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腰痛のようなものは以前からあり何時から骨頭壊死になったのか、不明である。特発性大腿骨頭壊死症を中心に 天疱瘡罹患以後の 整形外科関連を記した。

狭窄症(?)入院まで 狭窄症(?)入院
通院 2003.11〜2004.03 左脚骨頭置換入院
通院 2004.05〜2005.07 右股関節置換入院
リハビリ病院入院 通院 2005.11〜
2008.03.27(ぎっくり腰も)

特発性大腿骨頭壊死症とは
(認定基準と私の症状)
筋電図検査 貯血
私のリハビリテーション
手すり設置
車いす入門体験記

医療券など

脊柱管狭窄症とは

狭窄症(?)
 入院まで(1)

2002年
天疱瘡入院診察

麻痺 3月11日
 右足、力入らず、麻痺か。
右足の指を上げようとするが全く上がらない。甲も上がらない(右図@Aがダメ)。その他は正常。

3月19日
 神経内科、足の麻痺はステロイドの影響ではないとのこと。ステロイドの場合は両足に症状がでるとのこと。 筋電図、腰のMRI検査予約。

3月26日
 右足の筋電図測定、リハビリ科にも通い始める。
どんなリハビリかは「私のリハビリテーション」において紹介。

3月30日
 整形外科診察、血の流れを良くする薬メチコバールをもらう。
外泊(自宅)、自分の家は落ち着く、これに勝るものはない。PCのメールの整理などをする。

4月10日
 整形外科受診

 

2002年 通院


4月27日
 整形外科

5月7日
 今日より午前中出社、今まで一本杖を使っていたが、杖なしでも通勤可。
勤務先が同じ市内で良かった。

5月20日
 リハビリ科 基本的にリハビリ科は入院中のみ受診可で、今日が最後。

5月25日
 整形外科
右足先マヒ、しびれ8割がた解消

6月19日
 皮膚科 歯科口腔外科 神経内科
一日で3科受けるのは大変。
両手足しびれ感あり。

6月22日
 整形外科

7月27日
 整形外科
両手足しびれ感拡大。

8月24日
 整形外科
右足のマヒ(足先)8割方回復。

9月28日
 整形外科 右足のしびれ(マヒ)も9割方回復し、今日でおしまい。薬もなし。 これで良かったわけだが、半日がかりで数分の診察でなんとなく、???
診察は足の指の強さ、甲の強さの確認。
なお、ステロイドの副作用による両手足のしびれ感はあり、これは皮膚科との相談。

 

2003年 通院


5月22日
 左足不調で病院へ。まず皮膚科に行って受診、整形外科は学会で出払っているとのことで、神経内科を紹介され、受診する。
神経内科は入院中も受診経験あり。
坐骨の神経が圧迫されてるのではないかとのことであった。
明日、23日MRの検査。27日筋電図の検査となった。

5月23日
 MRIの検査、入院中受けたことがあるのでスムーズ、淡々と進む。結果は6/4の診察日。3時過ぎからの検査で、さすが病院も 人は少なめ。

5月27日
 筋電図の検査、特に問題はないような話であった。

6月4日
 神経内科、皮膚科、整形外科受診。神経内科では脊髄のMRIを観て、脊髄の表面の滑らかな部分が途切れ途切れになっており、 そこに神経が触れてるのではないかと説明。明日CT-SCANを受けることになった。整形外科は神経内科からの紹介の診察でMRIの 写真を見て、脊髄の神経が通る部分が狭くなっており、その影響かもしれないとの話であった。ここで過去の病歴も問われる。
薬、メチコバールとソレトン錠80を2週間分もらう。ソレトンは鎮痛消炎剤。
皮膚科、ステロイド6mgに減量、左足の不調大きく、嬉しさもそれ程感じない。

6月5日 CT-SCAN、腰部の検査。

6月17日
 整形外科、左右の脚をチェックし、特に悪くなってないなとの診断。こちらも6月入ってかなり良くなったと説明し、 薬も無しで行こうと云うことになった。
薬を止めてどうなのか確認もしたい。
重くなれば、手術だって。脊髄近辺の手術なんか桑原桑原...。

6月18日
 神経内科受診、CT-SCANの結果は肝臓の部分から肛門の先まで問題なしとのことだった。なお、この検査は リンパ節の状態を診るものでもある。
結局は腰部の神経がやや圧迫してるのが原因とのこと。
整形外科での話もし、服薬なしで様子を観ようと云うことになった。

7月9日
 神経内科 脚の痛みは6,7割回復したと話し、状況を見て次回の診察は3ヶ月後となった。
なお、病名は老人性腰椎変形症による坐骨神経痛となった。
皮膚科で天疱瘡の臨床調査個人票を書いてもらう。
重症度判定基準では0点軽症だった。なお、副作用は考慮されない。
治癒〜悪化では、軽快。

8月12日
 整形外科通院、7月末から左足の痛みが強くなり、右足も痛むようになり、膝も痛いと説明したところ、痛みは波のように 痛くなったり、治まったりするとのことであった。膝の痛みについては、膝を左右から強く押さえて痛みがないことから、狭窄の影響だろうということであった。
狭まった神経を広げるという「オパルモン錠」をもらう。2ヶ月くらい服用しないと、効果が判らないとのことで、今回1ヶ月分もらい、1ヶ月後、また薬をもらい、 1ヶ月間服用した後診察となる。
このオパルモン錠は湿気を嫌い、吸湿剤入りのパッケージになっている(薬のところに写真掲載)。

9月9日>BR>  整形外科通院、本来薬だけをもらう予定の受診日だが、症状が悪いので、診察も受ける。
症状の程度は5段階で、正常を0とし、3〜4であるとのこと。5は尿が出ないとか最悪で、即手術の状態。
注射か入院の話で、患者自身が選ぶとのことで、注射を選択。
仙骨裂孔(お尻)へブロック注射を実施した。お尻を上げ注射した後、痛いほうの脚を下にして横になり、15分間ジーッと している。こんなやり方。注射の痛みはは普通の注射と変わらない。
1週間に1回で5回注射する予定。1回で効果がある人もいれば、5回目で効果の出る人、全く効果のない人もいるとのことだが、 1回目で効果が出そう。

9月16日
 整形外科通院、2回目のブロック注射、前回右下にしたので今回は左下にした。身体を横にするのは前回15分だったが、 今回から10分になった。
マッサージ機はブロック注射の当日は悪いが、翌日から使用は構わないとのことであった。 但し、痛かったら止めなさいと言われた。

9月22日
 整形外科通院、3回目のブロック注射、前回左下で効果は2日程度なので、今回も左下にした。
人によるが、左下にしても右脚にも効果があるとのこと。
当面、通院はカミさん同伴。

9月30日
 整形外科通院、4回目のブロック注射、左下にした。
明日は神経内科通院の予定だったが、整形外科で済みそうなのでキャンセルした。

10月7日
 整形外科通院、診察、ブロック注射改善の効果があるので10回まで続けることになった。
手術についてはその後に考えることにした。手術は9割は良くなるが、後の1割には効果がないとのことであった。
なお、ステロイド、イムランを服用しているので、手術には感染症のリスクが伴う。
今日は5回目のブロック注射で左下。

10月14日 整形外科通院、6回目のブロック注射、左脚の方が不自由なのだが、痛みは右脚にもあり、右下にした。

10月22日
 整形外科
7回目のブロック注射、前回同様右下にする。歩行はやや軽快になって来てるが、普通の歩行に較べてはまだまだ。

10月28日
 整形外科通院、右脚の不調が進み、手術を要請したところ、2ヶ月待ちとのこと。それでも申し込みはした。
高額の差額ベットならもっと早くなりそうだが。
8回目の注射を受ける。当然右下だが、痛みに減少はそれほどでもない。


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脊柱管狭窄症?
入院

2003年10月31日
 昨日、病院から会社にベッドが空いたとのTELがあり急に入院(病棟10N)。
前から予定にあった腰椎のMRI測定。股関節のx線撮影。
入院診療計画書に「右大腿骨骨頭壊死疑い、腰部脊柱管狭窄症」とあり。

11月5日
 X線写真により、骨頭壊死の説明あり。

11月6日
 皮膚科受診、T先生への挨拶代わり。

11月7日
 11日の予定だった股関節のMRI測定がキャンセルがあり、今日測定。
なお、このMRIの写真がなかなか病棟に上がって来ず、説明が受けられず、いらいらする。

11月10日
 筋肉を鍛えるためリハビリ科を受診。股関節に負担にならず、脚の筋肉の鍛え方を学ぶ。
夕方、やっと股関節専門のH先生からMRIの写真を基に大腿骨骨頭壊死の説明を受ける。
人工骨頭置換の説明があり、痛み年齢により手術しない人もいるし、片脚だけ手術するひと、両足ともする人がおり、 12月に手術するなら、今週いっぱいに決断せよとのこと。

当然、手術をお願いする。

11月12日
 退院。大病院はどんどん退院してもらわないと困るようで、入院証明書、難病の臨床調査個人票は後からもらうことにして退院。


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2003年 通院

11月16日
市立病院循環器科救急。
朝食を終えて、胃のあたりがむかむかするような、変なものを食べたのかな思うが、気分が悪く、横になる。 1時間くらい経っても気分が悪い。心臓のドキドキが激しい。
救急車を呼ぶ。市立病院に行けないか、T病院に行けないか、K病院に行けないかと話しても相手の病院が受け入れず、 待っても良いからと市立病院に行く。行ったらそんなに待つこともなく診察。
「発作性上心室性頻拍症」とのことで注射をし、薬をもらう。紹介状をもらい以後の通院は現在の病院にする。

11月20日
午前中循環器内科を受診して、午後、整形外科の股関節専門の先生の診察を受ける。12月に手術の予定で、蓄血のつもりでもあったが、心臓の方の検査が終わってから手術を検討するとのこと。 12月末に心臓関連のデータが出て、それから一ヶ月かけての貯血となり、手術は2月頃になってしまう。

12月9日
 整形外科通院、今日の付き添いはカミさんは都合が悪く、次女。診察は股関節の先生ではなく、脊髄の先生で 以前から見てもらっていたので、定期的に診察してもらうと言う形になっている。触診を受けたが、脊髄には現在特に問題なし。
薬-オパルモンの服用もなくなった。

12月22日
 循環器内科通院、先日のエコー、ホルダーの結果は他の異常はなく、やはり、発作性上心室性頻拍とのことであった。
骨頭置換の手術において、発作が生じた場合、血圧の低下を起こす可能性があり、手術することになった。 手術といっても、カテーテルアブラジオンでカテーテルを心臓に挿入する方法である。
手術は1月13日で入院は9日から10日間の予定。

12月26日
 整形外科通院、本年最後の通院で股関節のH先生。X線撮影をしてから受診、両足とも骨頭が少し潰れている とのこと。脚が特に左脚の痛みが大きくなったと説明した。診察内容はベッドに寝て脚の曲がり具合の観察。
手術は心臓の方がはっきりしてからと、次回の診察日は2月13日となった。
輸血には自分の血を使うということで、血を貯める期間があり、入院手術は遅くなりそうである。
入院に関して、医師との話し合いの下に順番待ちの入院の申し込みをして来た。この病院での入院は3週間になり、 その後リハビリ病院で1ヶ月の入院となる。


2004年 通院


2月4日
 皮膚科に行ったついでに、新しくもらった大腿骨頭壊死の医療券を医療支援室に持って行って登録してきた。 支援室の看護婦のSさんは休み。

2月13日
 整形外科(股関節)受診、X線撮影、脚を曲げて診察。
最近、左の尻の辺りが痛いと話したところ、右脚にあった壊死部分の潰れが、X線で左脚にも見られるとのことであった。
手術は片脚からしかできないので、右脚を先にやるべきか、左脚からやるべきかについて迷いが大きいが、当面左尻の痛みが大きいので、 左脚を手術することにして、手術直前に再度検討することになった。また、手術の際、臼蓋が傷んでいるのが見つかる場合があり、その時はその部分も 人工骨と置換しネジ止めすると、実際に手術した人のレントゲン写真で説明を受けた。
3月23日に手術と決まり、それから計算して2/27に心電図などの検査、輸血センターでの貯血のスケジュール作成、貯血、3/15の週入院という ことになった。
もっと早く手術してもらうつもりだったが、そうならず残念。

2月27日
 整形外科(股関節)受診、今日は診察でなく入院手術を前提の各種検査、採血ではテストチューブは6本でさすがに多い、血液型判定のものもあり、 自分の名前と診察券番号を言わされ、その上テストチューブに貼られたラベルの氏名を見せられ間違いありませんかと確認させられる。
その他、肺のレントゲン検査、心電図検査、採尿あり。血液検査の結果は30分後くらいに出て問題ないことから、輸血センターで貯血 のスケジュールを作成してもらう。1回400ccで、3月3日が第1回目となり3回採血する。

3月1日
 循環器内科受診。整形外科からの手紙を渡し、単に手術OKの返信をもらうだけのつもりだったが、胸のレントゲン、心電図の検査、診察を受けた。 整形外科へ手術問題なしの手紙を預かった。

3月3日
 皮膚科受診、ステロイドは減量なく1mg継続する。整形外科からの手紙を渡したところ、先生が書いたのを看護婦さんが整形外科のH先生のところに 持って行くとのことで、循環器内科からの返信も持ってってもらうようにお願いする。
抗体価を測定するための採血をする。
 3/23に向かって第1回貯血。整形外科に行ってカルテをもらい、輸血センターに持っていく。採血のバッグの氏名誕生日を確認した後、 再度自分で氏名誕生日をマジックで書く。やや太めの針で400cc採血する。その後同量の生理的食塩水を点滴する。 その間30分程度かかる。整形外科に戻って造血因子のエリスロポイエチンの注射を打つ。久々の上腕部の皮下注射である。鉄剤フェロ・グラデュメット105mgを処方してもらう。

