建物は公民館の施設である。
上りのホームにはポンプがあって、魚釣りを終えるとそこで水を飲み、道具などを洗ったりした。
今では珍しい鉄気を抜く濾過槽がついていた。
右側の草むらは供出米搬出用の貨物列車のホームで、手前の坂になる部分で自転車乗りを覚えた。
馬車の荷台の取っ手(正確な名称は不明)に太ももを潰されていたのを目撃したのも此処である。  

塩川駅 駅から及川駅方面を見る、駅前の農業倉庫群、取り壊されたのか、少なくなったような気がする。
写真の倉庫には勝の字が見え、勝常農協の倉庫である。
どこの倉庫は不明だが、倉庫内で肉を素揚げ(?)をして、食べているのを目撃したことがある、その後米の横流しが話題になった ことがあり、これが絡んでいたようである。

新橋川鉄橋
日橋川にかかる鉄橋、河川工事が進み、新橋川畔には嘗ての面影は残っていないが、鉄橋も架け替えられたようだ。当然か。
この橋の下でも遊んだものだ。

ここは 斉藤嘉右衛門
耶麻郡塩川町新丁1825

アタミ食堂
喜多方市塩川町新丁1825


  

懐かしの通学路
通学路
小学校通学路その1
矢印の通り、おもちゃや奈良屋の蔵の軒下を間を通り、その家の中庭を通り、更に狭い家と家の間を通り抜け、表通りに出る。
中庭を通る時、部屋が見え、今思えば食事などしていたような気がする。
なお、手前には小さな川が流れていて、アヤメが咲いていたのは雪のあるあたりは雑草が生えていた。

通学路 小学校通学路その2
写真では狭い道(?)だが、当時左側は畑で右側が駄菓子屋で道幅ももう少し広かった。
この道をまっすぐ行くと、山川豆腐屋の店の裏口になり、入って行くと、作った豆腐を木枠から出している時である。あぶらげを 揚げる大鍋にも火が入っている。それを見ながら、豆腐店の表の口から出て、大通りに出るのである。
この後、富田屋の横の道を通って小学校に行く。裏の方に富田屋の工場(?)があり、飴を作っているのが見えたものである。
なお、この写真の道路の反対側(手前)は映画館「新栄座」で、今はその建家の痕跡もないが、 そこでフィルムの端切れ貰ったりし、遊んだ懐かしい場所である。
柳の木
小学校の柳、この柳は昔のままのようだ。
「校庭の柳も芽生え、日橋川のネコヤナギも云々」の卒業式の定型句が思い出される。


  

中学校通学路
通学路
左側の下駄屋と右の二瓶歯医者の間の道をまっすぐ行って五十嵐文具店に突き当たり、左に行くと中学校である。
その左に曲がって直ぐに馬蹄屋があり、「カナグチヤ」と呼んでいた。中学校に上がる頃は馬蹄屋を閉め、養鶏をやっていた 記憶がある。
五十嵐文具店に入り込みTVで若乃花栃錦戦を観戦した記憶がある。

塩川中学校 中学校の痕跡はほとんど残ってないが、校舎の一部が移転し、倉庫として使われている。


  

街の風景数点
奈良屋
遊んだことのあるk君の実家の奈良屋、建家、店もは残っている。

川辺 幼児、隣に住んでいた幼なじみのかなこちゃん、川辺嘉奈子さんち「川辺」、かっては奥まった感じで、大通りから、こんな風に見えるはずはなかった。
前の方が更地になってしまったのである。頑丈な蔵造りの家があったように記憶しているのだが。
その後ろに見える理容店は「理容しおみ」で同級生の塩見元子さんの実家である。


  

ほとんど、人が歩いていない街になっており、漠然と歩いていると、何か悪いことをしているような思いにとらわれる。
他人の街になってしまったということなのだろうか。


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