3月10日
 第2回貯血、前回通り400cc採血、エリスロポイエチンの注射、鉄剤も前回通り。

3月17日
 第3回貯血、前回通り400cc採血、エリスロポイエチンの注射は皮下注射で肩の所にしていたのだが、 肘の方がいたくないとのことで、肘の皮を引っ張りそこにする。確かに痛みは少ない。効果は変わらないことを輸血センターで 検討済みとのことである。
入院窓口に行ったところ、明日入院できるとのこと。


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2004年
特発性大腿骨頭壊死症
左脚骨頭置換術
入院

3月18日
 病棟630入院、担当医師はY,H,K,O先生、4月に入ってO先生はA先生に交替。
 カミさんと共にH先生から説明を受ける。
 人工骨頭、20年持つだろう。20年後ゆるめば再手術となる。脚は90度以上曲がらない。両脚なので左脚手術後、早くても半年後 右も手術となる。
図 図

 股関節の手術はマニュアル化している部分があり、手術のスケジュール表が渡される。左図が手術当日までのもの、右図は手術翌日からのもので、下図は 上右図をコピーしたもので細かく日付が入っているもの、これはもらえる。クリックすると拡大可。
図
 通路に出ると、国立のUAE-日本戦の応援が聞こえる。
 時間はたっぷりあるので「アウト」を読む。

3月19日
 麻酔科でアレルギーなどについて問診を受ける。
 皮膚科受診、手術後プレドニゾロンは止めるとの話、ステロイドがゼロになるのは嬉しい。
 右脚に付け根から採血、血中の酸素濃度を測定する。
 抗生剤のアレルギーテスト、右肩に食塩水と抗生剤を注射して、15分後反応を観る。変化なし、OK。

3月20日
 次女がカミさんと一緒に見舞いに来る。浦和では雪が降ってるとのこと、名残の雪か。
 帰り、病院の玄関まで送っていくと、桜が咲いてるのが見える。20,21日は病院は休み、何もない。
 春分の日だが、夕食は普通。

3月21日
 眠れずラジオ深夜便を聴いた。夕食に鰻が出た。

3月22日
 手術後に備えて、車椅子でトイレを使用する練習、尿器(尿瓶)を使用する練習もする。
 剃毛、入浴する。夜9時以降は禁飲食。
 通常手術に当たっては胸のレントゲン、心電図測定行うのだが、貯血の前に検査してるので省略。
 寒い。

3月23日
人工骨頭  手術、午後の予定だったのが、午前の人が急に都合が悪くなり、午前になってしまった。手術の時間が変わっても、家族の 了承が必要とのことで、家族は家を出ており連絡取るのが大変。
 手術着への着替え、浣腸、尿管の挿入、抗生剤の点滴、そしてストレッチャーに乗って手術室に運ばれる。低く見える天井が流れるようで 、TVドラマのよう。手術用照明が目に入る。背中に痛み止めが処理され、それ以降の記憶がない。
 手術後、痛みを感じる、鎮痛剤投与(?)。
 傷口からぶら下がったチューブ、酸素マスク着用、背中に痛み止めのプラスチック容器、当然尿管点滴付きで病室に戻る。
 肺にチューブを通すことはなかった。
外転枕  外転枕(台形)を両脚の間に装着し、脚を固定する。

3月24日
 腰に強いだるさ、一晩継続。
 当分(3/30まで)、毎日採血。
 午後おならが出たので、夕食にお粥を食べる。おならが出ない場合どうするのか気になっていたのだが、その時は聴診器でお腹をを 診るそうだ。
 ベッドアップ90度まで可能になる。
 血栓防止のため、弾性ストッキング着用、AVインパルスを着用。弾性ストッキングは脚にきついストッキングで一日一回履き替え、 これを2週間続ける、脚にストレスを感じ、夜眠れなくなったりする。AVインパルスとは一定時間毎に足の裏を圧迫する装置、  余った貯血分を1日400ccの割合で自分の身体に戻す。

3月26日
 抗生剤の点滴終了、背中への鎮痛剤終了、  通じがなく下剤を服用。

3月27日
 まだ通じがないので座薬の下剤を使用、それでも便意がないので、浣腸をする。 ベット上で便器を当て排便する。実に大変なことである。

3月29日
 手術の傷の消毒、意外と傷跡がきれい。術後、微熱が続いていたが治まる。

3月30日
  CPM、CPMとは脚に装着しゆっくり膝、腰を屈伸する装置で1日2時間行う。角度を55度から始めて、120度まで行い、120度になったら終了。 数値では120度だが、実際はそこまで行ってない。
 血栓の検査、造影剤を注射しCTで測定する。 その結果、本手術に関連する脚にはなかったが、肺には観察された。なお、肺には何の症状もない。
 外転枕、今日で終了し当て枕(普通の枕に近いもの)になる。
 抗生剤、点滴から内服薬ユナシンになる。

3月31日
 寝ていて、背中が痛だるいのが治まる
 今日から車椅子、と言うことは、トイレに行って自分で○○○ができる。但し、使いたい時、看護師に車椅子を持ってきてもらう段階。自分で車椅子を乗り降り操作するのは 許されてない。
 今日水曜日は教授回診。
 リハビリ科、今日から毎日通う。療養師はU先生、頼りになる、10月に入院したとき色々教えてくれた先生だ。
 脚と脚の付け根のエコー検査を受ける。

4月1日
 尿管、今日で終了、なお、尿管の挿入部分は1日1回温水で洗ってもらっていた。
 手術後初めてのシャンプー、ストレッチャーに乗って逆さまの状態で洗ってもらう。

4月2日
 抗生剤の服用、終了
 右眼の周りに炎症があり、眼科に行く。ネオメドロールEE軟膏をもらう。なお、これで治らず、眼の不調は続く。
 田舎から見舞いに来る。

4月3日
車椅子  今日より車椅子を自己運転できるようになる。今まではトイレに行くのにも看護師さんに押してもらわなければならなかった。
 夜は尿器を使用。
 次女が来たので、車椅子を押してもらい一寸外に出る。
 病院食を見て、前の入院時より美味しくなさそうと言う、そう言えばそんな気もする。

4月4日
 抗生剤服用今日で終了。

4月5日
 CPM120度で今日で終了。

4月6日
 抜糸、手術の痕は左腰部に縦に12cm。
 弾性ストッキング終了、脚がホッとする。
 採血、腰部レントゲン、教授回診の前日にはこれがある。血栓に関してもう一度CTの検査をした。肺の血栓は小さくなっているとのことであった。
 今日から夜も車椅子で、尿器はなくなった。

4月7日
 天疱瘡の関連で皮膚科に行く。

4月8日
 看護助手の付き添いの下シャワーを浴びる。
 イラクで高遠さんら日本人3名拉致。
 ボランティアの高遠さんらに自己責任の言葉が投げつけられ、マスコミ、日本人は変わったとの思い大なり。

4月11日
 TSさんとTS君見舞いに来る。

4月12日
 カミさんの補助でシャワーを浴びる。
 リハビリで松葉杖となる。但し病棟では安全性を考慮して車椅子を使用。

4月13日
 採血、レントゲン。
 リハリビで体重の50%を左脚に掛けられるようになる。
 本来、今日あたりリハリビ病院に行くはずだが、いっぱいで行けそうにもない。

4月14日
 リハビリ病院を選んだのだが、このまま入院してもいいですよと言われて、困ってしまう

4月16日
 眼に軟膏を塗り始めて炎症が大きくなるようで、塗るの止めたが、返って乾いていい感じ。
 今日から片松葉杖、順調。

4月18日
 入院から1ヶ月経ってしまった。

4月20日
歩行器  今日からリハビリで杖使用、病棟では車椅子から歩行器になる。なお、深夜病棟では車椅子である。
 歩行器の商品名が「アルコー」、ズバリだな。

4月21日
 リハリビで鏡に向かって歩き、自分で姿勢を見る。まだまだ〜。

4月22日
 担当医師より、リハビリ科の先生の話ではここからの退院もOKとのこと、それではとリハビリ病院をキャンセルしてもらう。
 23日は病院の特別の休みで、リハビリ科は明日から3連休。

4月24日
 今日から、一人でシャワーに入れる。

4月25日
 横になっていても、左の尻が痛いので看護師さんに見てもらったところ、尻の部分に熱があるとのことでアイスノンで冷やすようにする。 これを2日続けたところ、治まった。リハビリは続けた。

4月26日
 皮膚科受診の日、天疱瘡問題なく、右目の炎症を診てもらったところ、眼をつぶって石鹸で良く洗いワセリンを塗るようにとのことで、ワセリンとクラリス錠3日分もらう。
 リハビリ科の先生より、脱臼を避ける禁止体型を聴く。足を内転、内股にするのは当然ダメ、正座はOK、但し崩すのはダメ。腰を90度以下にするのは危険でハイハイもダメである。
 6人部屋ついに6人と満員になる。

4月29日
 カミさん、次女、Kさんがケーキを持って見舞いに来てハッピーバースデー、ケーキをバッチリ食べる。

5月1日
 今日から病院のリハビリは5連休となる。退院は安全を見て、連休後にする。
 リハビリ科で習った筋トレを毎日続けることにする。

5月2日
 二人退院し、二人外泊で、6人部屋で二人となる。

5月6日
 明日退院だが、特別な指示は何もなし。と言うことは良いことと判断。
 なお、退院を連休後にしたのは慎重と言える。
 最後のリハビリ科でのリハビリあり。同年齢で両足股関節置換の人がおり、 もう一方も早めに手術した方が良いとの助言を得る。

5月7日
 退院、要訂正の書類あり。なかなかスムーズな退院とはならないのが、何となく慣れっこになってしまったな。
 家に帰り、ラーメン餃子を食べ、退院の気分に浸る。


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2004年 通院

6月17日
 整形外科受診、診察の前に股関節のX線写真を撮り、それを整理券と共に診察室に出す。整形外科診察のパターンである。
X線写真で右脚の壊死部分の陥没が大きくなっている。左の手術から3ヶ月経っているので、もう右も手術の予約をして良いのだが、 落葉状天疱瘡の治療が明確になってからとのことになった。
左太もも外側に、時たまビリッとする痛みがある、と話したところ、人工骨によるものと考えられるので、 安定すれば治まるとのことであった。

7月15日
 整形外科受診、手術した左脚の腿にビリッとくる痛みを話したところ、人工骨頭と自骨とのなじみに問題があり、 日にちを経過すれば痛みが治まってくるとのことであった。
脱臼除けに寝るときに膝に挟む当て枕はもう必要ない、また、寝返りをうつ際、左を下にしても良いとのことであった。
右脚の痛み激しく、次回入院の予約をしてくる。手術の予定が決まってないので、いつ頃になるのか全く不明。
入院の予約に際して、「手術前の感染症検査についてのお願い」即ち肝炎、エイズなどの検査の承諾書をその場で提出した。 「入院に関する同意書」は入院時に提出する。今回初めて「看護データベース」と言う書類をもらう、 この書類は既往症とか喫煙とかを記入する書類で入院時に提出するものである。 今まで、入院したときに看護婦さんに聞き取り調査されてたもので、入院の度にシステムが一寸ずつ変わってきている。
「入院のしおり」は全然変わってないのでもらって来なかった。

8月20日
 整形外科受診、今日もまた夏休みのせいか、かなり空いていて受診前のX線撮影もすぐできた。 数10回は撮影してると思うが、こんなにスムーズに撮影できたのは初めて。
医師にステロイド30mg服用することになったと報告したところ、10mg 以下にならないと手術できないとのこと。
ある程度予想はしていたが、9月に手術の予定がボロボロと崩れてしまった。
左脚の手術のときも不整脈で何ヶ月も遅れた。どうも予定通り行かない。
診察室での看護婦は入院病棟でお世話になったKさんだった。

8月25日
 皮膚科受診、今日も病院は空いてる。
ステロイド30mg服用後、眼の周りの腫れは引いたが、糜爛の範囲が若干広がった。この10日程度は変化がないと、説明した。
医師は更に30mgを4週間継続して様子を診るとのこと。今日は採血(抗体価測定)もする。
整形外科での手術があるので、早めの減量をお願いしたのだが、減量は慎重でなければならないとのこと。
堪らない。
病棟からの応援の看護婦さん、お互いに見知ったようなので、ネームを見たらSさん。
先週の整形外科で診察の際、端末機にステロイドの服用が表示されなかったので、確認したところ、表示されてる。 整形では別の日の投薬を見てしまっていたのかも知れない。

10月1日
 整形外科受診、空いてる、何で空いてるんだろう? 皮膚科に較べると、何時もかなり混んでると思っていた整形空いてる。
前回もチェックしたが、今回も保険証チェック、なお、更新した医療券は療養支援室で更新手続き。
レントゲンを撮ってから受診、ステロイドが25mgになったと報告した。やはり手術は10mgになってからと言われた。
手術した左脚は順調、右脚は臼蓋も若干変形してるので、人工骨頭だけでなく、人工関節にしなければならないかも知れない とのことで、右脚を大事にして下さいと言われた。左足の脱臼は転びもしない限り起こらないだろうとのことであった。
診察室の前で順番を待ってると、何時もだが、前の人に話してる医師の人工関節手術の話が聞こえる。皆、手術頑張れ。

11月19日
 整形外科受診、何時ものように、診察前にレントゲンを撮り、その写真を持って行って診察を受ける。
予想していた通り、右脚の手術はステロイドが10mgになってからとのことで、それまで脚を大事にしておきなさいとのこと。
なお、骨頭置換した左脚は順調。


2005年 通院

1月14日
 整形外科受診、例によって、レントゲン撮影、その写真を持って診察を受ける。
手術した左脚の痛みを話したところ、寒さによって痛むことはあり、自然に解消して行くものこと、 また、右足は壊死部分が潰れて、かなり痛い時期がくるはず。
ステロイド、現在18mg、手術は10mg以下といわれてるが、前回手術した時は1mg、先が長そう。

3月11日
 整形外科受診。担当のH先生、四月から市川の病院に行くとのこと、手術もしてくれた先生でもあるのに、びっくりびっくり!
でも、手術の可否を尋ねる皮膚科への手紙を書いてくれて、場合によっては手術が早くなるかも知れないりそう。右は人工骨頭ではなく人工関節になりそう。
左脚の痛み(膝と太腿外側)、今日は少なく、診察日になると意外に治まってしまう。
次回は誰先生なんだろう、聞くの忘れてしまった。

4月6日
 皮膚科受診、3月の採血の結果、抗体価は3.3/0.7である。10以下の数値は陰性で、この辺の数値は ばらつきの範囲で大きな意味合いはない。健康な人でもこの程度の数値は出るそうだ。
整形外科からの手紙を渡し、返信を書いてもらう。ステロイドの減量が順調で手術に問題ないでしょうとの内容(のはず)。
ステロイドは15mgで継続。

4月8日
 整形外科受診、H先生は市川に行ったので、K先生が担当。新規と言うことで患者当たりの時間も長く、患者3人に1時間程度の 時間をかけており、3時間近く待つ。
皮膚科からの手紙を渡し、早めの手術を要望した。
肝炎・エイズウィルス、梅毒トレポネーマの検査承諾書を書き、入院係りに入院予約票を提出する。これで入院の予約を したことのなる。予約票での入院日数は30日となっている。
入院の前日に入院ですよとTELが来るはず。
当然その前に手術日が決まり、逆算して貯血も始まる。次回診察日はTELで連絡が来る予定である。

5月11日
 皮膚科受診、手術までステロイドの減量による再燃を避けるため、15mgを手術まで継続する。手術の際30mgにし、その後15mgに戻し、 そこから減量して行く方針であるとのこと。
手術日が決まってないのだが..。
前回5週間で問題なかったことから、薬は5週間貰うようにした。
採血と採尿あり。
症状は先月と同じかほんの一寸改善といった感じである。

6月3日
 整形外科受診。
医師の方から連絡が来ないので、自発的に予約外で受診。
雨模様のせいか、思ったより混んでなかった。とはいえ一時間以上待つ。
K先生もこちらから電話しようと思っていたところだとの話。
手術の予定は7/26に入っており、6/30に診察検査し貯血を開始することになった。
春、秋、冬の入院経験はあるが、夏の入院は初めて、それも真夏。医師はエアコンが効いてるので問題ないですよと言ってるが。
手術日がはっきりしたので一安心、手術を歓迎するわけではないが、明確化は安心感を与える。

6月15日
 皮膚科受診。
先月採血の血液検査の結果、肝臓関連、糖尿病関連等異常なし。抗体価は@/B=0.5/3.0、いずれも陰性。
ステロイドは手術まで変更しないということで15mgを継続する。
次回診察日は手術日に近い5weeks後の7/20になった。

6月30日
整形外科受診
午後の診察予定だが、診察前のレントゲンもあり、11時には病院に着く。
レントゲン(胸)、採血(レントゲン写真を持って、うろうろすることになり、採血してからレントゲンに行くべきであった。) →診察、(採血のデータを見て、血が濃いと言われる。ひょっとしたらドロドロ?)→採尿、心電図、肺機能 (肺機能検査は苦手、在職の頃も粉塵関連で肺機能の検査をしたが、息の吐き出しがうまくできず苦労し、それが今も続く)、 レントゲン(股関節、診察前の予定が手違いでここに入った。)、貯血予約→診察→CT予約確認、書類関連→清算。
終わったのが4時半過ぎ。
1年前に比べ、一寸つづシステムが変わって来ている。
書類関連は記入済み傷病手当金請求書の受け取り、天疱瘡と特発性骨頭壊死症の難病更新書類の提出である。

7月6日
 貯血第1回目
貯血担当の先生はI先生、3年ほど前血漿交換を担当してくれた先生である。右腕からほぼ順調に400ml採血。
先週、鉄剤などここ(輸血センター)で処方して貰えるような話だったが、やはり整形外科に行かなければならないことになっていた。
整形外科ではN先生、一年前入院したときにお世話になった先生の一人である。前回の貯血で注射をしたのはやや貧血気味であったからで今回は注射はしないとのこと。前回そうだったのかなと一寸疑問を感じるが、注射がないんだから良しとすべし。
鉄剤は前回とは異なり、フェロミア50mg錠、鉄の化合物(クエン酸第一鉄ナトリウム)で褐色を帯びてるものと思っていたが白色であった。

7月13日
 貯血第2回目
貯血は400ml約5分生理食塩水点滴200ml約20分、30分以上かかる。

7月20日
 皮膚科受診、採血採尿あり。
 貯血第3回目 皮膚科の採血は左腕、貯血の針は右腕。脱針の後10分間バンドで止め、更に押さえの効く絆創膏を2時間貼って置く。

7月22日
整形外科入院


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2005年
特発性大腿骨頭壊死症
右脚股関節置換術
入院

7月22日
久々にラッシュの電車に乗り、入院係に9時頃着く。
春、秋、冬は経験してるが、夏の入院は初めてで、それも真夏だ。
IDバンドがここで渡される、これも少し変わった来た例だ。そこの案内係のsさんは以前看護助手で、入院でお世話になったことがある人である。
入院の誓約書を提出する。
病棟の看護師によれば、人工関節の耐久性20年は、人工関節には老齢者が多く、30年40年のデータが少なく20年となっているとのことである。そうであればありがたい。
病棟の主任看護師はお袋の旧姓と同姓同名、ただし、お袋の場合「子」がつかない。
担当医師はy先生k先生t先生、顔を出してくれたのは担当外のy先生であった。
図
人工股関節置換術スケジュール表(図)をもらう。以前(2004.03左脚入院時)のスケジュール表に比べて、離床もろもろが三日くらい早くなっている(載せてはいないが手術日までのスケジュール表もある)。
入院時服用用の薬ももらう。
部屋は10F、ベッドは通路側だが、窓から国立競技場がちょっこっと見える。
 

7月23日
麻酔科、手術に際しての麻酔の説明。ビデオを見た後、医師の問診を受ける。前回はビデオはなかった。全身麻酔と硬膜外麻酔を使用する、麻酔薬が入ったプラスチックの容器を背中にぶら下げるのが硬膜外麻酔である。麻酔承諾書を提出する。
麻酔科の次CTのはずが呼び出しが来ない。おかしいと思っていたら麻酔科に行ってる間に呼び出したらしい。
皮膚科受診、a子先生でお久しぶりの言葉を交わす。20日に採血した血液検査の結果には、貯血中でやや貧血ではあるが問題なしとのこと。その後、腰部のCTスキャンと立つ姿勢での腰部のレントゲン撮影。立ち姿勢での腰部レントゲンは初めてである。
pm4:35地震あり、震度4、久しぶりにやや大きい地震、10Fのここで地震に会うとはびっくりである。
全エレベーターが回復したのは7:30過ぎであった。
k先生が顔を出し、明日午後8:00過ぎに手術についての打ち合わせをすることになった。

7月24日
皮膚病棟のaさんを訪れ、我が病棟(?)に案内する。
病室から見晴らしなど四方山話をする。家族は8月半ばに見舞いに来られ、子供たちに会うのは一ヶ月半ぶりになるとのこと。
夜、カミさん、次女が同席してk先生との話し合い。 所謂インフォームドコンセントである。
要点を記すと、
耐久性について、一概に結論付けられない。材質、取り付け位置角度、生活スタイルによって異なって来る。旧タイプでも30年もった例がある。
骨頭のみか関節になるか、開かないと判らない点があるが、関節になった場合、コンピューターナビを併用し、より正確な位置に置換する。
血栓防止の重要性。2,3ヶ月までが脱臼しやすい。
以上である。
手術4日目の離床、前回(7日)より早くなった。これは病院によってそれぞれであり、患者の状態にもよる。
骨頭の場合、「胞(?)」を残し、置換後縫い合わせる。一方股関節置換の場合「胞」を切り取って置換する。骨頭の場合脱臼しにくい。
手術時間、股関節の場合、実質2時間20分。
。 状況によっては関節ではなく、骨頭の置換になる場合もある。コンピューターナビは関節の場合に使用する。関節の場合、微妙な位置角度が重要になる。
骨頭に比べて関節の方が脱臼し易い。
手術の同意書とCTでのヨード造影剤使用の同意書を書く。

7月25日
ロビーでの採血、ロビーに採血専任担当者が待ち構えており、患者10人くらいが集まって採血、これも以前にはなかったやり方だ。
前日書いた同意書を提出。
麻酔科、看護師、医師それぞれが話しに来る。麻酔科は前回より更に丁寧になった。前回の手術で痛みを感じなかったと話した。
眼科受診、左眼はかなりぼやけて見えてるんだが、視力は0.9なので手術はまだまだとのことで、次回診察は半年後で1月。 aさんに天疱瘡の治験についてに書類を見せてもらう。
月曜日以来の便が出る。
明日の午後の手術に備えて、剃毛、シャワーも浴びる。飲食は21:00まで、amの手術でもpmの手術でも同じ?
今回は車椅子の練習などなし、二回目だからか(この病棟も)?

7月26日
aさん顔を出してくれる。
手術!浣腸もし準備万端!
以前とはシステムが異なり、車椅子で手術棟に行きそこで麻酔をかけられた後、尿管を挿入する。
前回まではストレッチャーに乗り、エレヴェーター、長い廊下を通り、如何にも手術室に行くって感じだったのだが、それはない。
麻酔は全身麻酔と硬膜外麻酔を併用するが、先に後者を設定するが、一寸手間取っている。
台風7号夕方関東地方上陸か?
・・・・
手術は股関節置換となり、手術時間は2時間20分、前後を含めて4〜5時間。
使用血液、貯血分400ml、出血400mlのうち200ml回収使用。
・・・・
酸素マスクで口腔が乾く。

7月27日
陰洗、7/30の尿管を抜く日まで続く。
酸素マスクはずす。
教授回診、久々に大先生のご尊顔を仰ぐ。
血栓防止のため脚に巻いてある包帯(?)に替えて弾性ストッキングを履くが、圧迫感強過ぎるので翌日には包帯に換える。ふくらはぎの周りを巻いてあるのも同様の役割で時々膨らんでふくらはぎを圧迫する。
包帯 ストッキング 酸素濃度96%と低く、鼻に細長いチューブ(鼻カニュラ?)を入れて酸素吸入始めるが、測定誤差だったのか、すぐ止める。

7月28日
CPMを始める。40度1時間、45度1時間。
夕食、うなぎが出る。そう言えば土用の丑の日か。
pm7:15地震都内震度3
今回はおならのことを聞かれない、聴診器でお腹を診て十分ということなのだろう。

7月29日
朝aさん顔を出す。
抗生剤の点滴を至急終えて、CTスキャン、例によってヨード剤か、熱っぽくなる。 CPM後、エコーを受ける。血栓はなさそう。CTスキャン、エコー共、ストレッチャーで行く。
ドレインはずす。
ドレイン 尿管 麻酔容器 背中の麻酔はずす。はずすと痛みが出ると思っていたが、そのようなことはまるっきりなかった。中身が空っぽになってるのでとっくにこの痛み止めは終わっていたわけなのだろう。
麻酔剤は白い網袋の中のプラスチックの容器に入っている。前回、網袋は無かった。 中央が尿管とドレインのチューブ、右端が暗くて分りにくいが尿とドレインのバッグ。

夜中、外転枕をはずさないように注意される。

7月30日
抗生剤の点滴は昨日で終わり、今日から錠剤の服用、フロモックス毎食後一錠ずつで、整形外科で出る薬はこれのみ。
初車椅子でリハビリ科受診、i先生。療養室は休み。
身体清拭の後、尿管抜き、T字帯、寝巻きをやめ、通常のパジャマスタイルになる。
CPM50度1h、60度1h。手術以来の通じ2回あり。
通じもあり、さっぱりしたはずなのに疲労感が残る。

7月31日
CPM90度2h、休日静かなり。

8月1日
CPM75度1h、80度1h、
昼食はうどん、具など、これは変わらないなあ。
リハビリ科リハビリテーション、担当は一年半前と同じ薩摩おごじょのi先生。「Tシャツ裏表反対だ!体重増えたじゃない」と挨拶を受ける。
夜、神宮花火大会、この病棟から全然見えないよと言われていたが、まさにその通り、音と空が赤くなるのが見えるだけ。 

8月2日
ロビーで採血、 CPM85度1h、90度1h
リハビリで、手術した右足に約20kg荷重をかける、リハビリの終わった足で明日の教授回診のためのレントゲン撮影。
車椅子、昼間用仮免出る(夜間は看護師立会いの下、乗降する)。

8月3日
CPM95度1h、100度1h
リハビリは今日は休みで土曜日の実施となる。
教授回診、順調。

8月4日
CPM105度2hs、リハビリ科は1/3荷重で今週いっぱい続く。
義叔母が見舞いに来る。この病院に一番近い親戚だ。

8月5日
採血
a氏の家族が顔を出す。子供は小学生、実に可愛い。私自身子供がこのような年齢の時、何をしていたんだろうなと思ってしまう。
CPM110度1h115度1h
看護師のuさんの介添えでシャンプーをする。ストレッチャーに乗ってではなく、頭を下げて普通の形、次回から自分一人でできそう。
特発性骨頭壊死症の個人調査票やっとできた。
フロモックス、今日で終了。

8月6日
CPM120度2hs、120度をあと二日続けてCPMは終了。
リハビリ、右足に30%の荷重をかけ松葉杖で歩く。来週一週間は50%荷重である。
暑い中、田舎からカミさんの姉達見舞いに来る。全員ではないが久しぶりの姉妹会になるのだろう。
その後、会社で同僚だったu氏が見舞いに来る。しばし、会社の話題に話が弾む。 あの人はどうしたこうした、と。
その後、a氏も来室し、天疱瘡に話が弾む。

8月7日
日曜日だが、CPM120度2h、CPMは明日でおしまいだ。
s家夫妻、長女家族、見舞いに来る。その後、カミさんとそのすぐ上の姉が。

8月8日
CPM120度2hs、これでCPMは終了。
リハビリに行く途中、aさんの病棟に寄ったら、aさんとazさんが話しており、それに加わり、天疱瘡談義になる。azさんは小柄も小柄で、体力も改善に関係ありそう。
症状は私の入院時に近そう。
リハビリは今日まで1/3荷重で、明日から1/2荷重。
身体を拭きシャンプーもしてもらう。

8月9日
朝、7:30、ロビーで採血。
午前中、身体を拭く。身体を拭くのはほとんどがアルバイトさんの仕事である。前回の入院までアルバイトさん自身を見ることはなかった。これも変化なのだろう
リハビリ、今日から半荷重、有難迷惑だろうが、見学を兼ねてaさんを誘って行く。
リハビリの後、レントゲン撮影。

8月10日
スペースシャトル、ディスカバリー帰還、話題になっていた野口聡一さんも無事帰還。船長はコリンズ船長で女性なのだ。女性の船長ももう珍しくないのか、話題にもならない。 抜糸、一寸ピリッとするが順調、左上の矢印がセンサー挿入口、右の矢印はドレイン口である。
後日傷口を測ったら12.5cmだった。
明日からシャワーが浴びられる。
抜糸
教授回診。かってお世話になった脊髄のt先生にもお目にかかる。
回診後、t先生にレントゲン写真の単なるコピーが欲しいと話したところ、写真の観察台でデジカメで撮るのが良いとのことだった。一応お願いしておく。
カミさんと次女、洗濯物などを持って来る。文藝春秋を買う。

8月11日
朝、早速t先生にレントゲン写真をデジカメで撮ってもらう。
手術前 手術後 術後部分 部分
写真左から手術前(前回の手術で左脚は置換した骨頭が写っている)、手術後の両脚、右脚部分、右脚の上の部分、順である。

今日シャワー浴びれるはずだが、シャワー室は隔日で男女使用になっており、明日が男子で一日延期。今日は身体を拭くことにした。
家からメールあり、tリハビリテーションセンターより、入院の連絡が入ったので至急病院に行くとのこと。病棟からの連絡より速い。
カミさん、次女が来院して、詳細を詰める。
夕刻、看護師長のsさんが見えられ、tリハビリセンターについて相談する。

8月12日
午後皮膚科を受診する。t先生による第一診察室での受診である。tでは7/20に貰った分を服用することになった。tのk先生への手紙も書いてもらう。
術後初めてのシャワーを浴びる。当然看護師さん立会いの下である。
実にさっぱりし、一歩改善。
aさん来室し、aさんの病棟にタレント(?)のfのお母さんが入院して、fが看病に来てるって!。

8月13日
TVではお盆の渋滞を放映してるが、病院はリハビリなどもなく、静かなる土曜日。
車椅子でaさんのところに顔を出す。来週土曜日退院になりそうとか。

8月14日
サッカーナビスコ杯あれど、埼玉TV映らず見られず。なお病院のTVは地上波のみで見る番組が少ない。
対清水(埼スタ、1-0でレッズの勝ち。

8月15日
60年目の終戦記念日なれど病院の日常も重々しく流れて行く。
クラークのnさん入院費の概算を持ってくる。
リハビリ、片松葉杖、杖での訓練をする。
杖で外を歩いたが、暑い。娑婆の空気は冷たいのではなく暑い。
術後、硬く少量だが毎日通じがあった。何回かの入院で初めてのことであった。

8月16日
リハビリ、自分の杖を使っての歩行練習。少し杖なしでも歩いたが、かなり身体が傾く。
地震、震源地は宮城県(震度6?)だが10Fの病棟はよく揺れる。
カミさんと次女が訪れ、今日中にすべて清算し、荷物もカバンに詰め、明日朝すぐに、伊豆のリハビリ病院に出立できるようにした(はず)。
田舎から送られた桃を持って来たのでそれを食べる。
午後、aさんのところに別れの挨拶に行く。
また、就寝前、aさんが挨拶に来る。

8月17日
7時前に同室者に転院の挨拶をし、ナースセンターにも挨拶するつもりでいたが、ナースコールがあったのか誰もおらず、急いでもおり、スタッフには黙って病棟を去ることになってしまった。
何か夜逃げのよう。


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2005年
右脚股関節置換
リハビリテーション
入院

入院記録と云うより入院日記である。

8月17日
リハビリテーションセンターへ転院の日。
朝6:30頃、最後の荷物を整えてるところ、カミさん、次女が迎えに来る。
玄関でk君の車に乗り込もうとするところに、散歩の途中だったのか、aさんに会い、また、別れの言葉を重ねる。 伊豆までは熱海近辺の海辺を通り、山を越えての道で、海を見たのは何年ぶりになることだろうか。
病院に着いたのは10時頃で、制限時間の11時には十分に間に合った。
入院手続きをし、505号室に入る。診察、病棟案内で今日の一日が終わる。明日は検査があり、リハビリは来週からになりそう。
入院患者はリハビリを受けるだけあって、重い人(脳卒中)が多い。

8月18日
朝6時に天候、検温などの放送がある。
病院の場合、パジャマで過ごす人が多いが、ここでははっきり着替えるようになっている。
目が覚めてるので朝6時頃に採尿、採血も行う。夜勤の看護師の松戸さんが採血、大きいシリンジに採血し、3本に小分けする。
病窓の風景、朝霧の中の山川、昨日までとの落差大。
カミさん、次女帰る。
夕刻、リハビリ担当者のa先生の検査等を受ける。ここでも今までの病歴を訊かれる。我ながら説明がへただなあと思ったりする。
明日からリハビリが始まる。11:00から1時間の予定。
この病院のナースコールは「乙女の祈り」。
薬説明書
右図はこの病院で服用した薬、今では錠剤の写真付きの説明書が渡されるようになっている。

8月19日
サナトリウム、今はそういうようなものはないのだろうが、何となくその言葉が浮かんできた。 魔の山。
PCのネットが使えないので、いい加減なメール一日何十通と来て、何十日分も溜まる。すごい量になるなあ。
転院以来通じあり。
10:00からo先生の診察、血液検査で中性脂肪が150で高い(上限130)以外は問題ないとのこと。
11:00からリハビリ、前の病院とはかなり異なった方法である。
食堂、今日から指定席、窓際だがこれも良し。食事は重症者以外食堂で食べることになっており、人数が多く、入院新人は皆が食べ終わった後、二番手で呼ばれて食べることになる。退院者があり一番手に入ったわけである。

8月20日
リハビリは土曜隔週で今日は休み。自己流リハビリ(右膝を上げる、両足を広げる)を実施する。
シャワーを浴び、洗濯もする。入院しての洗濯は全く初めてである。
TVの天気予報、東海北陸とまとめられており、加賀地方能登地方の予報に一寸懐かしさを感じる。霊南霊北の言葉にも。
505号室、5名患者がいるが、最重症者と最軽症者が別になってる感じ、なお、最軽症者は自分。
前の病院のaさん今日退院したはず、子供達の笑顔に囲まれているのだろう。

8月21日
朝、晴れてると思ってたら、雨、慌てて昨日乾した洗濯物を入れる。すぐやみ青空が見えたと思ったら、そのうち雷も鳴る。伊豆の天候は一寸違うようだ。
さすが日曜日、家族の訪れる患者が多い。
自己流リハビリをする。

8月22日
看護師のxさんに「なじんでいますか」と訊かれ「まだまだ}と応える。
午前のリハビリの後、「プールでのリハビリをやりませんか」と訊かれ、「やります、やります」と応え、午後20分間やることになった。今日は初日で軽く歩くだけで15分にしたが、結構疲労感が大きい。なお、プールはこれから毎日続く。
水着は家族に買って貰ったMのサイズでぴったりだった。
プールのせいか、その後飲んだ冷たい伊右衛門茶のせいか、夕方腹痛を感じトイレに行く。やや軟らかい便が出た、それだけ。
朝昼の食事は二種類から希望が出せることなので、来週分の希望を出す。
今日の夕食はマーボー豆腐にギョーザ、前の病院にはないメニューである。

8月23日
NHKの今日の健康20:30「ペインクリニック」で帯状疱疹が取り上げられ、後(ご)神経痛は10%程度とのことであり、後神経痛には抗うつ剤抗けいれん剤が有効とのことである。要するに痛みが残るのではなく、痛みをコントロールする部分に変調を来たすようである。

8月24日
朝、洗濯する。天候が怪しげなので朝乾し、パジャマは一部未乾燥だが夕方取り入れる。
505から502号室に引っ越す。502はナースセンターより更に遠い6人部屋である。なお、真ん中のベッド。
505号室同様、全員が脳血管系疾病である。
505のiさんは修善寺の特養桃杏荘(?)に行くようだ。子供はいても配偶者がいないと寂しいものである。

8月25日
リハビリで、踵を先につけて指で蹴るようにして歩くようにと、基本を学ぶ。
プールは今日から20分間入ることのした。
台風11号今夜接近、病窓風雨吹き荒れる。

8月26日
11号、伊豆を一寸はずし、千葉に上陸、病窓は台風一過の風景。
このベッドからは狩野川の瀬の音が雨の音のように聞こえる。
部屋のhさんが外泊で、静かであるw。

8月27日
23日以来通じがなく、昨晩便秘の薬(プセリド?)服用したところ、夜中に水と一緒に睡眠剤を服用時、便意を感じ、ちょろっと出る。
隔週土曜日のリハビリは午前中の実施で、ストレッチングはなしで自転車漕ぎを始める。
プールも午前中、昨日今日と一人だけ、なお、一昨日までは三人前後。
シャワーも浴び、洗濯もする。毎日プールに入ってると何時シャワー浴びたのか定かではなくなって来る。
兄より手紙が来る。

8月28日
カミさん、長女家族来たりて外出す。
新聞、菓子、DVDの差し入れあり。
修善寺駅でPHSに繋ぎ、HPのBBSの不適当な書き込みを削除する。メールもチェックする。
その後、西伊豆スカイラインをドライブし、戸田、土肥の海を遠くから眺める。やや曇っていたのが残念、標高900m、結構高さを感じる。西伊豆高原と言うのも的外れではない。
magoクンは相変わらずである。何時になったらjiiと言ってくれることやら。
兄へのはがきを書き、投函するように妻に頼む。
後から気が付いたのだが、病院の玄関前にポストがあった。

8月29日
magoクン等、今日観光して帰るはず。
午前中、1.5時間のリハビリ、結構応える。午後のプールは2名。
一寸間食する、カミさんの持ってきてくれた菓子がプレッツェル、それもオーストリア製なのだ。
明日からの薬はこの病院でのもので、成分は同じでも名称が異なるものが処方される。プレドニゾロンはプレドニン、ベネット錠はアクトネル2.5mg、イムランはプレディニンである。楽なことに朝昼夕、その時服用するのがパックにまとまっている。
夜、花火の音が聞こえる。今日外泊から戻ったhさんによると、妙徳寺(?)(下の神様、失禁のお守り)の祭りの花火だそうだ。

8月30日
リハビリのi先生に靴下を履く道具を見せて貰う。2〜3千円のものはやや丸みの帯びたプラスチックの板に紐のついたもの、もっと高いものもある。女性がストッキングを履く場合必要かもしれないが、特に必要性を感じず、値段も高い。
リハビリで一寸外を歩く。外は良い。
自転車こぎで隣の婦人と話し、「信濃町の病院は人が多く、小さな町みたい」と聞かされ、「確かに」と応える。
mの持って来てくれたDVDを見る。J1の前前節だったかのレッズ対神戸戦の録画である。新外国人ポンテは素晴らしい。なお、試合は引き分け、神戸も強くなった。 昨日眼鏡を尻に敷いて壊した件で家に電話すると、昨日magoクンが風邪をひき、早めに帰ったが都内は渋滞で大変だったとのこと。
おーいmagoクン懲りずに来てくれ。
hさん「てんぐさ採りの季節だなあ」と話す、この地域の季節を感じるなあ。

8月31日
洗濯、シャワー。洗濯物は屋上に乾す、まあ降らないだろう。
PHSが使えないので1000円のテレカを購入する、コーヒー用の砂糖も購入。
看護師に「衆議院選挙の不在者投票をしますか」と訊かれ、「誰が立候補してるのかも判らないので今回は遠慮する」と伝える。

9月1日
昼近く、川沿いを軽く散歩する。せせらぎと蝉の声、少年の頃を思い起こさせる川の風景である。釣りする人々も風景なり、糸先に鱗輝く魚があり、友釣りなのだろう。一寸汗ばむ。
プールで片足立ちすると、右ひざと左脚付け根近くが痛い。
日曜日の外出届提出、昨日洗濯したのものの取り入れ、ボールペンの購入。
録画したDVDで再生不可のものあり、デジタル放送を録画したので再生不可なのだろう。

9月2日
朝、部屋の中でこおろぎの声が聞こえる。確かにこれを書いてる夜、虫の声が聞こえ、秋を知らさせられる。
脚の痛みについて、PTのa先生に話し、定期診察のo先生にも話したところ、湿布薬が出た(経皮吸収型鎮痛消炎剤 フェルビナクP「EMEG」救急薬品工業製、エーザイ販売)。病院で湿布薬を貰ったのは初めて。
病院柄、病室でPT、OT、STの言葉が飛び交う。PT(PhysicalTherapy)が理学、OT(Occupational Therapy)が作業、ST(Speech Therapy)が言語のトレーニングを表わす。
夕方、災害訓練、場所柄東海沖地震を想定したものだが、ほぼ1時間かかりる本格的なものである。

9月3日
朝の陽射し病室の奥まで入る。
病院のTVは地域でアンテナを立てて受信しケーブルで流しているもので、病室設置以外のTVは使用しないように言われている。たまたま教育TV(ch3)などが「受信してません」の表示が出る時がある、何かの調整中なのだろうがこんなTVは珍しい。
5Fで始めての自主トレ、洗濯、シャワー、クリープ購入。

9月4日
朝、サイレンが鳴る。この地域の防災訓練である。さすが東海地区。
午前中、自転車を入れた自主トレ。
カミさん、次女来る。10時頃で早くてびっくり。
介護保険の更新について、主治医を手術した病院にするのか、ここにするのか、どうなるんだろうと心配していたが、看護婦の関野さんが「この病院のハンコ(住所、病院名、医師名)押しますよ」と、なんの心配もなかった。
昼三人で、修善寺駅前の「紅ほうずき」で蕎麦を食べる、細い蕎麦である。PCのチェックもする。雨が降り出したのでMcでカフェオレを飲んで病院に帰る。
眼鏡の修理は保障期間内の可能性もあり、持って帰って浦和の「和真」でしてもらうことにした。

9月5日
前の病院では朝食に納豆が時々出ていたが、ここでは薬との反応性で出ることはない。
今日は血圧と体重を測る日とのこと。体重62kg、一寸多い。
台風16号九州を目指して北上中、その影響を受けて、伊豆も雨、明日も雨の一日になりそう。
ステロイドは血液の流れを悪くする副作用があるので、脳梗塞の副作用もあるのではないかと看護婦の関野さんに尋ねたところ、副作用としてあるが、特別多いと言うわけではないとのことであった。
隣のwさんからミカンをもらう。

9月6日
カミさん、次女、昨日雨の中、天城峠のトンネルに行ったそうだ。雨の中でも良かったとか。
一昨日持って来た梨を三人で食べる。
修理の眼鏡と介護保険の更新の用紙を持って帰る。
土産の温泉饅頭2個、家族が帰った後、食べる
。 鼻の辺りの違和感から風邪の可能性がありそうなので売店でリポDを買って飲む。

9月7日
台風16号日本海通過中、午前中雨の合間に、晴れを見込んで洗濯したが、雨風強くなかなか乾せず、治まった午後4時過ぎに乾す。夜雨降らないでくれ。
今日からレンドルミンよりも効果的な睡眠剤DORAL(ドラール)15mg錠を試すことになった。
3錠もらい、良ければこれに変更する予定である。

9月8日
ドラールの効き具合はいまいち不明。11時に服薬し、入眠したのは12時過ぎ、4時過ぎに覚醒した。
今晩も試す予定である。
台風一過、まさに青空、結構暑い一日だった。

9月9日
ドラール、まあまあか。
定期診察日、先週より力が付いてきたと言われ自分でもそのような気がする。なお、杖なしで歩けば、右足が痛いのでまだまだである(膝の上下が痛む)。
顔も締まってきたと言われ、一石二鳥と応えたが、よく見れば余分な脂肪が多く外交辞令であったか。
病室で女性の言語障害が少ないと、話題になり一度医師に確認の必要あり。

9月10日
土曜日、隔週のリハビリでプールは私一人である。会話したりするわけではないが、一寸さびしい感じがする。
ドラール錠まあまあと言うことで10錠貰う。
川岸は殺虫剤を撒いたとかで散歩ができない。
hさんは完全に風邪をひいたようだ。私も数日前より不快感がありリポDを今も服用中である。
久々も久々、NHKの地上波でレッズ対大分を放映、食事時間の関係でロスタイムまで見なかったが、1-2の負け。
病院では誰も見てる人がなさそうで、レッズもまだまだ、サッカーもまだまだ。

9月11日
ドラール錠継続、電波状態が悪いせいもあり、ラジオ深夜便とも縁がなくなった。
家より修繕した眼鏡が送られてきた。リポD、テッシュペーパーなどが同梱。
なお、視力も安定して来てるようなので、退院後遠近両用を作成の予定である。
さいたま市の話では介護保険の更新の認定は伊豆市ではやらないとのことで、 外泊か退院後、さいたま市で認定を受ける予定にする。同室者の話によれば伊豆市は複雑そうである。
川沿い散歩して、釣り人多けれど、釣上げの図は見れないものである。
担当看護婦のsさんは明日から5日間夏(?)休み、ゆっくり休んで下さい。
大相撲は入院中の見物なのだが、夕食が6時10分前には始まるので、横綱、大関の試合を観ることができない。
今晩は衆院選挙速報で就寝は遅くなりそう、と思ったが大勢がすぐ分かり、TV見る予定全く無し。

9月12日
リハビリ等順調にこなす。
兄より手紙来る、叔父の心臓手術の件、9月4日の墓参りの件、幼児の思い出、などなど。
mさんのお母さんは伊勢湾台風で亡くなられたそうだ。私が中学生の頃だ。なお、hさんの兄弟子は狩野川台風で亡くなられたそうだ。

9月13日
兄に返信出す。
トイレの帰り、mさんから脚の音がスムーズになってるとのこと、かなり改善されたかな。mさんは目など不確かだが、耳は確かである。
会社OB(この4月定年)のnさん見合いに来る。入院は知らせてなかったのだが、中野さんの方から連絡があっての見舞い。車で1時間くらいで来れるとのこと。
定年後の話が話題になる。現在特に仕事はしてないとのこと。時たま家庭菜園をやるとのことで、これが健康に一番かも知れない。

9月14日
PT、散歩、プール、シャワー、洗濯、まさに日常なり。なお、散歩は外へ、橋のところまで行く。違反?。

9月15日
湿布薬減ってきたので、更に3袋貰ったが、塗り薬のも使い易いとのことで塗り薬ももらった。成分は同じとのことだが、サリチル酸メチルが主成分で三笠製薬製で商品名は「スチックゼノールA」である。

9月16日
ドラール錠を継続しているが、レンドルミンよりは良さそう。
ここに入院して、丁度1ケ月、丁度診察日でo先生の診察があった。膝を上に上げる筋力は向上しているが、更に必要。脚を広げる筋力は弱く、この向上も必要とのこと。
明日から3連休だが、明日の午前中、PTとプールがある。

9月17日
十五夜、満月である。一応デジカメで撮影。夕ご飯で団子が出るわけではなかった。
夜、hさんmさんと天ぐさ、水羊羹の作成に話題がはずむ。料理教室である。
なお、wさんが入ると下田の御用邸が話題になることが多い。話は別だがwさんによるとツイカズラの煎じ薬はイソジン並みの効果があり、リウマチにも効果があるとのことである。

9月18日
朝、散歩し、橋のたもとの釣宿の看板を見たら、おとり600円、釣料金1600円、駐車場600円、それなりの金額だ。そう簡単には趣味にできない。
十五夜、今日だって、騙された。それでも満月文句言うことなし。
hさんは70歳になれば医療費が安くなるのに、早く病気になりすぎたとぼやいている。

9月19日
wさん何時も20分着替えられのが30分かかったと嘆いている。一方食事の選択(朝夕の食事は○を付けて選べる)の○が枠内に書け、きれいな○だと安心している。

9月20日
朝、曇り空、秋の観強し。あちこちに彼岸花が見える。
病院の食堂の氷を使いアイスコーヒーを作る。
オオタカ青年のキャラメルにハギワラ老人涙する。
hさん29日退院?

9月21日
一寸風邪気味か、のどがいがらっぽい。プールは休まなかったが、自主トレは自主休業。
明日からmさん3泊の外泊、明日の午後は担当医師、PT,OT,STのそれぞれの先生、ケアマネ、工事請負人、奥さん、本人、で自宅の改造計画を確認するとのことである。なお、これが退院の前提になるとのことである。さいたまにはこのようなシステムはないのではないか。
wさんyさんも明後日から外泊の予定。

9月22日
採血、採尿。
mさん帰宅外泊す。25日は帰ってくる予定。病院に「帰って来る」、どういうこっちゃ。

9月23日
風邪、のど不調続く。今日から三連休だが、自主トレも抑え、休養とする。wさん、yさんも外泊。

9月24日
風邪、昼に37℃を一寸超えた。ほぼ一日中寝てる。

9月25日
カミさん叔母さん来る。ハンバーガーを食べ、くずもちも食べる。久々の大食い。風邪も吹っ飛ぶか。
叔母さんはトレーニングに通ってるとのことで前よりスマートになっている。

9月26日
朝、38.6℃の体温、当然リハビリは休む。
ステロイド服用以来の感染症だ。危険。
カミさん、叔母と外食の予定もキャンセルする。
特別の服薬なく、水枕だけだが夕方には平熱近くなってくる。

9月27日
下剤は飲んだが、眠剤は服用せず朝(4時頃?)まで眠れた。
熱も下がり、午前中のリハビリのみ受ける。疲労感はやや強い。 なお、PTのa先生は今週は夏休み、ストレッチングは省略される。
午後、会社OBのNさんが見舞いに訪ねてくる。大仁に用事があったので、寄って見たとのこと。家庭農園もやっており、充実している様子。若干話題が会社のにも及ぶ。
会社辞めたら、血圧も下がり、胃潰瘍も治ったような様子である。
久々にシャワーを浴びる。
のどはいがらっぽいのでトローチをもらう。

9月28日
残ったくずもちを食べる。プールで測った体重は増えていない。
クラークさんに保険関連の書類を提出する。クラークさん笑顔が素敵。
兄より手紙来る。s叔父さん、心臓術後順調なようす。車椅子に関する勘違いの記載もあり。

9月29日
兄、magoクンに葉書出す。
hさん退院す。その後には別なwさん。それが同室のwさんの親戚とのこと、まさに伊豆県立病院だ。
風邪は治ったようなそうでないような。なお、リハビリ、プールは続けている。

9月30日
o先生の診察日、脚を上にあげる力、伸ばした脚を曲げさせまいとする力、両膝を開く力、いずれも上昇しているとの診断。右手の握力(37kg)は前回に較べて低下、これはたまたま、前回が良すぎただけだと思える。
診察の項目は何時も以上の4項目である。
退院について話してみたところ、10月いっぱいの風であった。なお、本人家族が望めば早期の退院も可能とのことであるが。
風邪(?)、長年の経験によれば、右鼻の下にデキモノ状のものができ、もうすぐ終息のようす。

10月1日
ついに10月、秋だああ!
午前中、橋の向こうまで散歩する。青さぎが一羽川岸の岩の上にジーッと立っている。

10月2日
朝6:10分頃、山の端に日の出が観察できる。散歩に出て秋の小景をカメラに収める。
1,2週間、ふけが多いなと思っていたら、左右の眼の間に白くふけ(かさぶた)状のものが剥がれてくる。落葉状?まさかと思うが。

10月3日
やや暑いが秋らしい晴れた一日、PTのa先生休み明けで出院(?)。自転車を負荷50W20分にアップ。
今日は全員の血圧体重測定日、体重、着衣で62.6kg、血圧108/60。

10月4日
プールに体重計が新設になった。入る前の水着だけで60kg、ウーム減っていない。
減量も大事だが筋肉量が重要な段階。
予報に反して晴れ、一寸洗濯する。
散髪をしたいとは思うが。
ついこの間出した傷病手当金の申請書類ができてきた。速い。

10月5日
終日ポツリポツリの雨、秋である。
身体を横にして脚を揚げるリハビリ開始、ばね台を高くしたら効果大。

10月6日
一昨日昨日と服用し続けた下剤プルゼニドのせいか、昼からトイレ通いが続き、プールは休む、自主トレも。
但し、シャワー、洗濯を実行。
hさんが外来で来院し、病棟にも顔を出す。入院中写した写真をもらう。
mさん出張歯科の治療を受ける。患者は少なく、ボランティアとしか言いようがない歯科医である。

10月7日
特別散歩もせず、午後小雨降る秋の一日。
o先生夏休みだった。忘れてた。

10月8日
病室で伊豆の土産が話題になり、花豆、ヤーコーン、干し椎茸、天草に尽きるとのことだが...。
aw氏外泊。

10月9日
小雨、magoの運動会どうなってんだろう。ビデオなどちゃんと撮ってるんだろうな。
とんびが一羽ゆっくりと舞う。
wさんの奥さんヤーコーンを持参したのでmさんと一寸食べて見る。見た感じはできの悪いサツマイモのようだが、生で食べれて梨に近い味わいがある。

10月10日
昨日に続いて小雨続く。
wさんの親戚が見舞いに現れ、伊豆の椎茸(乾し)は特に美味しいとの話をしていた。
今日の治療薬2005年版を読むと、「ステロイドの特に注意すべき副作用、高頻度、重症化しやすいものに脳梗塞」が記載されていた。
前の病院で天疱瘡のaさんと話してたのだが、aさん私にも共通するなみだ目もステロイドの副作用なのだろうか。
便秘なので昼から下剤を飲む、昨晩も服用。
血圧100/60。

10月11日
PT、今日から5Fでやることになった。先生は同じだが道具が少ない。
セラバンド(緑)と歯ブラシ、パックのほうじ茶を購入。
hさん退院。

10月12日
杖なしで歩いてa先生より80点?もらう。
風邪はほぼ治ったがイソジンをもらう。

10月13日
薬2週間分もらう、退院2週間先?!。
伊豆のこの近辺にイノシシ、シカの多いことが話題になる。イノシシは美味いまずいが多いとか、シカは獲り立ては刺身が美味いとか。
別なwさんよりサツマイモをもらう。
「さつまいも、食べて退院の、日近し」
かって、突然、歯茎の痛みからミゾオチへの痛みの連動をHIS(昨年の8/12の日記に記載)として時たま記していたが、この入院時その痛みを感じることがない。NHKで放映していたけいれん性狭心症に近いものだったのかもしれない。
最近その症状がないのは、リハビリで運動しているのが作用しているのかも知れない。

10月14日
看護婦さんに手術の傷の長さを測ってもらう。右12.5cm、左傷跡は薄くなってるが、14.0cm、術式の違いだろう。
o先生の診察あり、予定通り、かなり良くなっている、家族と退院について相談するようにとのことであった。

10月15日
午前中晴れていたので洗濯、ところが、夕方雨に降られて乾燥機を使用したが、乾燥不十分で部屋に乾す。
乾燥機の機能は期待以下で、前の病院でa氏が言っていたな。
AM6:22血圧105/76脈64/機器測定,AM6:23血圧107/75脈63/機器測定

10月16日
病院で出張散髪、理髪師は70歳くらいのおばあさん、例によって剃刀は使わず、なお、シャンプーはなしで自分でする。
隣のwさんより、ゆでたサツマ芋と紫芋をもらう。紫芋はまさに紫、黒いくらいである。家族にも一部食させる。
今日から明後日まで観光外泊、湯ヶ島温泉白壁荘、バリアフリーに配慮がある。
井上靖の猟銃の原稿が飾ってあるなどして文学的雰囲気がある。

10月17日
雨、小雨である。
次女が修禅寺を見たことがないとのことで、修善寺に行く。ところが修禅寺は大修理中で幕に覆われ見ることができなかった。カミさんと娘が源頼家の墓を見に行く。
昼は修善寺駅前でラーメンを食べる。久々のラーメン、美味い。
留守中、同室だったhさんが来られ、ミカンを二つ置いて行かれる。

10月18日
朝から雨。
タクシーで観光を兼ねて、天城トンネル、旧街道を観る。
途中、わさびソフトクリームを食べる、意外にい美味しい。
昼近く、病院に戻り、手前の橋のたもとの喫茶店「オリーブ」で昼食をとる、ピザとコーヒーこれも実に久々のものである。
店の人がおばあさんの薬をもらいに行くとのことで、病院まで送ってもらう。
magoクンより葉書がくる。運動会が中止、残念!

10月19日
久々の外泊の影響か疲労感を感ずる。
最後から2回目になるはずの洗濯をする。洗剤600g近く使い、後一回分残すのみ。2ヶ月で洗剤は600gほど使うものなりの結論を得る。なお、病院で自分で洗濯するのは今回入院が初めてである。
  厚労省による平成17年度「受療行動調査」があり、応えて調査票を提出する。
wさんよりサツマ芋、紫芋に加えて次郎柿も頂く。

2004年10月20日
リハビリ順調、ptのo先生に26日退院の予定を話す。来週月曜か火曜に身体状況の最終チェックをすることのなった。
担当のo先生にも会ったので直接退院のことを話す。担当看護婦のsさんにも会えたので話す。
hさん来院、元気そうである。面倒なので余り杖は使わないと話していた。滝の写真を一枚頂く。
機器による血圧測定テスト。
PM7:21右腕116/70、脈75、PM7:23左102/83,?、PM7:24左腕浅めに入れる126/86,67、PM7:25左腕深めに入れる114/70,79。

10月21日
o先生の診察、退院予定通りとのこと。
PTで階段の練習あり、練習しても手摺りの無い階段は使用するつもりはない。そんなわけで「カメラのさくらや」の2Fに行くつもりはない。
水車小屋辺りまで散歩する。

2004年10月22日
土曜だが、午前中リハビリあり。
40分ほど橋を越えてを散歩する。実際の道路を歩くのは結構ハードである。
稲刈りは終わっており、秋の深さを感じさせられる。
水車小屋は小さな野菜市になっていた。
隣のベッドのwさんの家族が見えられ、紫芋を戴く。実に健康に良さそうな感じのする食品である。
PM1:53血圧105/63脈74/機器測定

10月23日
昨日に続き、1時間ほど散歩する。
経験として入ってみよう思い病院の銭湯に行ってみたら、中は小さな温泉風で良いのだが、手摺りはないので入るのは遠慮した。

2004年10月24日
朝の光の中で、目をつぶっているとオレンジ色に見える。手で覆うと青色に見える。
血圧90/60。
採血、この7月の入院から採血の痕が広く残るようになった気がする。
かって、両腕を見て歳をとると、血管が浮き出るものなんだなあと思っていたが、最近はそんな風ではなく皮膚にしわがより血管が沈んでいるような感じがする。
自転車こぎを30分やると血管が浮き出る。脈は120。
PTのa先生の最終チェックを受ける。脚の柔軟性、力は明らかに向上している。

2004年10月25日
看護婦さんに臍の周りを測定してもらう。86.5cm、85cmを超えてる!
担当看護婦のsさん退院に関して話に来る。書類等の確認を得る。
洗濯し洗剤を丁度使い切る。
この2,3日寒いずら(伊豆弁?)。

2004年10月26日
カミさん、次女10時少し前頃迎えに来る。薬、請求書がすぐ来なかったりドタバタあり、退院は相変わらずスムーズには行かないものなり。
部屋のメンバーにゆっくり別れを告げたいところだったが、それぞれPTに行っており、あたふたと部屋を出る。
予定のしていたのだが、2回見舞いに来てくれたNさんと昼、三島駅で落ち合う。Nさんは先に来てて待っててくれていた。
4人で食事する。それが名物のうなぎ屋で、席の空くのを並んで待つ店なのである。味は良し。

新幹線で東京駅に着いて、さいたまの自宅に真っ直ぐと、京浜東北線を待っていると、有楽町で車両異常があり、20分近く遅れる。
夜、待望の鍋なり。


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2005〜2006年
  通院

2004年11月17日
整形外科受診。
ここも久々である。診察台に乗り、脚を左右前に動かして診察。当然異状なしである。
どの程度脚を使って良いのか尋ね、言明しなかったが、一日一万歩以内を基準にしても良いだろうとの言質を得る。万歩計を装着すれば良いとの助言を得る。

2005年1月19日
整形外科受診
診察前に撮影したレントゲン写真を診て、足を広げて、問題なしとのこと。
時たま起こる左足の痛みについて話したが、いつ何処でと明確ではないので、様子を見ることになった。
筋トレに行ってることを話し、注意事項を再度確認する。
内股にしてはいけない。反動をつけて屈伸させてはいけない。
足を組む、正座、あぐらはできれば避けること。
腰の屈伸は90度を目安にすること、などの助言を受ける。
なお、人工骨頭の左足はもう脱臼しないだろうとのことであった。
両手足先のしびれがあるので、効果は不明だがメチコバールをもらう。

2005年3月2日
整形外科受診
保険証の確認あり、毎月するようになったのかな。
書類(就労可能証明書)作成が主だが、メチコバールをもらい、 左足の腰から尻にかけて痛みがあると説明し、湿布薬ももらう。

2005年4月20日
整形外科受診
左でん部の痛み、左足太もも左側の痛みについて、話そうと思っていたが、今日はその痛みもなく、ここが痛いとうまく説明できず、 また、診察ベッド上で足を曲げたりしても痛みはなかった。
筋肉を鍛えれば痛みは低減する可能性もある一方、ある程度痛みが残る可能性もある。
なお、現在、痛みがあると言っても、手術前の痛みに比べると軽いものである。
右足 両足 左足

今日の診察前に撮影したレントゲン写真(診察室のライトボックス(シャウカステン?)に掛けたレントゲン写真をデジカメで 撮影したもの)。
真ん中が両足を揃えた写真で、左右はそれぞれの足を広げた写真。
問題ないのとの診断であった。

2005年7月20日
先月まで毎月あると思っていた保険証確認が今回はなかった。
午前、整形外科受診
午後の皮膚科診察に丁度良いかなと思って10時頃入ったら、担当のk先生が先週休診だったためか今日はかなり混み、 診察が終わったのは午後1時半過ぎとなってしまった。
左足の腿の痛みについて話したところ、臼蓋部の軟骨が少し磨り減り、それによる痛みの可能性も高いとのことであった。
人工骨頭か人工股関節か、どちらにすべきかは悩むものでもあると話してくれた。
特発性骨頭壊死症の「特定疾患医療受給者証」の更新があるので、「臨床調査個人票」をお願いしたら、近頃この書類多いんですと 言いながら、その場で書いてくれた。皮膚科でもそうだったが、その場で書くようなシステムになったのかもしれない。
午後、皮膚科受診
先月の採血の検査での抗体価は0.7/0.4と陰性である。
プレドニゾロンは9mg/dayの継続である。
採血採尿あり。
血圧14:02 135/82 80 正常の範囲だが何時もより高めである。


2006年〜
  通院

2006年10月26日
整形外科受診
右膝上の痛みについて話し、次回、膝のレントゲンも撮ることになった。
ステムは骨頭置換の方がゆるみ易いような話してたが、一寸、疑問も感じる。
例によって、デジカメでレントゲン写真を撮影。
右足 両足 左足
<

2007年
1月18日

整形外科受診
膝、腰をレントゲン撮影の後、診察。
膝の骨と骨の間の間隔が十分あり、膝の痛みは不自然な歩き方によるのではないかとの診断であった。
痛みが解消されるわけではないのだが、膝に問題がないとのことで、一安心である。
関節の方も問題なく次回の診察は六ヵ月後となるので、湿布薬を貰うことにした。

2007年7月5日
 久々の整形外科受診。
今まで診てもらったK先生は担当が替わったので今日は特別にY先生の診察である。
レントゲン写真を見て、更に診察台に寝て診てもらい筋肉もついている、問題ないとの話であった。 今ある痛みは筋肉関連だろう、 1日1時間くらい歩いて鍛えたほうが良い。登山は無理だがハイキングは構わない、とのことであった。
人工物と骨の間に隙間ができると痛くなる、それに対処する薬があるとの話である。
また、MRIの検査も問題ない。金属探知機について国内は問題ないが海外、例えばアメリカでは引っかかるとのことだった。
次の診察まで期間が長いので薬(湿布薬)をもらう。
なお、特定疾患の更新の用紙もその場で書いてもらった。
右足 両足 左足

写真は今日のレントゲン写真

2008年
1月17日

整形外科に行く前に医療支援室に寄り、特定疾患医療受給者証が特定疾患登録者証に換わったことを告げたが、 病院では特別手続きは要らないとのことであった。
レントゲンを撮ってから整形外科へ。
レントゲン写真を観て、ベッドに仰向けになった私の脚を伸ばしたり屈折させたりするのが診察のパターンである。
右足の腿の辺りがこの三ヶ月くらい痛むことを話したが、レントゲンでは何ら異常なく、筋肉痛だろうと診断である。
湿布剤をもらう。
単なる筋肉痛ではないと思えるのだが、整形外科よりもマッサージなどの世界かも知れない。
両足写真は今日のレントゲン写真

2008年3月27日
番外、整形外科受診
皮膚科通院で病院のレストランで天そば御膳、これが贅沢のし過ぎで誤りであったのだ。
食べている時、座り心地に違和感があるなと思い、食事を終え立ち上がろうとした時、 イタタ、歩けない!ぎっくり腰か?となったのである。
何とか歩いて病院の車イスを借りて、皮膚科を受診し、整形外科へ の紹介状を書いてもらう。
整形外科ではY先生の診察日だが、急遽のことで若い医師の診察を受ける。
レントゲンの結果、腰椎すべり症が見られ、それによるものか、筋肉痛ではないかとの 診断であった。
鎮痛消炎剤ノイロトロピン4U、筋肉緩和剤ミオナール50mg、胃薬ムコスタ100mgと湿布薬アドフィードパップをもらう。 コルセットをしますかと訊かれたので、それもお願いする。
最後にお尻にあたりに痛み止めを打ってもらい電車で帰ることになった。
医師は明日から仕事をしても構いませんと言っていたがとてもそんな状態ではない。
今思えば軽症のぎっくり腰だが、当初は、また車イス生活か、介護保険を更新しなかった のは まずかったかなど、暗い思いがよぎったものである。
従来レントゲン室でレントゲンを撮り、その写真を診察室に持って行くのだが、診察室のパソコンでレントゲン写真を見ることができ、 患者がレントゲン写真を持って行くようなことはなくなった。そんなわけでデジカメで撮ったレントゲン写真はない。
正面の写真では側弯症が観察され、これは高齢者によくあることであり、激しい痛みの伴うものではない。
横からの写真では第4腰椎の上部が腹側にずれているので滑り症が認められ、痛みはこれによるものか筋肉痛によるものと、 考えられるとのことであった。

2008年7月17日
いつもの股関節外来。
腰の部分をレントゲン撮影してから診察を受ける。
診察の前に痛みについてアンケートがあり、そのアンケートを見て診察するのだろう。診察に時間がかかり、 PM1時に始まった診察の7番目だったのに診察が終わったのは3時近くであった。
一日一時間は歩くようにとの話があった。
腿、膝に痛む時があるので湿布薬をもらう。

2009年
1月15日

半年ぶりの整形外科
まさに久し振り、担当医師も替わっていた。替っても問題ないのが、症状が良くなった証左でもある。
レントゲン写真は依然と同じで、緩みも摩耗もない。即ち良好である。
杖なしでどの程度歩けるかと聞かれ、15分は歩けるが足を引きずるようになると説明。
脚の診察では左脚の方が良好(可動範囲大)とのこと、確かに右脚に痛みを感じる場合が多いことが関連しているのだろう。
膝、腿に時たま現れる痛み、ふくらはぎのしびれを説明したところ、すべり症から来ているのではないかとのことであった。

2009年7月16日
半年ぶりの整形外科
まさに久し振り・・・前回と同じことを繰り返す。
例によってレントゲン写真と可動範囲の診察、問題なく次回の診察は一年後となった。一年後では忘れそうと言ったら、暑くなったら 思い出して下さいと言われた。
一年後だったら今のF先生も交代しているだろう。
時たま来る膝、臀部部分の痛みがなくなっているわけではないのだが。
通院の度に外苑のイチョウ並木をパチリするのだが、今日は暑くて散策はしなかった。

2010年2月25日
番外・ぎっくり腰で北浦和のK整形外科医院へ。
23日夕よりぎっくり腰になり、以前歯科医で貰ったロキソニン、ボルタレンがあったのでそれを服用し、湿布を貼り 、安静していれば良くなるかと思っていたが、その兆候がなく整形外科医院に行くことにした。
タクシーの乗り降りが難儀だった。
レントゲンを撮り、椎骨が緩んでいるとのことであった。
すべり症ではないかと尋ねたら、しびれが出てないとすべり症とは診断できないとのことであった。
一週間の安静、但し昼は筋が弱るので寝ないようにとの指示を受けた。
コルセットの他に、痛みどめロルカム錠4mg、胃薬レパミド錠100mg、湿布薬モーラステープL40mgを処方貰う。

2010年7月15日
暑くなったら思い出す1年ぶりの骨頭壊死の診察
一年前と同じように診察前のレントゲン写真撮影と可動範囲の診察。

F先生も交代しているだろうと思ったら同じF先生であった。
問題はなかった。

両足

レントゲン写真も以前は写真自体を台にあての説明だったので、
デジカメでもきれいに撮れたが、現在はパソコンの画面に表示され、
それを撮ったのでややボケ気味である。腕にも関連するが。


MIS手術ポスター 待合室に人工股関節のMIS手術のポスターが貼ってあった。
MIS、即ち最小侵襲、短期間で傷口も小さくできる手術である。
私の場合、これはまだこの病院では実施されてなかった。
コンピュータも併用し、接合位置、角度に信頼性が高くなったのだろう。


2011年7月21日
整形外科股関節外来通院
レントゲン撮影後、診察。
問題なし、問題あったらたまらない。

2012年8月2日
整形外科股関節外来通院
K先生からK'先生に交代、一年に一回の股関節外来、例によってレントゲンを撮ってから診察。
ベッドに寝て可動域の検査、問題なし。
次回は一年後の暑い日、先生も替わっているかも知れませんね、話す。
滑り症については何もなし。
k'先生、髭を伸ばし若さを隠している。

2013年9月5日
整形外科股関節外来通院
レントゲンを撮ってから診察。
再度、腰、尻などの痛みと人工骨頭、股関節との関連性を訊ねたところ、
磨り減ってないこのレントゲン写真の状態から痛みとは関連性がないとの話しであった。
確かに硬膜外ブロックで痛みがかなり緩和されるのだから尻、腰の痛みは脊髄系によるものなのだろう。
両脚
久々にレントゲン写真をデジカメに収める。電子カルテになってからレントゲンもコンピュータデスプレイのデジタル画像になっているので、
以前より写りが悪い。デジカメの性能の影響もあるが。
皮膚科でも研究協力しているだが、
整形外科でも「変形性関節症の遺伝子解析に関する研究に対するご協力の依頼」をもらい「研究協力の同意書」に署名捺印する。
その一環として採血。

2014年9月4日
整形外科股関節外来通院
昨年即ち前回の診察とまるっきり同じで問題なし。
それでレントゲン写真をデジカメで撮るのもやめる。
どんどん腰を鍛える運動をしよう。
勿論、登山はだめだけど。

2015年9月3日14:30
整形外科股関節外来通院
レントゲン撮影後、診察。
問題なし。

2016年10月6日15:00
整形外科股関節外来通院
9月1日を忘れてしまい今日に変更してもらった。
例によってレントゲンを撮ってからの診察。
レントゲン撮影、市立病院でもそうだったが、下着の上に不織布のパンツをはいて撮影するようになった。
市立病院での脊椎固定術の話をしたところ、K先生をご存知のようだった。
入り口から診察の椅子まで離れているような気がした。
これは歩き具合を診ているようで、「歩き具合がいいですね」と言われた。
確かに離したのだろう。
レントゲンの結果、問題なく、骨頭置換の方が軟骨の擦り減りで早く問題が発生するだろうとのことだった。

2017年10月5日
整形外科股関節外来通院
レントゲン問題ありませんとのこと。

2018年10月4日
整形外科股関節外来通院、皮膚科と同日。
レントゲン撮影、ズボンを脱ぐだけで済む、だんだんX線撮影も楽になる。
診察、レントゲン問題なし、
人工股関節、これから10年保ちますかと聴いたところ、保ちますよとの応え。
死ぬまで保つだろう。

2019年10月10日
10月3日の予定が、病院から手紙が来て10日になった。
前回同様、レントゲン問題なし、

整形外科股関節外来受診
2020年10月1日(木) 14:30 前回同様、レントゲン問題なし、


整形外科股関節外来受診
2021年10月4日(月) 10:30

本来10月7日14:30受診の予定であった。
病院からの手紙で今日に変更になった。
時間も早い。
午前は初めてで、早めに8時一寸前に家を出た。
病院は工事中で、皆が歩いて行くのについて行った。
一ヶ月以上たっているので保険証確認があり、その確認は診察部門の受付で行う。
レントゲンを初めに受けるのでレントゲンの受付で保険証確認を行う。
レントゲンは空いていて直ぐに呼ばれた。
整形外科には診察の15分前から受付開始で、ぴったり15分前に行く。

列に並ぶ。来院受付票を渡すと、コロナ関係の7日間症状確認票と来院受付票が綴じられて渡される。
大事な診察内容
レントゲンでは問題なし、人口骨頭、股関節の耐久性について訊いたところ、
まるっきり劣化はないとのことであった。
むしろ、左の人口骨頭のソケットの部分の軟骨が問題である。
たまに付け根が痛むことがあると話したところ、軟骨の問題であるとのことであった。

確認証に診察後1C受付に渡すようにとの記載があり、
受付で診察終了の確認がなされる。
自動支払機で支払う。
システムが変わり、久々の受診なので大変!
市立病院の方もしっかりメモしておかなければならない。

信濃町駅
信濃町駅にも駅のソバができた、いろり庵きらく、浦和駅も同じだ。

病院前
病院は工事中だ、入り口は右端になっている。
玄関
中に入ると、奥に行って、右に曲がる。一号館である。 一号館ということは、工事が終わっても、ここが外来の入り口になるのか。
従来の表面入り口にあった泰山木はどうなるのだろう。
駅
整形外科の受付でこんな紙を渡された。この紙を(〇〇)受付にご提示ください、とあるので永続的に続くわけか。

2022年10月17日(月) 10:30

整形外科股関節外来受診
2022年グランドオープン(net)となっているので、病院の増設改築改修工事は終了したことになる。
診察30分前、まず、レントゲン撮影、いつもより混んでいる。通常とは違うレントゲン室に案内された。
撮影は仰向けに寝ての姿勢で両足先親指を合わせ、真上からの撮影、次いで左ひざを立て、右脚を診察台に接触させたまま腰を曲げ膝を曲げた状態で撮影、同じように反対側の脚を立てて撮影。
3枚撮るだけだ。
整形外科診察。
レントゲン問題なし。
耐久性20年といわれていたが、データが揃ってきて、更に10年以上もつとのことであった。
ネットで調べると
https://www.jinko-kansetsu-meii.com/blank-18
実は人工関節はもっと長持ちします。20年前の人工関節でも、まだ8〜9割は問題なく使えているという報告が多いです。
https://www.skjrc.jp/files/joint_journal/joint_202107.pdf
初回手術を受けた後、再手術を受けずに経過している患者さんの割合ですが、
術後15年で89.4%、20年で70.2%、25年では57.9%でした(参考文献 Lancet 2019; 393: 647-54)。
私のレントゲンの状態から診ると、10年以上持つとの判断だったのだろう。

流れ:外来機で来院受付票が2枚(診察室提出用、患者さん控)をもらう→(レントゲン受付で保険証確認)→レントゲン撮影終了→整形外科受付、診察開始15分前以内に行列に並んで整形外科の受付に来院受付票を提出する→(保険証確認)→ 来院受付票とともに受付番号の書いた小さな紙片が渡され、診察室番号が伝えられる→ 所定の番号の診察室で診察を受ける。(診察後、何も渡されない)→診察後、受付の行列に並ぶ→カルテの計算後、呼びますという→呼び出されて行くと、院内処方控予約情報シートが渡される(来院受付票の患者控えが戻されない)→自動支払機で支払う。 一号館には会計のカウンターがない、診察受付で計算を済ませたわけか、二号館の玄関近くに薬剤部と会計があり、薬をもらう人はここで会計するわけなのだろうか。診察スケジュール票もなく、変だ?

次回
整形外科股関節外来通院予定
2023年10月16日(月) 10:30

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(他の科より処方されてる薬でも、整形外科に関連ありそうなものを記載。)

骨粗鬆症

アルファロール(合成ビタミンD、Ca・骨代謝改善1α-OH-D3製剤)
乳酸カルシウム1g
天疱瘡入院中の前半(2002.2)に服用。

薬 ダイドロネル(骨粗鬆症治療薬、ビスホスホネート)
オステン200mg(イプリフラボン)
ダイドロネルは2週間服薬し、10週間休薬する薬で、この休薬の期間にオステンを服薬。
右のカレンダーはダイドネルに入っているもの、裏に服薬の説明が書いてある。

薬 2002年11月20日より、ベネット錠2.5mg(ビスホスホネート系、リセドロン酸ナトリウム水和物)に変更
服薬方法が一寸変わっていて、起床時服薬、30分間身体を立て、ものを食べないこと。
丁寧な服用の説明書が入っており、それが右図。
2005.2.15のNHKの今日の健康がこの薬の特集で、その機構は骨の表面に吸着し骨破壊細胞の作用を弱めるもの、 また、薬の吸収が悪いためすぐにものを食べないようにと説明していた。服薬後30分以上ものを食べないこと、 長ければ長いほど良いとのことであった。

アクトネル2.5mg(=ベネット錠)リハビリ病院に入院期間中ベネット錠の代わりに服用。

胃腸(粘膜関連)薬 アルロイドG(胃粘膜保護剤、アルギン酸ナトリウム←海藻の成分)
抗生物質類

手術の前後に抗生物質の点滴、その後錠剤の服用があるのが通例だが、緊張状態(?)で薬剤名を記録しなかったようだ。

鎮痛消炎剤+その他

プルゼニド錠12mg
2003年以降の入院では便秘の際、これを服用。

メチコバール500mg(ビタミンB12、末梢性神経障害治療剤) 平成14年9月で終了、平成15年6月再服用、平成18年1月再服用
ソレトン錠80(非ステロイド性鎮痛・消炎剤)
平成15年6月より服用、6月17日で服薬中止。

オパルモン錠(血液,体液用薬)、血流を良くする薬
脊柱管狭窄に有効、2003/8/12から服薬、11月には中止
薬 湿気を嫌うので乾燥剤入りのアルミパックに入ってる。(右図)

鉄剤フェロ・グラデュメット105mg(硫酸鉄)貯血の採血のため服薬2004/3/3〜3月末
フェロミア50mg錠(クエン酸第一鉄ナトリウム)2005.07入院前後服用

ロキソニン60mg(ロキソプロフェンナトリウム、鎮痛消炎剤)

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特発性大腿骨頭壊死症(ION=Idiopathic Osteonecrosis of Femoral Head)とは
特発性
大腿骨頭壊死症
(ION)

特発性大腿骨頭壊死症
図 図
原因が不明で、骨頭の血流の障害のために大腿骨頭が壊死(腐り)し、体重がかかる部分が陥没して 股関節が破壊される病気。
骨頭への血管は細く、直角に曲がっていて、血行の障害を起こしやすい。
ステロイドによるもの、極度のアルコールによるもの、その他があり、美空ひばりさんがこれに罹っていたことはよく知られている。
天疱瘡同様、難病に指定されている。
私の場合は当然ステロイド、パルス療法が作用したかなと思っている。

認定基準
X線所見
1.骨頭圧漬またはクレセントサイン(骨頭軟骨下骨折線)
2.骨頭内の帯状硬化像の形成
検査所見
3.骨シンチグラム:骨頭のcold in hot像
4.MRI:骨頭内帯状低信号域
5.骨生検標本での骨壊死像
判定:上記項目のうち、二つ以上満たせば確定診断となる。
私の場合は1.2.4.を満たした。

病型分類
TypeA:壊死域が臼蓋荷重面の内側1/3未満にとどまるもの、または壊死域が非荷重部のみに存在するもの
TypeB:壊死域が臼蓋荷重面の内側1/3以上2/3未満の範囲に存在するもの
TypeC:壊死域が臼蓋荷重面の内側2/3以上におよぶもの
C-1:壊死域の外側端が臼蓋縁内にあるもの
C-2:壊死域の外側端が臼蓋縁内をこえるもの
図
左からTypeA,B,C-1,C-2

私の場合、左右ともC-2

病気(Stage)分類
Stage1:X線像の特異的異常所見はないが、MRI、骨シンチグラム、または病理組織像で特異的異常所見がある時期
Stage2:X線像で帯状硬化像があるが、骨頭の圧漬がない時期
Stage3:骨頭の圧漬があるが、関節裂隙は保たれている時期
3A:圧漬が3mm未満の時期
3B:圧漬が3mm以上の時期
Stage4:明らかな関節症変化が出現する時期

私の場合、左右とも3(臨床個人調査票では3A3Bの記載項目はない)

治療法
TypeA:経過観察するだけで十分
TypeC:早期の手術療法が必要
TypeB:境界領域で注意深い観察が必要
手術療法
Stage1:骨穿孔術
Stage2:湾曲内反骨切り術、骨頭回転骨切り術、血管柄付骨移植術
Stage3:湾曲内反骨切り術、骨頭回転骨切り術、人工骨頭、人工関節
Stage4:人工骨頭、人工関節
私の場合、人工骨頭置換手術をする予定だが。

参考:特発性大腿骨頭壊死症臨床個人調査票
   新よくわかる股関節の病気-手術をすすめられたひとのために-(2003.3.20名古屋大学出版会)

−私の場合・痛みを感じてから骨頭壊死が確定するまで−

2003年5月中旬、通勤のバスを降りるとき、左脚がガクッとなり、その後、脚の後ろ側に歩く度に痛みを感じるようになる。ビリビリする痛み。
神経内科、整形外科を受診。
2週間程度、痛み止めとビタミン剤服用。
5月30日の痛みの状態
今朝方、寝てて、左お尻の辺が痛かった。今までにはないこである。
朝は何かにつかまらないと、歩けない状態、歩こうとすると左足の付け根(ソケイ部)に近い部分と左尻の中央部あたりが痛い。
会社で、昨日は痛いのを我慢して脚を引きずって歩いていたのが、今日は動かないので引きずってるという感じ。 社内では杖を使わないようにしてるのだが、それが今日は全然使わなかった。一寸良好。
歩くときの痛みは脹脛にもある。付け根に近い部分は脚が伸びたときにピリッと痛む。
6月に入り、痛みやや治まり、3kmほどのウォーキングもする。
なお、診察の結果は老人性腰椎変形症、脊柱管狭窄症、座骨神経痛。
受けた検査はX線、MRI、筋電図で、MRIの脊柱管断面写真では明らかな狭窄が観察される。
7月に入っても痛みやや治まった状態。
7月末、左脚がまた痛み出し、右足も痛むようになる。
8月中旬、整形外科を受診し、オパルモンを服用開始。
9月初旬、、座ってから立ち上がるのが非常に困難、痛みもひどい。ブロック注射開始、週1回で7回まで実施。
ブロック注射一回目(9/9)
右脚にビリビリする痛みがあるので、注射後身体を右下にした。 右脚ビリビリした痛みは解消。脚の付け根の痛み、太もも(膝の上)の痛みは残る。尻も痛い。
左脚変化なし。
ブロック注射二回目(9/16)
元々左脚に痛みがあり、身体を支える力がないので、左下にする。左脚、膝を含めて痛みはかなり治る。
右脚変化なし。
三日目(翌々日)痛み出す。
ブロック注射三回目(9/22)
左を下にする。左脚の太もも裏、ふくらはぎの痛みはやや治まる。 座った後、何とか立てるようになる。
右脚変化なし。
9/29現在
左脚、尻、太股外側、膝、足首前痛みあり。 尻、足の付け根、膝の上痛みあり。 身体を支える力弱い。
右脚、尻、足の付け根、膝の上痛みあり。
ブロック注射四回目(9/30)
左を下にする。
左脚、痛みやや治まる。
回数を重ねるに従い、痛み治まる傾向あり。
右脚変化なし。
10/6現在
9/29と似た状態だが、左脚は痛みやや、弱まる。右脚は変化なし。
階段の昇り降りは不調。
ブロック注射5回目(10/7)
左を下。
10/13現在
左脚太もも、尻、脚の付け根上側、膝、右脚付け根内側、太もも痛みあるも先週より良。
ブロック注射6回目(10/14)
痛み自体は右脚が強いので右を下。
10/21現在
左脚太もも、右脚の付け根、膝上痛みあり、先週より若干良。
ブロック注射7回目(10/22)
右脚の痛み若干治まり、更にと考え、右を下。
10/24右脚痛み大、脚の付け根、膝、太股。
10/25極めて歩行困難。
今まで、ブロック注射の度毎に若干の改善の傾向あったが、初めての増悪傾向。
左脚の痛みが一部治まったが、その後効果なく、手術を希望。
10月下旬入院は順番待ちで二ヶ月先だと言われていたのだが、病院から電話があり急に入院、 特発性大腿骨頭壊死症とのことで、一旦、退院し入院手術を再検討する。

何時までが狭窄症で、何時から骨頭壊死かは不明、初めから骨頭壊死の可能性もと、自分では考えている。

たけしの本当は怖い家庭の医学より、2005.02.01放映
骨粗鬆症により大腿骨を骨折し、手術後血管が切断したままで大腿骨頭壊死症になった場合であるが、症状を解かり易く説明している。
3種の症状がある。(1)膝の痛み、(2)体が硬くなり爪が切れない、(3)股の痛み、と順次出て来る。
(1)は股関節の動きが、大腿骨頭の陥没でぎこちなくなったことが原因。その動きが筋肉を通じて膝に伝わり、関節が不自然に引っ張られ、(1)の症状が出る。
(2)の症状も、骨頭の陥没で股関節の動く範囲が狭まり、太ももを体に引き寄せられなくなっていたことが原因である。
最終警告となるのが(3)の股の痛み。骨頭の陥没がさらに進行。股(足の付け根内側)の痛みが起きる。
私の場合、坐骨神経痛などの痛みも出ており、この3種の症状が出ていたが、明確ではなかった。

慶応大学医学部病院整形外科のホームページに「急性に股関節痛が発症することが多く、まれに坐骨神経痛様に、 また大腿から膝に痛みが放散することもあります」とある。

ラジオあさいちばんの健康ライフより、2006.12.14放送
今週、ラジオあさいちばんの健康ライフは「中高年と股関節」で、講師は順天堂大学練馬病院整形外科野沢雅彦教授である。
今日は大腿骨頭壊死症で、
「小さくて荷重がかからない部分だと、治る場合がある。痛みは腰の神経のつながりで膝に痛みを感じる場合があり、 単なる膝痛と誤認する場合がある。レントゲンでは不明でMRIが必要である・・・」等々語っていた。

毎日新聞3面より、2007.3.10朝刊
「人工股関節「5倍長持ち」
人工股関節の擦れ合う部分はポリエチレン製で使っている内にその微粉末が生じ、周囲の骨を溶かす。 これで関節が緩む。ポリエチレンの表面をリン脂質ポリマーで覆えば、水の薄い膜ができて磨耗を防ぎ、 一度手術すれば生涯使えると言うのだが。
研究は東大バイオマテリアル工学石原一彦教授のグループ。

嬉しかった書き込み

投稿者:Aさん 投稿日:2003/11/13(Thu) 17:00

おかえりなさい!!
大腿骨骨頭壊死でしたか。。。。
あたしも何度か大腿骨は検査してます。前回の一ヶ月入院の時に疑いをかけら れまして。。
うちの医者が言うには、長年のステロイド服用よりか、一気にパルスなどをし た方が大腿骨骨頭壊死になる可能性が高いという傾向があるみたい。
結局は原因不明だから、はっきりしてないみたいだいけど。
しかも、初期だとなかなか一度の検査では見つからず、MRIをまめに撮らない とわからない。っとも言われました。

実際、リアル友達の中でも歳を関係なく大腿骨骨頭壊死は結構いて、両足人工 骨にした友達もいます。その友達もずっと半年以上ひどく痛みはあったもの の、なかなか検査しててもわからずに、歩けなくなってはじめてわかったんで す。
両足の手術を終えて、はじめは不慣れで大変!!っと言ってましたが、慣れて くると痛みもなくなってかえってこっちの方が安心する。。っと言ってまし た。
若い子の場合は10数年に一度は骨を交換しなくちゃ駄目だけど、その友達は もぉその必要はない歳だからヨシだわぁ〜ってのんきに言ってました(^^;

兎に角、暫くは足に負担のかかる事はさけて、和式便所や階段の下りとか気を つけて下さいね。
安静に・・・安静に・・・・

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検査など       
筋電図検査  天疱瘡で入院していた時、右足先が麻痺してこの検査を受けた。
末梢神経及び筋肉の状態を調べる検査。神経伝導検査と針筋電図検査がある。
(1)神経伝導検査:電極を2枚貼り付け、別個の電極から電気刺激を与え、電極から得られた波形から末梢神経の状態を判定する。
瞬間的に電流を流すのだが、ドンと瞬間的痛みを感じる。電流(電圧?)を増やすと更に強く感じ、足が勝手にポンと動く。
(2)針筋電図検査:針を筋肉に刺し、針から電気的信号を取り出し、モニターの波形とスピーカーの音から、筋肉、神経を評価する。
力が入るとガーガー音がし、力を抜きなさいと云われる。
足を曲げなさいとか云われ、曲げるとガーガー音がする。針が刺さっているので痛くないわけはない。

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貯血
自己血輸血
貯血

献血された血液より患者自身の血液を輸血する自己血輸血は安全性が高いと考えられる。そのため貯血が実施される。 但し、下記の条件が満たされた場合である。
1.手術までに時間的余裕があること。
2.出血が予想できること(通常600〜2000cc)。
3.頻回の採血に耐える健康状態であること。
4.上肢に採血可能な血管があること。
当然、私の場合は4項目を満たし、大腿骨頭置換術のため貯血を開始。

採血
毎週一回の割合で200〜400cc採血する。
保存期間は冷蔵庫に入れて3週間であるが、保存液(CPDA,MAP)を使用すると倍近くなる。
私の場合、一週間に1回400cc採血し、3週間で1200ccを貯める。
血液が少ない場合、造血因子エリスロポイレチンの注射をすることがある。
私も採血後エリスロポイレチンの注射をした。

副作用
気分不快などである。
希にエリスロポイレチンの注射でアレルギー反応、血栓症をおこすことが報告されている。

貯血期間中の注意点
1.無理せず健康に留意すること。
2.採血前日は十分睡眠をとり、当日朝食はしっかりとること。
3.採血後、その日は過激な運動等は控えめにする。
4.発熱時や抜歯後3日以内は貯血できない。
5.鉄剤は必ず服用する。
フェロ・グラデュメット105mg(硫酸鉄)を服用。

事前了解事項
1.毎回、貯血前に至急採血し、血液が十分あるかどうか確認する。
2.貧血などにより貯血が必要量に達しないことがある。
3.貯血量を上回る出血があった場合、同種血を使用することがある。
4.使用しなかった血液は廃棄する。
5.バッグの破損などで血液が使用できなくなることがある。

病院配布の「自己血輸血についての説明書」から引用。


腰椎変形症脊柱管狭窄症

腰椎変形症脊柱管狭窄症とは  腰椎の変形により、脊柱管が狭窄状態になり、管内の脊髄神経が圧迫され、神経症状が現れる。
その症状には座骨神経痛(腰痛、下肢痛、しびれ感)と間歇歩行がある。間歇性歩行とは少し歩けるが、 痛くなり、休むとまた歩けるという症状である。

間歇性歩行については2003.12.25のNHKで次のように説明していたのが解りやすい。
「数10m歩くと、脚が重くなり歩けなくなる。少し休むと、また歩けるようになる。休むとき背中を丸めるようにするので、脊柱管の 圧迫が緩まり、また歩けるようになるのである」と。

私の場合、間歇性歩行はなかったが、下肢痛は大きかった。MRIで脊柱管狭窄は明らかだが、どこから大腿骨頭壊死になったのか不明である。
むしろ大腿骨骨頭壊死の痛みのため身体を動かすことがことが少なくなったり、姿勢が不自然となったりして狭窄の症状を招いたような気もする。
リハビリ病院に入院(2005年)して、脊柱管狭窄症の患者が背中を丸め下を向いてゆっくりゆっくり歩いているのが見られた。


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各種医療関連証書類

 
 難病の医療券、指定難病医療受給者証(昨年までは特定疾患医療受給者証)、難病法の改正で1月に更新したのだが、10月に再更新された。
平成27年10月1日から1年間有効な券は9月28日でギリギリに自宅に配達された。
(平成16年も9月28日に配達されている。)
本年1月から交付された自己負担上限月額管理票も更新された。

身障者 介護保険
 左・身体障害者手帳、平成17年11月、4級から3級になった。 医療費の公費負担を受けられる(自治体によって異なる)。
 右・介護保険被保険者証(要介護1)、これも平成16年のものだが、平成17年も更新されて同じである。平成18年11月から 要支援1となった。
平成20年、身体の具合もまあまあで、要支援の内容にも具体的なものはなく、更新を取り止めた。

身障医療  申請書1  申請書2

 橙色のが障害者の受けられる受給者証で、実際はこれだけでは医療の補助は受けられず、右の書類が必要になる。画像では小さいが、 A4の大きさである。
左の申請書はさいたま市内で契約している医療機関に提出するもので、その場で補助が受けられる。
右端の申請書はそれ以外の医療機関にかかった場合に使用するもので、後日医療費が戻ってくる。

 平成15年、難病の軽快者基準が設けられ、医療費の公費負担はなくなった。 その軽快者に発行されるのがこの登録者証である。
平成19年11月、特定疾患医療受給者証から特定疾患登録者証になり、これからは通常の自己負担するわけである。
平成27年、難病関連の法律が大幅に変更になった。特定疾患登録者証については何の連絡がないことから、全然意味のない証なのだろう。


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